チュニジア・バーニング 02・27
27日午後3時半、チュニス郊外に住む女子大生と家族の取材から戻った。目抜き通りには催涙ガスの名残りが薄く漂っていた。上空にはヘリコプターがいつもより低く旋回している。(ああ、暴動は今日もあったのだな)と思いながらホテルの部屋に戻る。しばらくするとデモの声が轟のように聞こえてくる。いつもと違うリズムと音色。バルコニーに出て見る。軍の装甲車がデモの参加者たちにとり囲まれている。中には、装甲車の上に乗っている者もいる。でも、装甲車は動こうとしている。信じられない光景に眼をこらして見る。装甲車は動こうとしている。反射的に(危ない状況だ!)と感じ、カメラをとってホテルの外に出た。
どうも様子が違う。周囲の治安警察も市民と混ざり合い、遠まきに見ている者もいる。衝突ではない。それどころか何かを祝福している。
独裁のベンアリ前大統領がサウジアラビアに逃げ出した後、暫定政権を樹立して選挙までの政権運営を担っていた前政権のナンバー2、ガンヌーシ首相が辞任を表明した。過激なデモ、平和的なデモ、いずれにしても要求は前政権の下で政府の要職にいた者たちの辞任だった。それが成し遂げられたのだ。
兵士と市民が何やら口論している。いや、口論ではなく、激しい「議論」だ。握手をする兵士と市民、装甲車の前で記念写真を撮るカップルや普通の若者たちもいる。私の左脇にいた年老いた(そう見えた)男性が「時計を撮っておけ」と私の肩口から声をかけた。(そうだ!時間だ!)と時計塔にカメラを向けた。午後4時50分。チュニジア「ジャスミン」革命・第二幕は突然幕が下りた。
今度は、私服警官に腕をつかまれた。やや酒臭い。(また連れて行かれるか)と思ったが、そうではなかった。有刺鉄線の向こうに並ぶ黒マスクをかぶった治安警察官たちを撮れと言う。両手を上げて喜ぶ者、笑顔でカメラに手をふる者、厳しい眼差しで状況を凝視している者、煙草を吹かす者、皆それぞれだ。なおも私の腕を引っ張り、有刺鉄線を越えて内側に行くと、警察署本部には、逮捕された者が次々連れてこられる。彼らを指さし「こいつらは泥棒だ!」と言う。ある警官は撮れと言い、ある警官はそれを制止する。もう、わけがわからない。政府のトップが居なくなった今、これまで石を投げられていた側の治安警察官たちにはある種の空虚感さえ感じられた。中には、ストレスを爆発させている者もいた。リンチとは言えないが、逮捕連行した「泥棒」たちを引き回し、殴る蹴る、ペットボトルの水をぶっかけるわ、もう統制はとれていなかった。仮に、彼らが本当に「泥棒」だったとしても、少なくとも多勢に無勢であり、すでに抵抗もできない。眼の前で暴力を見るのは至極気分が悪い。さっさとその場を離れたかったが、日に焼けたトッポジージョのような風態をした酒臭い私服警官は私の腕をつかんだまま離さない。散々ひきまわされたあげく、ようやく有刺鉄線の外に連れて行かれた。
街には私服警官が溢れていた。棒を持っているからすぐわかる。その向こうでは、四、五人の警察官にまた一人連行されている。しかし、思えばこの三日間の暴動で、警察が銃を発砲したのは威嚇/警告のための発砲のみ。これには妙な感心をおぼえた。チュニジアはやはり、良くも悪くも「警察国家」だったのだ。訓練された治安部隊だ。
こうした混乱期に治安は悪化する。盗みや放火、破壊行為が横行する。今後警察の役割は、デモ隊と戦うことではなく、市民を犯罪から守るという警察本来の基本的な仕事に移って行かなければならない。長年染み付いた秘密警察的なやり方を変えて行くことができるのか?そんなことを考えながら、街の様子を確かめて廻った。カメラのテープは終わっていたが「見て、自分を浸す」ことが重要だった。
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緊急ルポ!チュニジア・バーニング
チュニジア・バーニング 02・25
チュニス。2月25日午後7時。内務省と警察署本部をデモ隊が襲い、催涙弾と石が飛び交う激しい暴動が目抜き通りで起こった。
滞在中のホテルのロビーには意識を失った若者、座り込んで眼や鼻をおさえる若者が溢れている。
外に出る。「神は偉大なり!」と叫びながら投石する若者たち、警察も怒り狂って催涙弾をバンバン撃ってくる。放水車が水を放ち、路面がぬれている。デモ隊は、催涙弾が撃たれては引き、少し収まると前進するという一進一退の攻防が続く。脇道には催涙弾で動けなくなった男たちが暗闇の中でうめいている。ここに一緒に居ても仕方がないと大通りに出て、盾になる場所を探しながら、デモ隊と警察・治安部隊が相対している前線を目指す。現場で自分込みのレポートをしながら撮影する。眼薬を何回さしたか、わからない。花粉症防止マスクが役立った。バリケードの二列目から撮影。双方が激しい言い合い(なじり合いか?)をしている。催涙弾が背後に着弾。放水車が水を向けると同時に、前線のデモ隊は走って後退する。
その時、誰かに引っ張られた。一緒に走って下がる。
その途中で建物の入り口のくぼみに体をはめ込んだ。ごうを煮やした警察と治安部隊が鎮圧にかかり、一気に前進を始める。「前線」が私の目の前を通り過ぎていく。私のいた場所は警察と治安部隊の側に入った。捕まり/保護され、取材はジ・エンド。デモ隊はチュニジア最大のモスクの方向に吸い込まれて行った。
気を付けてはいたが、取材中に投げられた石が腕に当たるなど危険を感じたので撤収、モスクまで行くのはやめた。
昼間の数万人デモはチュニジア全土から人が集まってきたものだった。リビア、パレスチナ、サウジなど、他のアラブ諸国の旗も見られた。しかし、あくまでもチュニジアの一般市民のデモと要求であり、「イスラム法による社会の実現を求めるか?」という質問を向けてもyesという答えはなかった。さらなる政治的改革を求める平和的なものだったのに…。
しかし、夜の暴動を見るに、若者の行き場の無い怒りや不満が過激なイスラムへの信条へと繋がって行くような光景が目の前で展開されている。投石する若者、そう、過激なイスラム色が強い。昼間に見た外からのアラブ人(一見チュニジア人を装っているのか…)が暴動に参加しているのだろうと頭をよぎる。まさに今、この政治的空白と社会の変革機を突いてイスラムの過激な部分が入って来て、表面化して来ている。
見たところ、TVジャーナリストは僕一人だったらしい。地元の民放(名前は聞かなかった)からテープを売ってくれと言われたが断った。
チュニジアは他国の民主化運動と台頭化する過激なイスラムを渦のように巻き込み、新たな炎が燃え上がりつつある。