子どもたちに教育を届けたい~シリア・ユニセフ日本人教育官の挑戦~

 園田智也(35)、内戦化のシリアで働く唯一の日本人だ。現在、国連の政治的活動を担う監視団などは撤退してしまったが、国連児童基金(UNICEF)、世界食糧計画(WFP)、国連高等弁務官事務所(UNHCR)などの人道支援機関は、ダマスカスを拠点に活動している。

 ダマスカスや政府支配地域では、これまで通り学校で授業が行われている。子どもたちの元気な姿がある。しかし、各地の戦闘激戦から逃げてきた家族が日毎に増え、どの学校も定員の倍の生徒数を抱えている。

ユニセフの教育担当官 園田は、放課後を使用した「クラブ」と呼ばれる課外授業を広めて行こうとしている。学習が遅れ気味の転校生の補修、安全な遊び場の提供が大きな目的だ。

実は、この二年間、シリア国内での人道支援は様々な形で行われてきたが、活動範囲は制限され、継続的なプロジェクトもできなかった。内戦化のシリアで活動する難しさをこう語る。

「私たちはあくまでも政府と一緒にやって行かなければならない。でも、政府自体が情報を把握できない場所、アクセスできない地域がある。我々も自由に計画して動けるわけではないところが歯がゆいですね」

赴任して、一か月強、初めてダマスカス以外の地域への移動許可が出た。中部の街 ホムス。盗賊や誘拐事件も発生しており、道中も気が抜けない。内戦初期の激しい戦闘でホムスは街の半分以上を反政府軍が押さえている。一方、政府軍支配地域では普通の物資に困った様子もなく、普通の暮らしが営まれている。

園田たちが訪れた小学校では、音楽、図工、スポーツなどの「クラブ」活動が行われていた。ほっと胸をなでおろす園田。しかし、子どもたちに話を聞くとそれぞれ内戦の傷を抱えていた。

「大きな戦闘があって…家族でここに逃げてきました。」

「毎日砲撃の音がして、怖いです」

「いとこが死にました。誰に殺されたのかは分かりません」

音楽教室では、バシャール・アサド大統領を賛美する歌を練習する子どもたち。大統領は好きか?と聞くと「シリアを守ってくれている人です」と少女が答えてくれた。

園田は固い表情で言う。

「もう二年もたっていますから、学校に行けない地域の子どもたちになんとか教育を届けたいと思うのですが…。(戦争で)学ぶ機会を失くしたり、内容が異なっている現状では、仮に内戦が終結しても教育の再構築には膨大な時間がかかると思います。先は見えません。」                                 ###

スナイパー・ストリート~要塞都市ダマスカスの綻び~

「まずはっきりしておく点があります。『自由シリア軍』というものはシリアには存在しません。この国にあるのは、シリア国軍だけです。」

シリア国営テレビの記者であり、著明なキャスターでもあるジャファ・ナスララ氏(37)は答えた。ジャファ氏は、アル・カーイダと関係があるとされる反政府過激派グループの捕虜を数多くインタビューしてきた。その映像には、リビア、チュニジア、サウジアラビアのパスポートを持った捕虜たちが質問に淡々と答える姿があった。「彼らは、テロを聖戦と呼ぶスンニ派の指導者たちに騙され、マインド・コントロールされて反政府を名乗ってシリアに来たんです。彼らのような若者には気の毒な感じを持つこともあります。」

一方、取材する側としてアレッポで亡くなった山本美香さんのことをどう思うか、尋ねてみた。「同じジャーナリストとして悲しく思います。でも、戦闘地帯ではあり得ることで、彼女がシリア国軍の方から取材していたらあんな事故は起こらなかったでしょう。」

バリケードが幾重にも重なり、おびただしい数の秘密警察、検問、軍人の数、途切れることのない砲撃音。要塞都市ダマスカスは、メディアから街中の路上まで徹底して「シリアはひとつ」「我が国を混乱に陥れようとする湾岸アラブ諸国の干渉は受けない」と鼓舞する。

そんな要塞都市ダマスカスの中で、人影がまばらな地区がある。反政府軍が活発に活動する南東部ダラアへ続く道路の出入口だ。この地区の目抜き通りは「スナイパー・ストリート」と呼ばれ、毎日住民が狙撃され亡くなっている。通りを深く入って行くと住民たちが、炎天下の中、シリア軍の検問所前で長い列を作り家に帰れるのを待っていた。疲れきって壁の日陰に座り込む人たちも多い。この地区に住むのはパレスチナ難民の人たちだ。ヨルダンとの国境に近いパレスチナ難民居住区は、シリア国軍がスンニ派武装勢力の侵入を許しているダマスカス唯一の“ほころび”だ。

シリアがこの地区に反政府武装勢力が入り込むのを許した背景には、パレスチナ難民が、反イスラエルの象徴であり、これまで彼らに独自の治安組織や自治を認めてきたために対応が遅れた。今はシリア軍が完全に管理している。

