「不明」「わからない」

Oct. 30. 2004
バラド-バグダッドから1時間半ほどの、ティクリートへ向かう途中にある小さな町。スンニ派三角地帯に位置し、サマラ、バクーバなど、サダム支持者の残党を含むスンニ派武装勢力による激しい反米活動が日常的に行なわれている地域・・・。米軍による掃討作戦がしばしば行なわれる地域・・・。
朝から、政府関係者からは「不明」「わからない」というコメントばかり。
米軍の報告はそんなに不十分なものなのか?青年の指紋を今頃取っているって、どういうことなのだろう?日本側は青年に関するあらゆる情報を現地に送っていたのではないのか?もし、自国民が誘拐されたらとか、事件に巻き込まれたらとか想定していなかったのか?いくつものシナリオを想定し、対応策のオプションを確保できないのか、この国は?不思議だ。いつでも事が起こってからしか対応しない。後手後手の感がある。
平和な時にやっておくべきことはいっぱいあるのに、利己的な政争を楽しみ、夜な夜な酒臭い大口でバカ笑いしながら街を歩き、「自分のことで手一杯」と忙しさを装う人たち。

「アジア人の遺体」という表現から「日本人らしき遺体」と、いつ、どうして変わったんだ?
政府もメディアも発表するのに、ものすごく慎重になっていて、ある意味わざと時間かせぎをしているようにも見える。「日本の外交官二人が殺された同じ一本道の途中」という説明コメントはない。人々へのショックを最小限におさめるために、情報は少なく、事実はじわじわと時間をかけて公開していくという方針/ やり方なのかもしれない。もしそうなら、彼らの本音はひと段落ついてからわかるはず。大臣や副大臣の二言目、「残念」とか「無念」とかいう言葉の後に何を言うか、注目したい。

米軍が直接外国人の遺体を発見したとしたら、犯人たちはわざわざ発見されるような場所に遺棄したのだろう。見せしめのためだ。イラク警察が見つけたとしても、彼らのパトロールのやり方から想像するに、目に付きやすい場所だったのではないか。通報かもな。

なぜ、殺したのだろう?
犯行声明も出ていない。

・・・これだけ分析してしまうのに、不思議なものだ。自分は発見された遺体が、あの青年でないことをイメージしている。

神様、あなたが青年にお与えになったご計画がいかなるものであっても、どうか、青年の家族の手と足だけはくじかないでください。

「頭数」になるということ。

Oct. 29, 2004
ボクは今夜も集会に参加する。
参加しなくても祈り続ける人たちと、祈りをあわせたい。
そうか・・・これはボクにとって、ひとつの礼拝なのかもしれない。

各団体がおくった仲間たちの行動の結果も聞いてみたい。
48時間は過ぎた。
これが、いいサインであって欲しい。

Oct. 28, 2004

青年の解放を求める集会に参加した。
デモや集会と呼ばれるものに参加したのは、中学校の何とか集会以来のことだ。
この仕事をするようになってからは、意識的に避けてきたということもある。

国会議員の偽善的で言い訳めいたスピーチが続く。
なんで拍手するんだ?
彼らは、本来なら「今まで政治家として何をやっていたんだ、自分らに責任はないとでも言いたいのか!もっとしっかり汗かいてやれ!」と非難されてしかるべき立場のはずだ。
思わず帰りそうになったが、
「頭数」になろうと思ってここにやって来たことを自分に言い聞かせて、じっと我慢した。

