Now I’m in Kandahal

Now I’m in Kandahal to cover the our own stories howAfghanistangoing on in general. On the ground way to here it suppose to be not exactly safe but not too much tension in danger. But of course, I could say just day time driving only. Local police are fighting with Taliban, people so called, in Zabul area just beforeKandahararea. It takes 7-8 hours fromKabultoKandahar, the road is quite good and driving is not so difficult, if your car is 4WD, but some parts are iced.

And much rumor is here, I could not find the incident is true or not.KandaharCityis quite normal(but too dusty). I can see many new statue, bussiness buildings and compounds, even under their constraction. Many new banks are remarkable.

And you can see many schools rehabilitated by Japanese government & JICA. Also there is a park lane on the main road, keeps under constraction. Unfortunately, it has been stopped this work since last year. Not only this project is. Every infrastracture projects in here byJapanhas been stopped and no stuff anymore. Because of security reason. But on the other hand, the projects by ECHO continue without international stuff. They have unique system for monitoring their projects. Othewise people inKandaharare familier to Japanese has done, they are forgotten about it day by day.

I just feel here that the overview is toatlly different from here 5 years ago, but people’s charactor is no different at all.

8th Jan. 2007,

INDEPENDENT PRESS,

Kenji Goto

 

コメント /

  1. Tomoko Omura より:2008年1月8日
Happy New Yaer, Goto san. I have just read your website and am surely surprised to know that you’re in Kandahal! I presume you leftJapana few days ago. Do you plan to stay there for a long time? Well, I really wish you a safe journey but that might mean you have nothing to report…mmm. As a petty journalist myself, I wish you’d encounter something exciting there, but nothing dangerous. With best wishes, tmk

テヘラン (3)

IRINN=イラン・ニュース・ネットワーク という衛星チャンネルを観ていた。定時ニュースもあるし、教育に関する話題を集めたニュース枠、自然科学番組もあった。夕方の定時ニュースは画面右に男性、左に女性のキャスターが座って淡々と今日のニュースを消化していく(男女キャスターの位置は万国共通・・・なぜだろう?)。画面下部には英語のニュース・バーも右から左へ流れている。

