Day-10
TIKRIT取材最終日。結果は1勝1敗1引分け。全体を通してまだまだ見えていない部分があるような気がする。
部族(アシューラ)間の相違と緊張関係のストーリーは面白かった。フセインの血族アル-ブナサ族の青年の話も良かった。でも派手な画とかそういうものではなく、もうひとつ深くTIKRITならではという強烈なものが欲しかった-フセインの血族ベジャト族やアル-ブナサ族の暮らしと米軍の関係、新しい地元政府と米軍の関係、米軍がTIKRITで現在何をしているのか-米兵の生活とかそういう視点ではなく、占領政策の中でどんな要素をここTIKRITが担っているのか、という点だろう。
インタビューでは単なる説明にしかならないから、実際の活動を詳細に見ていくしか方法はないと思うけれど、ほとんど無理だろうなあ。たとえ、アメリカのジャーナリズム心あるメディアが取り組んだとしても、占領真っ只中の今は難しいかもしれないな。
TIKRIT警察のパトロールに密着。不審な人物や車を見つけると職務質問していく。TIKRITの街は実に小さい。東西南北回っても20分もかからない。
同行した警察官に、フセイン時代は警察官を恐れていた人たちも大勢いるが、その時と今と警察はなにが変わったのか?と聞いてみた。「何も変わらない。私たちには法があるから、それに従って職務をおこなうだけです」と言う。
フセインの時代にはフセインが法そのものだったのでは、と聞きなおすも、答えは変わらない。帰りにディーナの見解を聞くと、当時の警察の横暴な行いはみんなが知っている、と言う。外国に占領された日常生活には同情するが、「同じ」という答えには何の意味もない。何がどう「同じ」なんだ?イラクの人たちのコメントも無邪気にそのまま垂れ流すわけにはいかない。
彼ら、フセイン政権下で大小に関わらず権力を持っていた人たちのコメントは特にそうだ。彼らの過去の歴史や占領下の生活という背景があって初めて使える内容のものもある。表現とはまったく反対の意味を持ってくることもあるからだ。
帰り道で米軍に護衛されたLPGガスのタンクローリーの大規模なコンボイに遭遇。「ここで攻撃されたらすごい被害になるな」と思い、早く行き過ごしてしまいたかったが、米軍によって追い越しが止められてしまい、しばらく一緒に走っていた。
急ぐ必要など何もないのに、クサイの運転は荒かった。突然、護衛の米兵が側道の草むらにマシンガンを何発か打ち込んだ。
数日前、検問をしていた場所だ。このあたりでも襲撃事件があったのかもしれない、と思ったら、隣でディーナが突然嘔吐した。クサイの運転に胃が痛むと言っていたが、目の前の銃声で耐えられなくなってしまったのだと思う。
TIKRIT取材で緊張のしっぱなしだったということもあるだろう。彼女の家は、両親ともに先生という教育者一家。インタビュー中も先生らしい毅然とした態度で人々と話すのに、感心していたが、考えてみればごく普通の小学校の先生だ。良く頑張ってくれたと思う。