ロシアのテレビ局がシリア政府軍に従軍取材したレポート。
http://www.youtube.com/watch?v=gZkDbjMh7ok
ナレーションはわからなくても映像には記録されている。右往左往する市民の不安、憂鬱な表情情、徹底的な破壊、憎しみ合い殺し合いの応酬、、、こうした映像を嘘とかプロパガンダと言葉で決めつけるのは簡単なことだ。そして、気に入らなければ反政府側がアップしている映像を観て納得すれば良いことだ。
シリアの内戦は映像戦争でもある。政府側、反政府側、双方とも映像を使用し、自分たちこそが「正しい」のだ。
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子どもたちに教育を届けたい~シリア・ユニセフ日本人教育官の挑戦~
園田智也(35)、内戦化のシリアで働く唯一の日本人だ。現在、国連の政治的活動を担う監視団などは撤退してしまったが、国連児童基金(UNICEF)、世界食糧計画(WFP)、国連高等弁務官事務所(UNHCR)などの人道支援機関は、ダマスカスを拠点に活動している。
ダマスカスや政府支配地域では、これまで通り学校で授業が行われている。子どもたちの元気な姿がある。しかし、各地の戦闘激戦から逃げてきた家族が日毎に増え、どの学校も定員の倍の生徒数を抱えている。ユニセフの教育担当官 園田は、放課後を使用した「クラブ」と呼ばれる課外授業を広めて行こうとしている。学習が遅れ気味の転校生の補修、安全な遊び場の提供が大きな目的だ。
実は、この二年間、シリア国内での人道支援は様々な形で行われてきたが、活動範囲は制限され、継続的なプロジェクトもできなかった。内戦化のシリアで活動する難しさをこう語る。
「私たちはあくまでも政府と一緒にやって行かなければならない。でも、政府自体が情報を把握できない場所、アクセスできない地域がある。我々も自由に計画して動けるわけではないところが歯がゆいですね」
赴任して、一か月強、初めてダマスカス以外の地域への移動許可が出た。中部の街 ホムス。盗賊や誘拐事件も発生しており、道中も気が抜けない。内戦初期の激しい戦闘でホムスは街の半分以上を反政府軍が押さえている。一方、政府軍支配地域では普通の物資に困った様子もなく、普通の暮らしが営まれている。
園田たちが訪れた小学校では、音楽、図工、スポーツなどの「クラブ」活動が行われていた。ほっと胸をなでおろす園田。しかし、子どもたちに話を聞くとそれぞれ内戦の傷を抱えていた。
「大きな戦闘があって…家族でここに逃げてきました。」
「毎日砲撃の音がして、怖いです」
「いとこが死にました。誰に殺されたのかは分かりません」
音楽教室では、バシャール・アサド大統領を賛美する歌を練習する子どもたち。大統領は好きか?と聞くと「シリアを守ってくれている人です」と少女が答えてくれた。
園田は固い表情で言う。
「もう二年もたっていますから、学校に行けない地域の子どもたちになんとか教育を届けたいと思うのですが…。(戦争で)学ぶ機会を失くしたり、内容が異なっている現状では、仮に内戦が終結しても教育の再構築には膨大な時間がかかると思います。先は見えません。」 ###
スナイパー・ストリート~要塞都市ダマスカスの綻び~
「まずはっきりしておく点があります。『自由シリア軍』というものはシリアには存在しません。この国にあるのは、シリア国軍だけです。」
シリア国営テレビの記者であり、著明なキャスターでもあるジャファ・ナスララ氏(37)は答えた。ジャファ氏は、アル・カーイダと関係があるとされる反政府過激派グループの捕虜を数多くインタビューしてきた。その映像には、リビア、チュニジア、サウジアラビアのパスポートを持った捕虜たちが質問に淡々と答える姿があった。「彼らは、テロを聖戦と呼ぶスンニ派の指導者たちに騙され、マインド・コントロールされて反政府を名乗ってシリアに来たんです。彼らのような若者には気の毒な感じを持つこともあります。」
一方、取材する側としてアレッポで亡くなった山本美香さんのことをどう思うか、尋ねてみた。「同じジャーナリストとして悲しく思います。でも、戦闘地帯ではあり得ることで、彼女がシリア国軍の方から取材していたらあんな事故は起こらなかったでしょう。」