 トップは宗教指導者がどこかなにやらの式典に参加したというもの。続いて、アヤトラ・ハメネイ氏の静止画にコメント。次に、イラク外交使節団との会談・・・などと続いていく。政治ニュースもあるが、あくまでも自国の政府広報に徹している。
 そして時々、反米・反イスラエルをアピールする画が差し挟まれる(例えば、アメリカやイスラエルの国旗に赤いバッテンが引かれるとか、イラク戦争の米軍が一般家
庭を捜索する様子や大怪我をした子どもの映像)。番組の合間合間にイスラムの歌やコーランの一節が、万華鏡のような画面とともに流れる。ちなみに国営放送は、対談、ニュース、スポーツ、映画、アニメ。特に、新聞のラテ欄(あるのか?)を調べたわけではないが、映画とアニメが多い気がする。
 街中のファーストフード・レストランやショップで、市民がテレビを漫然と見ている風景はほとんど目立たない。その辺は、バグダッドとは大きく違う。ラジオはついていても、さほど気にして聞いている風でもない。それよりも忙しくしているTehranisの方が印象に残る。
 一方、新聞スタンドではバグダッドと同じ風景が見られる。午前中、(何誌あるのかわからないが)道路にたくさん並べられた新聞を、男たちが下を向いて読んでいる。買う人は少なく、しばらく読んで足元から視線を上げると、タッタカ歩き去る。
 30歳前半の一人のイラン人女性と話をする機会を持つことができた。サムスンの現地エージェントで会計・送金の仕事をしているという彼女に、疑問に思っていたことを聞いてみた。「テヘランの人たちは政治に興味がないのかな?」と。すると、意外な(私にとっては)答えが返ってきた。
“Yes, they are interested in politics. And they know how politics is.”
-「政治に興味はあるし、今どうなっているかも知っています」
あー、そうなんだ・・・。でも、関心がないように見えるのはなぜ?
“They are afraid that police catch them.”
-「逮捕されるのを怖がっているのよ」
みんな満足はしていない、現政府をおおっぴらに批判すると逮捕される、と彼女は言った。
でも、景気はいいように見えるけど・・・?
“For very few people, yes.”
-「一部の限られた人たちにとってはね」
教師を定年退職した母親と同居して二人暮らしの彼女によると、自分たちの暮らしは1月1,000ドルでやっていけるレベルだと言う。でも・・・、
・自分の給料は一月300ドル。安い。持ち家じゃなかったらすごく厳しい。
・民間よりも公共の組織の方がもっと厳しい。公立教師をやっている弟は、学校が終わると タクシー運転手をして家計を支えている。
・私たちの生活は以前と変わっていない。
・多くの人たちは現政府の経済政策には不満を持っている。
周りには一応イラン人男性がいるのに、外国人男性とそんな話をしていて大丈夫なのか?とも思ったが、特別な視線も感じなかった。
 黒髪、黒い瞳のジュリア・ロバーツ似の彼女は話しっぷりも映画の中のジュリアに似ていた。お互い英語が完璧というわけではないけれど、私は、英語でこうした会話のできる彼女がどんな家庭環境に育ったのだろうと、興味をもった。
 母は、必ずヘジャブ(頭にまいたスカーフ)だけは付けていなさいと言う。でも、自分の知らない世界をどんどん見に行きなさいって、一人でも海外旅行に行かせてくれる母だと言う。進歩的(これが適切な表現かどうかも疑問だが・・・)な方だ。
 ところで、イランの外務省職員は緩慢かつ無知識、やる気のないくせに態度は小役人そのものだ。わかっていたことだったし、ビューロクラティックというか、この人たちに何を話しても何もしてくれないなという確信すらあった。それでも、しかし外務省なんだから、英語くらいは話すだろと思っていたけれど、期待はみごとに裏切られた。イランの政府機関の人たちを相手にするのは我慢が必要なことをあらためて思い知らされた。そうか、きっと給料も安いのか。
 ドバイ行きのエミレーツは満席。ふと、急にハデな髪型の女性がたくさんいるのに気がついた。スカーフをとったイラン人女性たちである。その中で、黒髪のジュリアはスカーフを取らずにいた。
 今度の休暇には、500ドルのタイ・ツアーに行くことを計画中だと言う彼女。今回、これからお世話になるだろう知人が何人かできたが、最後に彼女と知り合えたのはとても良かった。
 金融を含む経済制裁が本当に行われた時、一般市民の生活にすぐに影響が出るだろうことがよくわかった。
 イランのタフな外交が孤立主義へと向かわせた時・・・どうなるのか?
 イラン国内では平穏さを装うだろう。でも、宗教、思想、人、経済でつながっている隣国イラクやアフガニスタンの方には今以上に不穏な動きが増すのではないか。そうやって揺さぶりをかけられると思う。
 イラクとアフガニスタンの状況は今でも好転する材料はまったくない。
 次の焦点は、イランが経済制裁を課せられるかどうか・・・。

6月初日

テヘラン (2)

テヘランより

宿泊しているホテルには衛星チャンネルは入っているけれど、西側のテレビは見られない。
英BBCの映像は移ったり消えたりで音声は入らず、仏TV5はかろうじて映像音声ともに入る(ことが多い)。
CNNはもちろん“砂の嵐”。テヘランの都会的な街中の雰囲気に比べて、イランのテレビ番組の方が、よっぽどイスラム色を感じる。コーランの音読に始まり、イマーム(イスラム教僧侶)のインタビューなどが続く。それにアニメ。番組は少なくとも一般市民の知識や好奇心を広げる内容ではなさそう。
ニュースもあるが、西側のニュースはほぼなし、というか政治に関するニュースがない。イランのメディア事情は鎖国状態だ。

