捜索難航

アル-ムサナ警察のフッテージは、インタビューの内容も画の質も前回よりはるかにクオリティの高いものになった。でも、これは当たり前のことだ。

自分の場合、再撮という言葉は当てはまらないかもしれない。なぜなら、取材は重ねれば重ねるほど深くなっていくからだ。このスタイルは、十分に下取材をした上に台本を書いてノンフィクションドラマを作っていくわけではない。台本はあったとしても日々刻々変わっていく。前回のロケに入るまでに得た知識より、前回のロケで経験した分が加わって今回のロケに望む前に身に着いていた知識の方がはるかに多い。

これと収録テープを落っことした問題とは別だ。捜索は難航している。

朝、起きるのがつらい。体がキシキシいっている。タラルのお宅で少し充電させてもらって少しばかり回復したと思ったけれど、完全に戻るにはきちんとした充電時間が必要かもしれない。でも、まだ重症ではなさそうだから、これ以上ひどくならないようにしないと。日本の夏のようなむっとする暑さ。ボーっとして、今回はもう限界かもしれない。

ハナンのお宅を訪ねる。綺麗なブルーのサテンのドレス”DEAHDASHA(デシェデシャ)”に白い”へジャブ”を頭にかぶっていた。またちょっとお姉さんになった。挨拶するのに笑顔を見せてくれたのはうれしかった。初めてだね。
「気分は?お腹はどう?」と聞くと、上目使いの小さな笑顔で「ハンドゥレラ」と答えた。よかった。一家も変わりない。

今回のバタバタの中で、ここへ来ることが許され、たいした物ではないけれど日本の女の子と同じように雛人形を飾ることができたことに、感謝。こうなってくると、やっぱり学校に行って欲しいなあと欲張りな思いが残る。

明日早朝、バグダッドを出る。最終日、この後そのくらいカメラを回せるかわからないが、できる限り・・・。

・・・

朝食の時、なぜかエストニアの子どもの家と、リベリアで出会った子どもの亡骸を思い出す。砂浜に掘られた正方形のプールのような深い穴に、人間の形をした肉塊が無造作にドサドサ重ねられていく。少年は鼻から血が出ていたような気がするが、とても美しい顔をしていた。安らかな表情とはこういうものなのかもしれない。ナットウェイの写真もそうだった。少年は兵士だったのだろうか?そうは見えなかった。戦闘に巻き込まれて死んだ一般市民。

どうしたのか、涙が出てくる。あの時は、ただただ「この現実をおさめておかなくては」と必死だった。意識して「なぜ、この子は死ななくちゃならなかったんだ?」と考えないようにしたのかもしれない。

なぜ、あの子は死ななければならなかったのか?

なぜ、あんなに安らかな顔をしているのか?

ホテルをチェックアウト。
昨晩、タラルのお宅でリラックスしたのが良かったみたい。不安は残るけれど、体力、集中力、思考力、自分が何を考えているのか、がわかる。

失くしたテープの捜索を続ける。取材に関わってくれた人たちに本当に申し訳ない。「神さまは何かを示そうとしている」という彼女の言葉を頭の中でリフレインしながら、再撮を決めた。一段と良いものを撮らなくてはならない。

昼食はタラルの家で。美味しい。生命エネルギーが注入されていくようだ。

あらためて本日午後から、アル-ムサンナ警察1日目。

タラルの家で美味しい食事と何も考えない時間を取ったからだと思うが、集中力、気力、体力も持ち直していてモチベーションも高かった。いい仕事ができたと思う。

1:30 署に戻る。
こうしてパソコンに向かう気力さえあるが、まだ完全に復調していないみたいだ。少しだけ、この間の感覚を覚える。眠い。休んだ方が良さそうだ。

明日は最終日、何とかもってほしい。

・・・

書けない。休筆。
壊れてしまったか。
目の前にあるもの、起きていることはハッキリと認識できる、それに対して体が反応しない、言うことを聞かない。●●の感覚を思い出す。
自律神経失調症って、こういうものなのか?

