PRESS ROOM:結果としての事実だけを捕えること-3

結果としての事実だけを捕えること-3

今回「伝える側の注目点」として、「脱原発」を訴えた株主提案は否決されたという事実を取り上げるのはわかる。
賠償に関する株主からの質問と、会社側の答えは、株主総会で議論があって当然の話題だ。
否決されたものの、賛成票が例年の5%程度から8%に上がったという数字は付随情報として新しい事実と言えばそうだろう。
(どちらかと言えば、利益を追求していく中でコストの安い原子力発電を進めてきた民間会社の株主でありながら、
例年「脱原発」意見する人たちが5%程度はいたということの方が「ふーん、そうだったんだ。その人たちは東電に何を求めて株を保有しているのか」と興味がある。
増えた3%の株主をもって『福島第一の事故があったから「脱原発」を考えるようになった人たちは、3%程度』と暗に言わんとしているように解釈することも可能だ。)

しかし、何よりももっと例年になくめずらしい“NEW”で、“もっとここが知りたかった”という事実はなかったのか?
あったはずだ。
例えば―
・明確な安全の基準とは何か?
・落っこちた株価をどのような方法で取り戻そうと考えているのか?
・他の電力会社の保有する原発との比較論はなかったか?
・ドイツなどの政策を例にしたエネルギー政策の話などはなかったか?

それらを知るには、議事録を読むしかない。
「記事」ではなく「記録」を読めば済むことなのである。
一般でも時間のある人ならそうすれば良いと思う。一方で、時間の無い人はどうする?
マスメディアは「記録」だけを淡々と載せるだけではつまらないし、成り立たない。
マスメディアの役割とは何なのか?
ジャーナリズムはマスメディアのどこに存在し得るのか―個人に依拠するのか、組織全体に依拠するのか?

好むか好まないかに関わらず、読者や視聴者にその判断をゆだねるしかないのが現状だ。

PRESS ROOM:結果としての事実だけを捕えること-2

結果としての事実だけを捕えること-2

厄介なのは、TVニュースのナレーション。
“視”からの情報と“聴”からの情報があいまって、ついつい誘導されがちになってしまう。

東京電力の株を保有する福島県南相馬市の桜井勝延市長の実名/固有名詞を出して、
脱原発の株主提案のまるで代表のように書いたナレーションもある。
彼は、放射線の恐怖を抱えて不安な日々を送っている住民たちから選ばれた首長なのだから、
脱原発を訴えるのは「至極当たり前の態度」だ。

「至極当たり前の態度」をわざわざニュースのナレーション原稿とするのはなぜか???
“NEWS”なのだから、当たり前のことだけでなく、めずらしい“NEW”で
もっと“ここが知りたかった”という発言や行動を取り上げるべきではないか。
(少なくとも、私はかつてプロデューサーやデスクからそんな言葉をよく言われた。)
賛成意見、反対意見、それぞれを併記して「公正中立」の体裁だけ整えたナレーションは、
これまた視聴者をやんわりと(そして新聞よりも明確に)欺いていると言える。

東電株主総会に関して、「明かなる結果としての事実」だけを捕えようとすると、
・株主総会が開かれた/6月29日
・開催場所
・参加人数
・開催時間
・討議・議決された議案の数/それぞれの賛否票数(%ではない)
・「脱原発」という文言の入った定款の一部変更の株主提案は否決された
・会社側の提案はすべて可決された/社内人事は了承された
・賠償問題が話された

以上なのである。

PRESS ROOM:結果としての事実だけを捕えること-1

結果としての事実だけを捕えること-1

報道機関、特に新聞はその記事や社説から立場や意見が簡単にわかる。
そして、そうした立場から記事や社説を書くことがあって当然のことだ。
但し、「弊社は○○に賛成します」とか「この政策を支持します」といった
“はっきりとした立場表明”がなされていることが前提だろう。
(ご存じだったでしょ)的な態度は、「公正中立」の名のもとに読者を
やんわりと欺いていると言える。
東電株主総会の記事や社説を読み比べてみる。
見どころは、会長や社長の数ある発言の中から、どの発言をピックアップしているかという点。
例えば、以下の三つを比べてみるだけでもずいぶん違う。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011062990020320.html
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110628-OYT1T01270.htm?from=y10
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110629k0000m070165000c.html