イランは、しばしば政府を非難する記事を載せた新聞や雑誌を摘発してジャーナリストを逮捕する。が、言論統制をしく国は程度の差はあれ他にもある。国境を封鎖しているわけではないから人の行き来があって。インターネットもできるから、国外の情報に全くアクセスできないというわけでもない。この国における情報や言論の自由の根幹には、イランの人たち自身が現在の日常生活に満足しているかどうか、という点が影響している。
満足の度合い-毎日仕事があって、家族がきちんと食べていける、子どもが普通の学校にも通える、国内の移動も(一見)厳しくない・・・これで満足なのではないか。高い給料や高い教育を得ること、新しい世界を経験することなどなど、イランの一般市民はさして望んでいないのかもしれない。国際ニュースへの関心もしかり。ここにいて、最初から気になっているのは、大多数の一般市民の教育程度だ。自分の周りの日常しか気にならないし、知らない。
自らのアイデンティティを中心に生きる-こういう国、社会があってもいい。日本人には、ちょっと“濃い”と感じる国や人たちかもしれない。
一般市民の満足度と政治や外交は違う。駆け引きであり、勝ち負け付のある種のゲームだ。ぶつかり合う国益をいかに獲得していくか?私はグローバル化という言葉に、世界がいい意味でシェアし合うという印象を持ったことがある。互いに依存しあうようになって、そうしなければ生きていけない世界になったのか、と思った。
でも、今の世界の実態はその反対だ。たとえば、石油を獲りにいったイラク戦争のように。どこの国も自らの国益を他国に対して激しく主張し合っている。これが外交の現状。
今後、イランの人たちの心に他国への憎悪が生まれるとしたら、経済制裁が実際に行われた時だろう。人びとの生活が貧しくなって「何で私たちだけが!」と不満を募らせた時、この国の政治指導者は宗教や慣習を巻き込んで一気に大衆を操作できる。スパイラルに戦争の道を落ち込んでいく。核をカードにするイランの外交には、そんな怖さを感じる。もしそうなった時、隣国イラクはどちらにつくのか?ブッシュ大統領の「敵か、味方か」という無理やり陣営分けした言葉が思い出される。

テヘラン (1)

今、テヘラン。
こちらでは, internet cafe のことを、coffee net と呼びます。
とにかく英語表記が街にほとんどないので苦労していますが、
ようやくADSLのできるカフェを発見。こうしてメールしています。
明日もつながるかはわからない。

この大都市の印象は?というと、NYC Islamic version です。
若い男はロン毛、女性は化粧品CMのようなメイキャップ、
恋人たちのイチャイチャ度はパリ並。カルチャーやアートも
バラエティに富んでいて、とてもロマンチックかつエネルギー
(原油か!)のある街です。
意外にも、アラブよりイスラム色は感じさせません。
経済的にも豊かだし、宗教的なことで何かを強制されることを
感じることもありません。少なくともここ、テヘランでは。

北イラク・クルド取材以来二度目のイランだけど、
その時には得られなかったイメージ。

国際ニュースでの取り上げ方は、あまりにも一面的だったの
ではないかと、肌で感じています。
街のおじさんたちは、アフマドネジャドさんのようなルックス。
あの庶民的なところが人気の秘密なのかも・・・。
核問題は政治問題ではなく、経済問題として話し合うスタンス
は受け入れられるような気がします。
いったい本当のところはどう考えているのか、インタビューして
みたい方ですね。

私は、石油(原油)がこんなにも世界の動きのほとんど全てを
方向付けているのかと肌で感じて、正直自分でも驚いています。
それは、経済的豊かさという点で、庶民の暮らしや考え方にも
大きく影響するものなのだなあ、と。イスラムと石油、面白いです。
日本はイランとの関係をどうしていこうというのか?
イラクから離れられないのも、イランとの石油(原油)問題が膠着
状態だからなのか?
日本のエネルギー政策を左右するのは対米国?対中国?
どこにあるのだろうか?などと考えたりします。

今もアフガン難民を抱えるイラン。その実態も気になるテーマです。
テヘランの街中のみならず、国中にUNHCRの募金箱が据えてあるし、
イラク、アフガニスタンと国境接するこの国にとって、「難民」という言葉は
日常的なものなのだと感じる。戦争が原因であれ、経済的原因であれ、
この国により良い生活を求めてやってきた人たちを認めてはいる。
でも、無条件で救おうと考えているかどうかは、わからない。

