Day-8
アル-アラム村で最も古いモスクの礼拝に参加、撮影させてもらう。小さくて古いが、ぬくもりのある素敵なモスクだ。ムッラーがまたいい。みんなのおじいさん的な雰囲気がかわいい。わかりやすいコメントだった。
ティクリーティは血縁ではなく地縁関係を表す呼び名ということを理解する必要がある。つまり、「ティクリート出身者」という意味だ。ティクリーティはいわばフセイン王朝が作り出したブランドだ。日本にも「〇〇人」というようなブランドは存在する。権力者(団体)がいて、そのもとで他よりも豊かな権利と生活を与えられ、スノッブになって他を見下すようになる。それがティクリーティというものだ。
ティクリーティという地縁関係を構成しているのは、ティクリートの主に西岸に居住するいくつかの部族だが、その中でフセイン一族の血縁にあたるのが、ベジャト族とアル-ブナサ族。ベジャト族とアル-ブナサ族が住んでいるアル-オウジャ村。ここがフセインの生まれ育った村だ。
顔無しの条件でアル-ブナサ族の青年にインタビューすることができた。やっぱり顔がフセインに似ている。口元は特に似ていて笑顔が愛らしい。アル-オウジャ村に住むフセインの血縁は、連合軍から発行された住民カードを持っていて全て登録されているようだ。
一族の1人がかつてアル-ジャジーラのインタビューを受けた時、それを知ったその人のおじが本人をひどく叱って殴ったと言う。ファディとディーナの上手な説明でOKしてくれた。話したところまじめな青年だし、きっと胸に秘めた思いもあるのだろうと思う。
アル-オウジャ村には許可なしでは入れないというので、クサイのおじの家の居間でやらせてもらった。でも、奥さんは「いろいろな人が家に来て、近所の人から詮索されて迷惑だわ。もう帰って」と声を荒げた。
時間も16:30になろうとしていたので「この状況では落ち着いてできないから明日にしよう」と言ったのだが、ファディとディーナとクサイは執拗に今日済ませようと勧めた。彼をいったん家に返してしまったら、家族に反対されて絶対にもう撮れないと考えていたからだ。戦争が終わって半年たったが、とにかく人々が周囲を怖がり、口を開かなくなってしまった。ティクリートはバグダッドよりもはるかに神経質だ。
インタビューを終え、家を出ると18:30をまわっていてもう真っ暗だった。通りを歩く人はほとんどいなくなっていた。昨日の出来事も影響していたか、さすがにみんな表情が固く、家に着くまで車中はほとんど無言。とても重い空気だった。
イラクの社会は地縁、血縁、宗教がこんがらがって非常にややこしい。フセインはこの国を治めていく過程で、これらの間に差異を作り出して境界線を引き、政治的に利用するようになった。いや、自らの支配体制を固めるために政治的に利用した結果、境界線ができてしまったのか。部族(アシューラ)間、スンニとシーアの宗教間における優劣関係を、フセインが意図的に作り出したのが、あるいは反乱への報復処罰をした結果自然に作り出されたのか、フセイン自身に聞いてみないとわからない。バグダッドだけ見てイラク社会を語ることは一面的過ぎるとあらためて思う。
昨日のDiaryの「部族間の優位関係の変化とは別に、米軍や地元の警察が攻撃する連中については、」というのが、間違っていることに気が付いた。正しくは「部族間の優位関係の変化とは別に、米軍や地元の警察を攻撃する連中については、」である。だれかに読まれている可能性があると考えると、こういうところが気になってしまう。例えば、後日に訂正する日記なんてあるのかな。
TIKRITからの車中、ほとんどおし黙っていたファディがついに口を開いた。安全について、彼は激しく意見してきた。極度に危ない危ないと繰り返し言われると、余計に気を使って迷いが生じる。迷いは感覚も判断も鈍らせる。それが怖い。現場では迷いたくない。ヘビーな言いあいになったのでもうへとへとだ。ひとつだけ、指摘されて言葉をなくしたことがある。
昨日事故現場に向かう時に側道を歩いていった。でも、地雷が埋められていることを考えて、舗装されている車道を歩くべきだった。米軍が狙われた場所なのだから、地雷が埋められていたとしても不思議ではない。実は米兵にホールドアップされたことより危なかったと自覚した。わかっていたはずなのに……運が良かったとしか言えない。
彼は”I know Iraqi people, better than Iraqi.”と言ったが、それは事実かもしれない