バリケードが幾重にも重なり、おびただしい数の秘密警察、検問、軍人の数、途切れることのない砲撃音。要塞都市ダマスカスは、メディアから街中の路上まで徹底して「シリアはひとつ」「我が国を混乱に陥れようとする湾岸アラブ諸国の干渉は受けない」と鼓舞する。
そんな要塞都市ダマスカスの中で、人影がまばらな地区がある。反政府軍が活発に活動する南東部ダラアへ続く道路の出入口だ。この地区の目抜き通りは「スナイパー・ストリート」と呼ばれ、毎日住民が狙撃され亡くなっている。通りを深く入って行くと住民たちが、炎天下の中、シリア軍の検問所前で長い列を作り家に帰れるのを待っていた。疲れきって壁の日陰に座り込む人たちも多い。この地区に住むのはパレスチナ難民の人たちだ。ヨルダンとの国境に近いパレスチナ難民居住区は、シリア国軍がスンニ派武装勢力の侵入を許しているダマスカス唯一の“ほころび”だ。
シリアがこの地区に反政府武装勢力が入り込むのを許した背景には、パレスチナ難民が、反イスラエルの象徴であり、これまで彼らに独自の治安組織や自治を認めてきたために対応が遅れた。今はシリア軍が完全に管理している。
スナイパー・ストリートに面したマンションに住む中学生は、自転車の荷袋にたった一枚だけパンを入れていた。「学校も閉まったままだし、危ないからほとんど外で遊べない。家に帰るのも一苦労なんだ。早く学校に行けるようになって友達に会いたい」と、屈託なく語る。人影のない真っすぐな「スナイパー・ストリート」にまた銃声が響いた。
内戦下のシリア~首都ダマスカスは今~
大きな砲撃音が絶えない首都ダマスカス。すでに観光シーズンは始まっているにも関わらず、観光客はまばらで、閉まったままの店も多い。歩いているのはもっぱらダマスカスに住む一般の市民だ。
仕事や学校を終え、カフェで水タバコを吸う男性たちは、「商売は30%ほど落ち込みました。仕方ありません」「ダマスカスまで本格的に戦闘が及ぶとは考えていません」と答えた。街には、コンクリート製のバリケードが何重にもおかれ、そこかしこに軍人の詰め所や検問がある。まるで、巨大な軍事基地の中に市民たちが住んでいるかのようだ。「以前の安全で安定した生活が欲しいです」というサンドイッチ屋の店主の言葉はほとんどの市民の思いを代弁している。
ダマスカスには、イスラム教シーア派の人たちが聖地として訪れる場所がある。門の柱には、反政府軍との戦いで亡くなり「殉教者」となった若者たちの写真が貼られている。隣国レバノンとの国境地帯に住むシーア派部族の若者たちだ。「若者たちは、単に反政府軍と戦うために来ているわけではありません。我々シーア派にとって聖なる場所を守るために戦っています。いろいろな国から来る若者たちのために食料、お金などを常に用意しています。」
ダマスカスの台所と言われる市場を訪ねた。経済制裁の中にあっても物で、生肉や生鮮野菜、果物などが所狭しと並ぶ。主婦に尋ねると「物価は二倍、三倍、物によっては五倍になっています。特に、肉類は高いので、一か月の最後に家計を見ながら買うようにしています。」一方、店主は、「輸送コストが大きく上がって、仕入れ値が高くなりっぱなしで、売り上げもさっぱりだよ」と嘆く。
取材中、爆音とともに、空高く煙が上がった。現場に駆けつけてみると、戦闘が起こっているダマスカス近郊の街の方角からだった。レポートしようとすると、タクシーの運転手が車から猛烈な勢いで下りてきたと思ったら、カメラのレンズをふさいできた。あっというまに3人の男に囲まれた。私服の秘密警察官たちだ。執拗にテープをよこせと迫ってくる。付添っていた情報省職員が取材許可証を見せて説明しても引き下がらない。口論の末、なんとかテープ没収はまぬかれたが、旧来からの相互監視システムが今は路上で公然と行われているのを垣間見た出来事だった。おびただしい数の秘密警察、国軍兵士、地域の自警団、検問…普通の生活があると思いきや、首都ダマスカスはまぎれもなく戦時下にあった。
シリア内戦-今どうなっているのか?