今、この coffee net の方が紅茶と小さなデニッシュを、笑顔とつたない英語で
差し入れてくれた。
テヘラン 午後4時半。
クーラーのきいた雑居ビルの部屋に長い時間いた体に、暖かい紅茶がしみ入る。
外は車とバイクの騒音で相変わらず騒々しい。

コメント /
Takuma SUDA より:2006年5月30日

ご無沙汰しています。
後藤さん、今イランなんですね。僕も昨日、イランの友人に電話をしてファラシュテの近況などを聞きました。

たしかにイランには募金箱たくさんありますね。友人も何気ない買い物や出勤の途中で入れていました。

イランでは地方都市に行くと、失業した若者が目立ちます。
仕事もないので、昼間町をふらふらと歩いては、仕事がないと愚痴をこぼしていました。

「カトリーナ」に暴かれたアメリカのトラウマ

ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けたニューオーリンズ現地に入りました。

超大国「アメリカ」でいったい何が起こっているのか?
「カトリーナ」によって暴かれたアメリカのトラウマを描ければ、と思います。

市内に入るのに軍(州兵)によるチェックポイントがあります。
渋滞がひどいですが、プレスカードがあれば問題ありません。

現在オープンしている市内のホテルはすべて、復興事業に関わる人たち(政府レベルから技術者レベルまで)を送り込んでいる組織・企業が買い上げ/借り上げており、部屋は見つけられませんでした。
水はもうほとんど残っていません。
中規模のホテルは日毎に少しづつ、オープンしてくると思います。

ただ、復興には時間がかかるだろうというのが実感です。
特に、ダウンタウンのビジネス街は略奪の跡も、まだナマナマしく、ゴミや瓦礫の山が散乱し、放置された生ゴミの匂いが、まるで建物や道路のコンクリートに染み付いてしまったのかと思うほど、ねっとりと漂っています。

看板や木々の倒壊は大規模です。
建物の損傷も屋根が飛んでしまったとか、窓ガラスが割れているだけという次元ではなく、まるで戦闘の後のように壊れています。災害取材は初めての経験ですが、カトリーナの威力の凄さがわかります。

今日は、介護ホームで母親を亡くしたトム・ロドリグさんに会いました。
彼は元州兵出身で緊急事態対応の専門家でした。
現在はニューオルリーンズ市ジェファソン区の洪水対策の専門家として働いています。
ニューオーリーンズの堤防補強予算が削られた際にも、このままでは危ない、とFEMAに働きかけ、連邦政府の危険地域重点対策予算をもらって、ニューオーリーンズを洪水の危機から救うべく長年努力してきた方です。
しかし、度重なる陳情にも関わらず予算は一銭もおりませんでした。

そんなトムさんの母親は、今回老人介護施設で置き去りにされて溺死していたのです。
大きな国家レベルのnegligence=怠慢と、介護施設の経営者によるnegligence=過失のダブルネグリジェンスの犠牲者となってしまいました。
洪水がなぜ起こったか、事前に防げたのに防がなかったのはなぜか、専門家として発言できる人ですし、介護施設に対しては、動けない老人を置き去りにするという事態が、なぜ起きたのか、追求できる立場の人でもあります。彼からきちんと話を聞いてみようと思っています。

取材は快諾してくれました。
母親の遺体の引き取りは、管轄が二転三転し大変苦労したようですが済ませていました。
現在、彼は仕事場に泊り込み生活を続けています。
27日あるいは28日に彼の居住地区は帰還許可が出る予定。これには同行し、事件後まだ訪れていないという事故現場である介護施設にいっしょに行ってみるつもりです。

また、他にも遺族がいるので現在の状況を当たって話を聞きます。

軍は、想像通り、毎日プレスカンファレンスをしています。
州兵話は、プレスオフィサーを捕まえました。
明日、打合せをする予定。

警察官の80%が家を失った状態で、警察署や仲間の家に身を寄せています。でも、何とか威厳を保とうとしている様子が表情に表れており、彼らの弱さと強さに関して、どこまで素顔に迫れるかは、もう少し時間いっしょに過ごす時間が必要。