憶えていない。
体力は回復。
回復した体力が何とか集中力を支えてくれている。
何とか最後までだましだましいけるか。

昨日、現場で収録テープを落っことしていた。
しかも、今日になるまで気がつかなかった。
ありえないことだ。

パトカーの中でテープチェンジしたことは憶えている。それから車内に置いていくか、持って行くか迷った自分を記憶している。
でも、夢で見たシーンだったかもしれない。
確かなのはテープが一本ないことだ。
何で迷う必要があったのか、なぜそんな判断をしたのかもわからない。

タラルの家で夕食をいただくことにした。
美味しい。ホッとする。

アシュラ最終日

アル-ムサナ警察署2日目。
シーア派の聖休日「アシュラ」の最終日で祭日。イマム・フセインの死を悼むこの期間は、キリスト教で言えば受難節。何か起こっても不思議ではないと思っていた。

朝、起きて少し撮影するが、カメラを担ぐと目が回る。
7: 30勤務終了30分前、昨晩のフレッシュマンたちは、眠そう。疲れきった表情。24時間勤務の後、1日休みというシフト彼らへのインタビューは不可能と判断するディーナが来るまで少し休みながら、インタビューの準備。休みを取ったため、インタビューは何とか集中できそうだ。

フレッシュマン&先生へのインタビュー、とても興味深かった。先生役の警察官たちに対しても、教育の機会が必要なはず。彼ら自身も望んでいる。

インタビューのあと、カルバラ&カドミヤ地区で爆発事件があったことを知る。カドミヤ地区を見に行くことにした付近は封鎖、アダミヤ警察署のすぐ近くだったため話を聞きにいくアブドゥル・ラフマンがいた、米軍が封鎖しているから現場には近寄れないと言う。現場に行くチームがいたため、パトカーに同乗させてもらって、いけるところまで行くことに。

“Are you Muslim? You Muslim, OK?”と聞かれたため、”Yes”と答え、指輪をはずす。ピアスも取ろうとしたが取れなかった。

現場付近、パトカーを降りる。米軍とICDC、ICDCを縦列させて自分たちの前を行かせる米軍、従属的な風景、新イラク軍と新イラク警察、、、給料はどうあれ、自分だったら警察官の方を選ぶと思う。ティクリートで取材した青年のコメントを思い出す。米兵に「CJTC-7はあるか」と聞かれ”No”と答えたら撮影禁止と言われる。

「CJTC-7」ってなんだ?
しつこく現場にいて手持ちのまま回していると、他のクルー(エジプトのTV 局と思われる)がやってきて撮影し始めた。自分も担いで撮り始める。何もなかったように黙々と歩くシーア派教徒たち。カドミヤ・モスクに向かうシーア派教徒たちの流れについていく。モスク手前200メートルほどのところでボディチェックする教徒たち。警察と救急車以外立ち入り禁止日差しが厳しい、暑い、何か飲みたい。

ロイターや他のクルーもやってきて取材を始める、自分は撤収する。歩いてアダミヤへ向かう途中、タクシーをひろう。よかった。帰って休んだ方がいい。

中華レストランで昼食。久しぶりの中国茶は美味しかった。異文化に好奇心旺盛なディーナは喜ぶ、タラルは口に合わなかったようでほとんど食べられなかった。店構えは綺麗だが、味はかなり物足りない。

4時ぐらいから、ホテルの部屋で休む。衛星TV、ラテンのダンス音楽チャンネルが、なぜか今の自分に心地好くホッとした。体は大丈夫なのに、頭がボーっとする。何もできない、どうしちゃったのか、自分でわからない。

お湯が出ない、部屋を替わってもダメ。インスタントラーメンを買って、お湯を貰って作ってみた。懐かしい味。最初に2,3口は美味しかったが、すぐに飽きた。

明日、自分は大丈夫だろうか?

夢か現実か

バグダッド・ジディーダ地区アル-ムサナ警察署1日目。

秘書官から宿泊することについて、あらためて考え直すように注意を受ける
1泊ということで了解得る。

繁華街にあるアダミヤ警察署はバグダッドっ子気質、アル-ムサナ警察署は、住宅街にある郊外型、雰囲気が違って面白い所長室に泊めてもらうアンマンの学校で訓練を受け、1月に卒業したばかりのフレッシュマン・オフィサーたちを取材。

皆、20~21歳。
幹線道路での検問をいくつか案内してもらう。5人から6人のフレッシュマンに先生役のオフィサー1人19時から23時過ぎまで、夕食をはさんで交通量の多い道路の真ん中に立ち、目を凝らして1台1台チェックほぼずっと立ちっぱなし、かなりきつい業務、へばった、車の中で寝てしまう、体のコントロールがきかず、集中できない。署に送り返してもらう。朝まで同行すると言ったのに、、、勤務の邪魔をしてしまった、、、申し訳ない。

所長室のソファで横になるが、寝付けない。蚊がうるさい。ボーっとする、どこにいるのかわからなくなる、紺碧の水の中にいるみたいだ。洗面に小さな蛾の死骸3時過ぎ、ディーナからの電話、アリの悪い予感、その数分前に警察署前(だと思う)で銃声、車が出て行く音、起き上がれない、何とか起き上がって外に出て尋ねると「何でもない」という答え。

とにかく、ボーっとして目の前の光景が夢か現実かよくわからなかった。