Day-17
今、22:00ちょうど。20分ほど前から、銃声がするなあと思っていたら、マシンガンとカラシニコフ(だと思う)が交互に撃ち合う音に変わってきた。どんどん激しくなっている。明らかに米軍が誰かと交戦している音だ。撮りに行きたい。でも、どこかわからないし、夜だし、停電とあっては現場に辿り着けたとしてもあまりに危ない。撮ってどうする、etc…行かなきゃ、でも無理だろ、などと考えていると状況がわからないだけにだんだんドキドキしてきた。
22:10 銃撃戦の音がおさまった。
と思ったら、小規模の爆発音。外に出て見るが、空も辺りも真っ暗で何も見えない。
22:15 音がしばらく止んでいる。終わったのか?
戦闘の様子を撮るには米軍と動かないとダメだと思う。ただ、それが何を伝えるシークエンスになるのか、意味を持たせていかないとただ散漫な画になるだけだ。
戦闘は本当に散発的で局地的だと思う。例えば、ファディの一家はいま衛星テレビを見ながら、トランプでもしているし、表通りの夜市はラマダン明けのイードを祝う準備の買い物客で23:00ぐらいまで賑わっている。
一見、普段は戦闘と日常生活は隔絶されているかのように思える。でもそれは錯覚だ。一般市民は、自分が狙われることはないかもしれないけれど自分の生活範囲においていつでも突然巻き込まれる可能性がある。
戦闘と日常は表裏一体で常に混在し、あっという間にまき沿いになって死んだり、怪我をする-それを望もうが望むまいが、ここに住んでいる以上「まき沿いになる」ことを拒否することはできない。
国連やアメリカ軍のもとで働く人たちが「標的にされる」のとは少し違う。「標的にされる」のは何かしら理由が見つけられるが、「まき沿いになる」のは理由が見つけられない。ただ単にそこにいたからだ。「まき沿いになって死んだり、怪我することを覚悟して日常生活を送ってください」と、誰がここの人たちに言うことができるだろうか?
「気をつけて下さい」と言うことさえ、意味を成さない。いったい何をどう気をつけろ、と言うのか?こうしたとり止めのない問いが繰り返される・・・これが、占領下の治安の悪さというものなのか……。
逆に、「アメリカ軍の占領下=強盗や殺人が多い」という論法は成り立たない。治安の悪さに2つの側面があることを今回の素材を通して表現しなくてはならない。
① 軍事占領下ならではの危険・・・アメリカ軍と市民のボーダーレス状況。間違って撃たれたり(→ジョマナ・ケース)、むやみに逮捕されたり(→地雷犯人探し)、アメリカ軍への直接攻撃やアメリカ軍による軍事作戦に巻き込まれる恐れ(→TIKRIT襲撃)。アメリカ軍が狙われて、イラク市民はまき沿い。
②支配者を失った戦後の混迷社会ならではの危険・・・a)反米、復讐を目的とした一般イラク人に対する犯罪(→警察署爆破テロ、エヤットのケース)。b)脆弱な警察力による一般犯罪(強盗、殺人など)の横行。②は狙われるのもまき沿いをくうのもイラク市民。
いけるかなあ。やっぱりこの辺でまとめてみたい。
朝食を取っていたら、隣の親戚が「ベイダの学校の隣に、男が爆弾を持って車の中にいる」と伝えにきた。すぐに出かけた。大通りに出ると、群集が同じ方向に動いている。Uターンする車で動かなくなると、ファディが”You can go.”と言ったので降りた。
走り始めた時、彼が”Be careful, Kenji!”と言ったのが聞こえた。これまで危険は避ける方だった彼が、送り出してくれた。彼はこの仕事、後藤健二という人間を理解してくれたんだとその瞬間わかった。彼との関係は今回の取材で大きく変わった。
警察が男の身分証明書を確認している。男は苦笑いしている。状況がつかめなくてわけがわからない。爆発するかも知れないのに子どもたちは群がっているし、何やってんだこの子たちは。
結局、1時間以上ぽつんと止まっていた車を不信に思った住民が警察に通報したということだったらしい。とんだ朝のテロ騒ぎだった。それにしても、第一報はメチャメチャだったな。現場はベイダの学校の隣でもなかったし。こういうのはニュースでも良くあるよな。バグダッドホテルがテロにあった時のBBCの第一報を思い出した。
ユースフィーア近くにある戦車や機関砲など重火器が捨ててある広大な廃棄物処理場をロケ。
“The mass grave for arms.”
道中、ファディがTIKRIT取材の前に遺言を書いたことを話し出した。アシュワックに渡したら、彼女は怒っていたらしい。彼女を始め、ファディ一家に本当に申し訳なく思う。彼は自分が生まれて初めて遺言なるものを書いたと言う。彼の中でも何かが変わったのかもしれない。
家族の話もし始めた。どの家庭にも悩みはあるんだなと思うけれど、なんだか耳が痛い。
タラルの店ロケ。イードのイブで学校休み。客少ない。
サハドシュハダにワリッド親子を訪ねる。彼らの経済状況をもう少し詳しく知りたかった。
おじはこの前に増してホクホク顔だった。注文が多くて忙しいらしい。「話に交ざれずにすまない」と恐縮していたが、とってもいいことだ。
エヤット自宅と家族雑観撮影。彼らがけして豊かではない庶民だという説明の画だ。昨日脅迫状めいたものを受け取ったと言うので見せてもらった。連合軍に協力するな、すれば殺す、といった内容だ。
ハニン写真入手。婚約のことを聞いても無口な彼女。ディーナが「婚約者と何か気まずいこと、もしかしたら解消したのかも」などと冗談まじりに言う。
自宅にてファディ・インタ。
今回はイラクに長年住んできたパレスチナ人として、イラク人のアイデンティティ、占領、自分にとってのイラクという国、について話を聞いた。パレスチナ-クウェート-イラクと、戦争と占領に追い回されてきた彼と家族の背景を思うと、友人としてはこみ上げてくるものがある。
自分もこれまでそうだったのだが、よくイラクの話を取り上げる時に「イラク人」という範疇にパレスチナ人を含めないで見る傾向がある。イラクは多様で個性的な部族、宗教、地縁で構成されている社会だ。さらに、クルド人、パレスチナ人などの人種という要素もある。イラク社会の本当の姿を理解しようとするなら、まず全ての要素を並列に見てみる必要がある。その上で、どこにより深い「断層」があるのか、見えてくるのではないだろうか。
戦争後、イラク人によるパレスチナ人やシリア人に対する暴行が相次いだということも聞いた。テロで殺されたシーア派指導者(バクル・ハキムと言ったっけ?)が、「パレスチナ人をパージせよ」という説教をしたと言う。内容そのものが正しいかは確かめようがないけれど、少なくともファディたちパレスチナ人が以前よりもイラク人の鋭い視線を感じるようになっていることだけは確かだ。自分を取り巻く環境-周囲のパワーバランスが微妙に変わってきたことを感じ取っているようだ。彼は真剣にヨルダンへの引越しを考えているかもしれない。
昨日、ラマディで警察署爆破テロ。大きかったようだ。