独立が決まった南スーダンの首都ジュバには、北側からたくさんの市民が自由と新しい生活を求めて戻って来ています。住民投票によって独立が決まった南スーダンに、北スーダンから戻ってきた人たちが自分の故郷に戻って新しい生活を始めるまで一時的に暮らす滞在所(キャンプ)があります。
ナイル川に面するジュバ港には、家財道具を満載した巨大輸送船が停泊しています。港のほとりには、背の高いマンゴーの木を雨よけにするように、おびただしい数の帰還民が暮らしています。彼らは、もともと南部出身ですが、長く北部で暮らしていたために生活基盤がなく、ここに留まるしかないと言います。行くあてのない滞在者が増え続ける中で、地元政府も対応しきれないというのが現状です。ユニセフが、一時的な処置として飲み水を供給するとともに、子どもの健康管理に関する講習などを定期的に行っています。
街の診療所では、無料で感染症の予防接種、一歳以下の赤ちゃんにはポリオ・ワクチンの接種と成長カードを創ることができます。また、一般市民には値段が高くて手に入らない蚊帳の無料配布も適宜行われています。
しかし、内戦と北部への資本と開発の集中によって南部スーダンの医療やインフラは、極めて貧しいままです。最近の急激な人口増加には追いついていません。衛生環境や子どもたちの栄養事情は日に日に悪化しています。
首都ジュバから50人乗りの飛行機で一時間半、西バール・エルガザイ州の街ワウに降り立ちました。そこから、さらに4WDでおよそ四時間半、北バール・エルガザイ州クルンロックへ向かいます。北スーダンと南スーダンの境界線までおよそ70キロの街です。かたく乾いたでこぼこ道を輸送トラックが車体を上下左右に振りながら走ります。
アイルランドのNGO GOALが運営するテント宿に着いたのは夜7時半を回っていました。温かいシャワーが道中の疲れを癒してくれます。屋根に取り付けられたドラム缶の水は、昼間激しいスーダンの太陽に熱せられて、ちょうど良い温かさのお湯になっていました。
翌朝8時出発、向かったのは北スーダンからの帰還民が一時滞在しているキャンプです。キャンプと言っても、テントがあるわけでもなく、大人も子供も自分たちが持ってきた家財道具と共に暮らしています。いわゆる「難民」「避難民」ではない彼らは、戦争や紛争から逃れて来た人たちが受けるような通常の援助の対象にはなりません。
今日、ここで初めての配給が行われます。この一時滞在キャンプは、今24時間人が集まっては出ていくため、全体の人数を把握するのは困難です。また、帰還民の人たちは帰ってくるのに全財産を使いきってしまっています。用意されたのは100家族分。足りない分があれば、四時間かけて再び倉庫から運んできます。日本が支援した蚊帳や毛布、食器、石鹸など食糧以外の生活用品がユニセフのプラスチックケースに入れられています。
アチル・アグイェイさん(35)は8人の子どもと夫ともに南部に帰ってきました。このキャンプに滞在して一週間になります。
「こうした配給は本当に助かります。特に、蚊帳や毛布は手に入らないので。でも、正直に言うと、今一番私たちが困っているのは食べ物なんです」
私たちには何もできませんが歌で感謝を示したいと、アチルさんは歌を披露してくれました。
私にはそれがとても貴重な命の歌声に聞こえました。彼らの前途にどんな苦労があるか、わかりません。私は一瞬、眼を閉じて空を仰ぎ、軽く息を吸い込みました。ごく自然な一瞬でした。