Day-14
ダーワ党を訪ねる。副代表にインタビューできた。政党の副代表クラスのインタビューで面白い答えを期待することはないが、組織の名刺がわりには必要なシークエンス。ラッキーだ。
ファディもディーナもとてもびくびくしている。それほどシーア派は強硬なのか、スンニ派の彼らがなぜシーア派をそこまで恐れるのか、理由をきちんと聞いておいた方がいいかもしれない。
不思議だなあ、と思うのは、警備員から事務員までどうも目つきが冷たい。昨日のカルバラの警備員たちと同じ目をしている。待合室には人はいるけれど、シーンと静まり返っている。話せば普通の人たちなのがわかるけれど、人の血を見ても表情ひとつ変えないのではないか、と思わせる淡々とした雰囲気がある。
そもそも宗教には血で血を洗うとか、死で贖うとか、血生臭い歴史がツキモノだ。これを否定しては人間が神のような存在になってしまう気がする。でも、これを肯定して自分たちも血の歴史を創り出して行ったとしたら、「罪」を受けて生きるということにはならない。血の歴史を繰り返さない道を、自分の血を流してでもとことんまで追求し続ける、それが「罪」に科せられた「罰」なのではないだろうか。二大宗教であり、多くの国のメインボディを構成するクリスチャンとムスリムは特に、この「罰」を意識する責任がある。
ちょっと疲れている。理由がいまいちわからないが、フライドチキンの食べ過ぎかも。イラクの食べ物はとてもおいしい。トマト料理はカジュアルなイタリアンと言えるほど口に合う。中でも、チキンは世界一おいしい。それをあまりに言うものだから、こっちへ来てから毎食フライドチキンを出してくれる。他においしいものもいっぱいあるんだけど……。野菜をとるようにしているけれど、さすがに油で胃が疲れているのかもしれない。ファディは気がついたのか、他に食べたいものはないのか、と聞いてくれた。
一家の友人に、パスポートや紙幣の偽造を仕事にしている男がいる。今夜話を聞く予定だったが、来なかった。後日取材してみたい。
今のイラクはルールもへったくれもない。偽造はもちろん、反対車線をバンバン車が通るし、公共の場所に勝手に宗教指導者のでっかい写真は貼るし(フセイン時代とまったく同じ事を自分たちがやって排他的になっているなどと考える思考はないようだ)、「他人のことなんか考えていたら自分が暮らせなくなっちまう」と言っているようだ。
“I’m the first. And all others are second.”その勝手な理屈の理由付けにアメリカによる占領が利用される。「フセインという重しがなくなった」⇔「思い通りにやっていいんだ」⇔「自分のやりたいようにやる」⇔「ここはイラク、オレたちの国だ」⇔「Hate America!」これらが相関して肯定しあう。イラクという国がどうなるか?という思いはあっても自分たちではどうすることもできないし、毎日自分の身の上のことしか頭にない。
ラマダン中だし、空腹でみんなイライラしているというのも理由のひとつ。
今のままなら、クウェートのように小さな部族単位の国にした方が幸せなのではないか、とさえ思う。連邦制という手もある。もちろん、石油をどうするかという永遠の問題がある中では非現実的な話だけど。
『世界がもし100人の村だったら』という本のことを思い出すことがある。