スナイパー・ストリートに面したマンションに住む中学生は、自転車の荷袋にたった一枚だけパンを入れていた。「学校も閉まったままだし、危ないからほとんど外で遊べない。家に帰るのも一苦労なんだ。早く学校に行けるようになって友達に会いたい」と、屈託なく語る。人影のない真っすぐな「スナイパー・ストリート」にまた銃声が響いた。

内戦下のシリア~首都ダマスカスは今~

大きな砲撃音が絶えない首都ダマスカス。すでに観光シーズンは始まっているにも関わらず、観光客はまばらで、閉まったままの店も多い。歩いているのはもっぱらダマスカスに住む一般の市民だ。

仕事や学校を終え、カフェで水タバコを吸う男性たちは、「商売は30%ほど落ち込みました。仕方ありません」「ダマスカスまで本格的に戦闘が及ぶとは考えていません」と答えた。街には、コンクリート製のバリケードが何重にもおかれ、そこかしこに軍人の詰め所や検問がある。まるで、巨大な軍事基地の中に市民たちが住んでいるかのようだ。「以前の安全で安定した生活が欲しいです」というサンドイッチ屋の店主の言葉はほとんどの市民の思いを代弁している。

 ダマスカスには、イスラム教シーア派の人たちが聖地として訪れる場所がある。門の柱には、反政府軍との戦いで亡くなり「殉教者」となった若者たちの写真が貼られている。隣国レバノンとの国境地帯に住むシーア派部族の若者たちだ。「若者たちは、単に反政府軍と戦うために来ているわけではありません。我々シーア派にとって聖なる場所を守るために戦っています。いろいろな国から来る若者たちのために食料、お金などを常に用意しています。」

 ダマスカスの台所と言われる市場を訪ねた。経済制裁の中にあっても物で、生肉や生鮮野菜、果物などが所狭しと並ぶ。主婦に尋ねると「物価は二倍、三倍、物によっては五倍になっています。特に、肉類は高いので、一か月の最後に家計を見ながら買うようにしています。」一方、店主は、「輸送コストが大きく上がって、仕入れ値が高くなりっぱなしで、売り上げもさっぱりだよ」と嘆く。

 取材中、爆音とともに、空高く煙が上がった。現場に駆けつけてみると、戦闘が起こっているダマスカス近郊の街の方角からだった。レポートしようとすると、タクシーの運転手が車から猛烈な勢いで下りてきたと思ったら、カメラのレンズをふさいできた。あっというまに3人の男に囲まれた。私服の秘密警察官たちだ。執拗にテープをよこせと迫ってくる。付添っていた情報省職員が取材許可証を見せて説明しても引き下がらない。口論の末、なんとかテープ没収はまぬかれたが、旧来からの相互監視システムが今は路上で公然と行われているのを垣間見た出来事だった。おびただしい数の秘密警察、国軍兵士、地域の自警団、検問…普通の生活があると思いきや、首都ダマスカスはまぎれもなく戦時下にあった。

シリア内戦-今どうなっているのか?

戦略が見えない反政府勢力

 今、シリア国内での戦闘の様子を伝えているのは、反政府側の活動家たちだ。彼らは、スカイプや電話を使ってスタジオのキャスターにレポートする。中には、首都ダマスカスに反政府軍が攻勢をかけていると言う報告も多い。本当にそうなのか?実際にシリア内戦は今どうなっているのか?発信者の思惑の絡む彼らの映像や報告から、その真偽をはかろうとするのはとても難しい。

私は、北のトルコとの国境から首都ダマスカスを目指した。いったいシリア国内の街や一般市民の生活はこの膠着状態の中でどうなっているのか?自由シリア軍の力は政府軍を凌いでいると言われる。ならば、アサド政権はいつ崩壊するのか?それともまだ先のことなのか?取材からわかったことは、首都ダマスカスは未だ遠く、内戦はこの膠着状態のまま、人々は疲弊した暮らしの中から抜け出せるとっかかりすら見えないということだ。

シリア最大級の陸軍基地に隣接する街マアラ・ノアマンは、イスラム原理主義グループによる激しい戦闘が繰り広げられている中部イドリブ県の中心都市。歴史遺産と商業で有名な街だ。また、ダマスカスへの道のちょうど境目に位置している。政府軍は、戦車中心の地上戦から戦闘機による空爆に戦いの方法を大きく転換。兵士たちの姿は街から消え、基地の中から迫撃砲で周辺の町や村を攻撃する。24時間、東西南北で砲撃音や空爆の音が続く。

「一枚ではない」と揶揄される自由シリア軍。町や村あるいは家族や親戚といった小さな単位でグループを構成し、血の結束の強さと信仰心にもとづくまとまりの良さは政府軍とは違った独特の結束強さがある。しかし、彼らの戦いは「進軍する」というものではない。任務は、あくまでも自分の町や村を「守る」ことなのだ。