戦略が見えない反政府勢力
今、シリア国内での戦闘の様子を伝えているのは、反政府側の活動家たちだ。彼らは、スカイプや電話を使ってスタジオのキャスターにレポートする。中には、首都ダマスカスに反政府軍が攻勢をかけていると言う報告も多い。本当にそうなのか?実際にシリア内戦は今どうなっているのか?発信者の思惑の絡む彼らの映像や報告から、その真偽をはかろうとするのはとても難しい。私は、北のトルコとの国境から首都ダマスカスを目指した。いったいシリア国内の街や一般市民の生活はこの膠着状態の中でどうなっているのか?自由シリア軍の力は政府軍を凌いでいると言われる。ならば、アサド政権はいつ崩壊するのか?それともまだ先のことなのか?取材からわかったことは、首都ダマスカスは未だ遠く、内戦はこの膠着状態のまま、人々は疲弊した暮らしの中から抜け出せるとっかかりすら見えないということだ。
シリア最大級の陸軍基地に隣接する街マアラ・ノアマンは、イスラム原理主義グループによる激しい戦闘が繰り広げられている中部イドリブ県の中心都市。歴史遺産と商業で有名な街だ。また、ダマスカスへの道のちょうど境目に位置している。政府軍は、戦車中心の地上戦から戦闘機による空爆に戦いの方法を大きく転換。兵士たちの姿は街から消え、基地の中から迫撃砲で周辺の町や村を攻撃する。24時間、東西南北で砲撃音や空爆の音が続く。
「一枚ではない」と揶揄される自由シリア軍。町や村あるいは家族や親戚といった小さな単位でグループを構成し、血の結束の強さと信仰心にもとづくまとまりの良さは政府軍とは違った独特の結束強さがある。しかし、彼らの戦いは「進軍する」というものではない。任務は、あくまでも自分の町や村を「守る」ことなのだ。
ユニセフ「半世紀ぶりの支援」-東日本大震災 支援活動の記録-
東日本大震災から、間もなく二年を迎えます。
この度、日本ユニセフ協会では、2年間の活動を振り返る動画を作成しました。
ぜひ、ご覧ください。
1)2年間のまとめ(13分弱)
http://www.youtube.com/watch?v=01Ie0IA0yNc
2)保育園・幼稚園再建支援プロジェクト(3分弱)
http://www.youtube.com/watch?v=BFHeW7x82IQ
インデペンデント・プレスは、ユニセフの支援活動を記録する事に協力させていただきました。
広範囲に、緊急を要する大災害の支援を記録する事は、言葉ほど容易なことではありません。
支援活動が一番の目的ですから、記録は常に1人で行います。
被災した土地と人たちを眼の前に、何一つ、特別なことはできずに自らの限界を思い知らされる場面ばかりでした。
記録班の誰もがこみ上げてくる感情を抑え、ただ、ただ、必死に「記録する事」に取り組んで来ました。
私たちは今、未曾有の大災害を取材したという経験と、あの時に抑え込んだ感情を少しずつ思い出しながら、この地球のどこかで同じ空を見上げています。
【ユニセフ東日本大震災記録班】
後藤 健二:ヴィデオグラファー、統括ディレクター
石井 暁:ヴィデオグラファー
菊島 政之:ヴィデオカメラマン
村松 直:ヴィデオカメラマン、エディター
須田 卓馬:スチルカメラマン
三浦 麻旅子:スチルカメラマン
制作会社ビーパークの皆さん:サウンド、グラフィック他
[協力]
岩手県、宮城県のユニセフ・カーを事故なく運転してくれたドライバーの皆さん
岩手県、宮城県のユニセフ・カーを丹念に整備してくれた整備士の皆さん
最後に、ユニセフ東日本大震災 支援活動の記録/制作にご協力とご尽力をいただいた皆様、地元の皆様、そして子どもたちに、心より御礼を申し上げます。
ルポ:Rebuild Japan, spring
皆様へ、
宮城県女川町にある女川第二小学校と第四小学校の合同始業式&入学式の様子です。
ピカピカの一年生を迎えた新六年生の少年は、「この歌を送ります」と言います。
途方もなく長い復興への道のりにあって、これは小さな一歩かもしれません。
しかし、子どもたちの未来への確かな力強い一歩です。
http://www.youtube.com/user/UNICEFJapanNatCom#p/u/1/SPXpdj7s5s0
ポスト・プロダクション・ディレクター:後藤健二 エディター:村松直(ビーパーク)
Dear my brothers & sisters,
There is the voice from children who are “Back To School”. A boy, around 12 years old , said we present you our song. This might be a tiny step from returning to their normal life. However, it is a difinite and strong step for their brilliant future.
