後ろ手に

Day-16
ここでの生活が快適になってきた。環境に馴染んでしまった。つまりアメリカの占領下にある日常生活に慣れて、ここで生活する人になっている。こうして境界線がなくなってきてから見えてくることもきっとあると思う一方で、誰に何を何のために伝えるのか、という基本的な立場の違いを見失いそうになる。ジャーナリストは自分の国籍や人種を意識せずにはできない部分もあるので、ここの住民になったと自分を安易に肯定してはいけない。ただ、この国の日常をいろいろ見て感じて今までよりはるかに取材対象に馴染んでいる。自分にとっては良い経験だと思うし、正しいステップのはず。

素材が揃ってきたし、ストーリーも消化してきた。これ以上、何が必要でどんなストーリーがとらえられるのか、浮かばなくなってきている。貯めたものを一回吐き出してみる時が来ているのかも知れない。撤収時期だ。

ダーワ党の活動を取材。先日よりはみなさんの目つきが優しかった。警戒を解いてくれたのかな。

簡単な職安機能と新聞発行部門がある。新聞上には「ブラック・ファイル」というコーナーがあり、フセインの親派だった学者や知識人などを紹介して読者にパージを呼びかけている。弾圧されたシーアの人たちからすれば当り前のことかもしれないが、こうしたフセイン親派バース党狩りが他の人たちにシーア派への恐怖心を与えている感は否めない。フセイン時代は普通の小学校の先生だって1人残らずバース党員であったわけだから。

案内してくれた事務方トップは、護身用に拳銃を携帯していた。それを隠そうとする態度が気になった。表面ではシーア、スンニ他全てのイラク人の連帯をポリシーに掲げておきながら、一方で見えない後ろ手に武器を隠し持っている。「この人は殺されることがそんなに怖いのか」そう思うと同時に「この人は平気でだますのだろうな」と思ってしまう。相手を信用しない人物が、相手から信用されることは難しい。基本的なことだと思わないのか?

夜、タラルにいつ頃この国にシーア派とスンニ派の間に溝ができたのか?聞いた。タラルはバグダッド生まれのクルド人だが、親戚のほとんどはスレイマニアに住んでいる。彼に、タラバー二を支持するか?と聞いた。答えは「ノー」。選挙に行くつもりもないと言う。フセイン大統領の信任選挙にも投票に行かなかった。その時は脅されたらしい。

フセイン前→フセイン誕生→イラン・イラク戦争→フセイン後を生きてきたタラルの話は興味深く、取材で得た視点や知識に深みを与えてくれる。

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