ただ、一般市民の表情、軍人や警察の表情や雰囲気が、イラクやアフガニスタンとは違います。
その理由は、もう少し取材してからまとめたいと思います。

学校はもちろん開いていません。
子どもたちはどうしたのか、気になります。
子どもを捜しているというニュースはここ数日沢山出てきていますが、子どもが親を探しているというニュースはまだあまり聞きません。

とりあえず、今夜から数日は現地スタッフのスティーブの恋人のお家に泊めていただくことに。メール環境も整っていて、本当に幸運です。
衛星携帯イリジウムをコーディネーターが用意してくれましたが、非常時用にと考えています。携帯が問題なく使えそうですし、そちらの方が使い勝手がいいので、明日手に入れます。
明日は、まだ水の残っている場所、貧困地区などを見てまわろうと思います。

イラク取材本決まり

滑り込みだった。
ついに話がついた。イラク取材の予算を確保した。
すぐにここに書きたかったけれど、頭も体も気持ちの余裕もなく、ここ数日まともに寝る時間もなかった。でも、そんなことはもうどうでもいい。映像を見てもらえは、話を聞いてもらえば、わかってもらえるという確信はあったが、本当に良かった。彼らとの信頼関係を大切にして、いい仕事をしたいと思う。
ファディたちに知らせて、準備に取り掛かってもらおう。治安はいっこうに改善されず、生活インフラが断続的に途切れる日常生活が定着して、彼らの生活もジリジリと苦しくなっているようだ。話やメールからは、すさんだ閉塞感を感じる。

通訳ディーナが国を出た。「殺す」と脅迫を受け、恐怖から毎日家に閉じこもって泣いていたのだという。彼女は若い頃、突然銃で撃たれてケガをした経験を持つ。そのトラウマで、彼女は銃声や爆発音を聞くと、激しく嘔吐してしまい、倒れてしまう。彼女の住むアルシャーブ地区は、米軍とサドル派民兵が毎日のように衝突しているサドルシティに隣接していて、夏ごろからアルシャーブ地区にも拡大してきていた。ディーナはその頃から国を出たい、と言っていた。もう限界だったのだろう。見かねたファディは、難民受け入れに寛容なスウェーデンへ送ろうといろいろツテを手繰ったらしい。ディーナのパスポートは偽造だが、今のイラクでは一般市民が正規ルートでパスポート手に入れるなど、考えもつかないだろう。モノ自体は本物も偽造もさして変わりはない。なにせ、正規の紙を使っているのだから。偽造パスポートを使って、パリまで行き、フランス入管に拘束されて空港の一時滞在施設に入った・・・。ここでファディから電話があった。何度も連絡を試みるが、NG。その後、彼女は入国が認められ、1週間ほどの滞在が認められたと一時滞在所へ電話してわかった。ファディは、「ケンジ、彼女を何とか助けてあげてほしい!」ドサクサに紛れて(?)“I love Deena.”と冗談とも真面目とも取れる調子で、電話をかけてきた。新しいホテルの電話番号を聞いたが、これも全然繋がらない。何とか連絡を取りたいが・・・。

イラクで死んだ君へ

月曜日に東京外国語大学で講演。
題目は「人道的報道~ジャーナリズムの限界と可能性~」
『ようこそボクらの学校へ』他の上映とお話。講演の最後50分程度を質疑応答にあてた。

質疑応答が終わって、最後に青年の話題に触れた。同世代の彼らに話すこの機会に、イラク情勢を知る者として、伝えたいことがあった。絶対に「彼を責めてはいけない」ということだ。自分探しをしたいという思いや、この世界で起こっていることを見てみたいと思うことは誰にでもあるということ。たまたま場所がイラクだったということ。もしかしたら、イラクだったから行きたいと思ったのかもしれないね。「探検部とか言って、アマゾンの川下りに行くのも同じことだ」という例えに、学生たちはきょとんとしていたようだったが、引っかかりにはなったと思う。何かを感じたい-そういう思いは誰にもあるものなのだ。彼を責めてはいけない、責められるべきはもっと他である。