首相官邸前に移動した時には、300人ほどになっていた気がする。
300人・・・これが現代日本の姿。
人質解放を求めて数万人のデモが行なわれたイタリアやフランス、テロが起きたあと、雨のマドリッドを人々が埋め尽くしたスペイン。そうした画とどうしても比較してしまう。
この国と人が、自分たちのおかした罪に落し前をつけずに、実質なき「みそぎ」と呼ばれる儀式で、自らに課すべき罰をかわしてきた末にたどり着いた日本という先進国の姿だ。
こうした集会をオーガナイズするグループの悪いクセは、永遠に変わらないのだろうか?
こんな時まで、政治色ばかり鼻につく。
政府を批判するのはいい。自衛隊撤退を求めるのも当然だ。
でも、なぜ今現場で実際に動いている連中へ、それが自分たちの仲間であれ、政府の人間であれ、「全力でがんばれ!私たちも応援している」と祈るとか、エールを送るとかいう音頭をとらないんだ。若者の主張みたいな、自分らの不満をぶちまけてる場合か?普段そういう偏狭なヒューマニズムでやってるから、いつまでも支持されないし、特殊な人種扱いされる。
卓馬が「シュプレヒコールってなんですか?」と尋ねた。

鈴木さんの静かな訴えは心に響いた。
いろいろ思っても、「あの青年を殺してはならない」ということがすべてだ。
自分に、日本人に、イラク人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろうか?
静かに祈りをあわせていきたいと、心から思う。
希望はある。分析的な見方をしても、希望はあるよ。
プラカードに目もくれず、足早に歩くOLやサラリーマン、300人と道路を挟んで向かい合い、群れる濃紺のスーツ姿の男たち・・・彼らの頭の中に青年の顔は浮かんだか?あるいは胸の中で祈ったか?「殺すな」と、どうか同じ気持ちであって欲しい。
際立つTVカメラの少なさ。ロイターとCNNが取材をしているのを見て、少しホッとしたが、それも放送されなければ、青年を救う助けにはならない。申し訳ない想いがこみ上げる。自分は何もできない。祈るしかない。
どうか神さま、彼を連れて行かないでください。

イラクでの日本人拉致

Oct. 27, 2004
日本人の青年がイラクで拉致されたという一報。
ついに現実になったか、という思いやら、また非難ごうごうだろうなとか、思う。
武装グループは「自衛隊の一員」と言ったようだが、風貌や言葉使いから、民間人だとすぐわかった。
彼の行動を非難することと、知らんぷりをすることは、行動の理屈として繋がらない。いろいろ意見はあると思うけれど、漫然と見捨てていいのか、と思う。
「見捨てない=繋がっていますよ」というメッセージは、彼に対してのものであり、同時にイラクとその国の人たちに対するものでもある。
こうしたことをきっかけに、一般の人たちは日本と日本人の行動を見極めている。

ベスランの学校を占拠した武装グループたちに向かって、「あなたたちは間違っている」と訴え、射殺された少年がいたという。彼は正しかった。

解放を求める集会などができれば参画したいと思う。
ノウハウやアイディアのある方はご連絡ください。
なぜ、今回は・・・と自分自身思うけれど、欧米人に限らず、イスラム教徒や同胞であるイラク人までが誘拐されて殺害されるようになった今、自分がどう行動するのか、イラクの人たちや国際社会から見極められていると思うからかもしれない。
実際に行動できなくても、心の隅に彼のことをおいて「祈る」ことだけでも「見捨てない=繋がっている」ことになると思う。

コメント

  1. キリスト者平和ネット より:2005年7月29日
賛同者の皆様こんにちは、キリスト者平和ネットです。
緊急行動と声明のお知らせです。
日本人青年とみられる人がイラク・サマワで武装抵抗勢力に拘束されたと報じられている事件で、WORLD PEACE NOW は本日27日、18時から、衆議院議員面会所前に集合し、首相官邸に対する抗議・要請活動を行います。

なお、日本キリスト教協議会(NCC)は、総幹事と平和・核問題委員会委員長名の連名で、また、日本基督教団が総会議長名で、それぞれ声明を出しました。この抗議・要請活動に参加します。

WPNはこの春の「人質事件」で有効であったインターネットを通じて、現地武装勢力に「あなたがたは自衛隊関係者を拘束した」と述べているが、私たちはこの青年は民間人であり、自衛隊関係者ではないという情報を持っている。

絶対にこの青年を殺してはならない、とのメッセージを届けるために努力します。
World Peace Now ホームページ
http://www.worldpeacenow.jp/

キリスト者平和ネットホームページ
http://www.jca.apc.org/~cp_...