Day-13
シーア派聖地カルバラ取材1日目。バグダッドとは空気が違う。最初に、ここカルバラ最大の“売り”聖人イマム・フセイン廟を訪ねる。美しい青、水色、緑、黄色、赤(だと思う)・・・のタイル、建築、すばらしい。
もうひとつの聖地ナジャフで爆弾テロがあってから入り口でのボディチェックと荷物チェックは厳しく、自由に出入りすることはできない。鋭い視線の警備員に “Christian?”と聞かれて、聞こえなかったふりをする。最近では記憶にないことだ。女性に対しても厳しい。女性は黒い布で全身を覆うことを要求される。街中でもそれ以外の格好をしている人は1人もいない。入り口は男女別々だし、女性のボディチェックも厳しい。バグダッドとはやはり大違い。入り口で待たされること、10分ちょっと。警備員に随行されて、警備責任者の部屋へ連れて行かれる。偏見かもしれないが、表情のない目をしている。
1 時間ほど、イラクのシーア派について、カルバラについていろいろ聞いた。イスラム教の理解にはすごく役立った。でも、とにかく雰囲気が厳格。良く言えば荘厳で敬虔、悪く言えば排他的で差別的だ。撮影自体は問題なかった。ただ、ムスリムではない自分は廟の中にまでは入れず、ファディに撮ってきてもらう。フセイン廟そのものはすばらしいので、「映像を見たら来てみたいと思う人たちは大勢いると思いますよ」とリップサービスで言うと、口元が緩んで表情が出てきた。これまで訪れたどのイスラム空間よりも緊張した。
預言者ムハンマドの孫で、正直なムスリムの教えを説いたイマム・フセイン一族が戦争で惨殺された逸話は、悲劇の物語として人々の心を打ち続けている。翻って考えれば、キリストの受難の物語も同じ。偏見を持ってはいけないと思うけれど、「同じですね」と軽々しく言えない雰囲気はあったな。
聖地らしく、ラマダン期間中はイスラム教に関係ある機関や行事は休業状態。警備責任者にも、「ラマダンだから何もできない。もうしわけない」とあっけなく言われてしまった。
3日間の予定でカルバラにてシーア・ストーリーを取材しようと考えていたが、今日1日で十分だと判断。聖地が撮れただけでも良かった。
この国の抱えるもうひとつの断層「宗教」‐スンニ派とシーア派。基本的には同じイスラムだし、目に見える違いに限って言えば、様式の違いでしかない。焦点は政治的野心だ。占領下の今、彼らは市民レベルで何をしているのか、を見たい。今日行って話してみて、カルバラやナジャフは聖地であって政治の中心ではないことがわかった。イスラム教系政治団体の本部は今ほとんどがバグダッドにある。バグダッドで、シーア・ストーリーを考えたい。
道路は舗装されているが、バグダッド-TIKRIT間の道路に比べると狭く、凹凸も多かった。
20: 00 エヤットの自宅を訪ね、インタビューをお願いする。もと情報省の幹部をしていた友人と酒の席たけなわにお邪魔した。女性が宴会で踊っているビデオを肴に、大声で笑ってぐいぐいやってる。新橋か?ここは、と笑ってしまう。ぺルノーと同種のイラクの薬草酒。ものすごい勢いで勧めるし、飲みたい衝動が沸き上がったけれどがまんした。
エヤットはもと刑事。フセイン時代に警察官をしていた人たちの8割が新しい警察に復帰する中、彼は復職しない少数派だ。彼は、強盗などを捕まえて刑務所送りにしてきたため、当然敵も多い。警察や自分が狙われていることを肌で感じるという。
戦争前、フセインは受刑者に恩赦を与えた。戦争後、刑務所を出た犯罪者たちが略奪や殺人を起こし、治安悪化の一因となっている。
エヤットは16歳の頃から15年も警察につとめてきた。この仕事が大好きだし、巡査から犯罪捜査をする刑事に昇進して仕事に誇りを持って生きてきた。市民の安全のために働いてきたと心から思っている。彼も彼の家族も裕福でもなんでもないごく普通の庶民だ。
彼は酒びたりの日々が多くなった。「もどれることならもどりたい」誇りを持って生きてきた一般市民たちの年月に、誰が、どう答えることができるのだろうか。
23:45 爆発音の後、マシンガンの機銃掃射の音。そう遠くもなさそうだ。
昨日も夜、同じように爆発音とその後マシンガンの音がした。30分ほどして、爆発音のした方角に複数のヘリが飛来する音がして1時間弱プロペラの音が聞こえていた。停電で真っ暗だし、空には何も見えないのだが……。気のせいか、2日前ぐらいから米軍の動きが慌しいように感じる。道路ですれ違うロジ部隊の規模も大きく、回数も多い。夜間は頻繁にヘリが飛行している。だんだん珍しくなくなってきて視線をやることもなくなってきたが、何が起こるかわからないから常に視線はむけるようにしておいた方がいいかもしれない。