http://www.youtube.com/user/UNICEFJapanNatCom#p/u/1/SPXpdj7s5s0
post production director: Kenji Goto, editor: Nao Muramatsu (B-park. Inc)
特集 Special: Rebuild Japan
http://www.youtube.com/user/unicefjapannatcom
ユニセフ緊急人道支援の記録です。
ここから、子どもたちへの本当の支援が始まります。
日本の子どもたちも世界の子どもたちも、平等で同じ権利を持っています。
皆様、ぜひご覧ください。
Now here is braodcasting for emergency relief & activity of UNICEF on the ground.
These seem like a worldwide support just on the horizon for the children.
They have equal and same rights, No differences & No matter who are living In Japan or other place under any hersh situation.
Please, just look at our reportages.
取材・撮影・制作: 後藤健二、石井暁
report / camera / production: Kenji Goto, Akira Ishii
narita unit: Watabiki (Eiko inc.)
ルポ: Rebuild Japan
三月二十一日
3月21日 00:58
[石井暁 記者より通信] mail from Akira Ishii, journalist
お疲れ様です。東北自動車道福島ジャンクション手前で検問。高速降り長くストップ。福島原発で放水活動した消防車数台が対抗車線を通るとの事。車両が放射線浴びてるので付近の一般車両は退避。チェルノブイリで、消化作業した車両を安全区域に出さず、その場で放棄してるのを思い出す。車内から見えず外から撮ろうとしたが、危ないので外出るなと言われ、知らんうちに消防車通り過ぎ、再びスタートし今徐行。到着が後三時間位。
ルポ: Rebuild Japan
三月二十日
ユニセフ・ソマリア事務所のオフィサー國井氏が仙台入り。
県庁の災害対策本部やみやぎ生協を精力的に回り、現状とニーズの把握に努める。
宮城県医療対策本部に詰めている医師たちは文字通り不眠不休、
五日間服も変えていない。知り合いの医師たちと旧交を温める間なく行った
医療保険に関する現状のヒアリングでは、人員不足、統制/コーディネーションのとれていない状況に
もう一週間もたっているのに…と険しい表情を見せる。
みやぎ生協の五十嵐さんの引率で本部に。ガソリンの無い中、自分の車で駆けつけてくれた五十嵐さんに感謝。
県下900か所以上の避難所、避難民およそ15,000人の情報を把握している同団体の横のつながり、組織力は希望の綱だ。
日毎に変わるニーズ。当初は、食糧と水だったが、現在は下着や衣類、子どもの精神的支援という。
逆に、避難所から自宅に帰り始めた人たちにとっては、ガス、断水が続く中、食糧と水が非常に貴重なものになっている。
人々の移動によって、生活環境が変わり、ニーズも刻々変化する。
人道支援で常に問題となること―需要と供給のマッチング―その難しさを感じる。
県庁の災害対策本部は、それぞれの組織/団体がひとつの大ホールにすし詰め状態にあり、ごった返しているが、
ひとつにまとまっていない感が否めない。
悲劇的なまでの経験ある人員の不足と、国、県レベルのリーダーシップの欠如…。
午後一時、岩手盛岡行きの高速バスに乗り込む。
災害派遣の自衛隊車両、救急消防車両は東京―宮城間より多い。
コメント
- 千珠 より:2011年3月24日
yahoo usa も help Japanでした。
仙台は、人も医療も物資も潤沢に集まっています。
問題は、福島です。兵糧攻めです。
でも民間人は、だれもその事を攻めることはできません。
3回も放射能に苦しめられる日本はなぜなのでしょうか。
こういうときにこそ、国のリーダーの資質が問われます。
パホーマンスは、もう飽きました。
自己愛ではなく、自国のことを考えるリーダーが必要です。