<質疑応答>
Q. 『ようこそ僕らの学校へ』のDVDで子供たちの語り口が一人称で語られていますが、客観的な視点から見て、どのような考えであのような手法をとったのですか?
A. あれは現地の人たちをより身近に感じて欲しいという意図をもった演出方法の一つです。客観コメントはNHKなどの番組で放送した際に使用しました。そもそも『ようこそボクらの学校へ』は、普段番組で使いきれなかった現地の人の声を出来る限り伝えたいと思ったのがきっかけです。時間尺や内容構成の関係から、番組ではどうしてもカットされてしまう部分があります。今回のDVDでは、現地の人の言葉やメッセージをより多く入れようと考えました。
また、小学校高学年や中学生がこのDVDを見た時に主人公に共感してもらいたいと思って、このような手法をとったということもあります。

Q. 取材をしたときには報酬を払うのでしょうか?
A. まず、なぜ取材をしたいか説明することは大前提です。取材ができたら、お金を払います。報酬というわけではありません。日本で誰かを訪問する際、菓子おりを用意するのと同じです。知らない土地で知らない人たちの家にズカズカ入っていくのですから、これは礼儀でしょう。たいてい現地では時間がなくて、礼品を用意することが出来ないため、$20から多くても$100くらいを差し上げます。ただし、自分たちはけしてボランティアではないということを必ず伝えます。私たちを迎え入れてくれたので個人的にお礼をしたいのです、と感謝の言葉を添えます。

Q. 取材したものを編集の段階で自分の意図と違うように使われてしまうことはありますか?また、編集前のディスカッションは必ずするのでしょうか?
A. 多角的な解釈が出来るものは撮りません。きちんと何を伝えるかという視点をもって取材を行うので、映像の使い方はある程度決まってきます。あいまいな取材や表現はしません。けれど、よほど悪意のある人ではない限り、こちらの意図を曲げて使うことはしませんね。
   また、番組制作側スタッフと信頼関係がある場合は、映像と基本情報のみを送って、後のことは任せる時もあります。万が一、悪意をもってこちらの意図を無視するような使われ方をした場合は、損害賠償を求めて訴訟も持さない。というのは言い過ぎですが、絶対に許しません。

Q. イラクで米兵について取材をした場合、米兵と敵対している側からはジャーナリストも敵とみなされるのですか?また、米兵の取締りを受けた際はどのように自分はジャーナリストということを示すのですか?
A. 敵対しているAとBがいて、自分がA側のテリトリーに立っていた場合、それだけで
B側の人たちからは敵とみなされます。
また、取材に入る前に米軍のプレスセンターに名前を登録していきます。現場で米兵と遭遇した場合、彼らはプレスカードをチェックして身元を確認します。

Q. ジャーナリストとして欠けてはいけないものはなんですか?
A. 情報の管理と批判的精神です。この二つは最低限ジャーナリストが持ち合わせていなければならないものです。
   情報の管理というのは、自分の取材したもの・メッセージの適切な伝え方や時期を考えること。それから、取材過程で得た秘密や約束したルールをきちんと守るということです。自分の取材に責任を持つということです。
   批判的精神は物事を疑ってかかることです。言葉や文字をうのみにするのではなく、基の事実はどうなのだろうか?個人の思惑がどの程度含まれているか?現状はそれで良いのだろうか?と常に考えて、いわゆる「うら取り」することです。

Q. しばしばメディアにニーズを作り出されている気がしますが、どうお考えですか?
A. 「メディアは国民の鏡」といいます。つまり国民が望むものがメディアに流されているということです。テレビ番組にはスポンサー企業がいて、スポンサーの意向が反映されます。そうしたスポンサー企業で働いているのは一般の国民ですし、消費することで企業を支えているのも一般の国民です。面白い番組がないという状況は、半分は国民に責任があると思います。

Q. 中立というのは、多角的に色々な声を聞くことですか?
A. 中立であるためには自分“個”の存在が必要です。単に情報を垂れ流しするだけではなく、自分の意見や立場を持たなければなりません。自分の意見というのは感情的な意見ではなく、データや経験に基づいたジャーナリストとしての意見です。
   NHKを例にあげれば、彼らの報道姿勢は公正・客観的であるということですから、良し悪しの判断は視聴者に任せるということになっています。しかし、世界が関わりあって成り立っている中で公正・客観的であるためには、自らが強固な独立性を保っていないと「あの人は中立だ」と誰も認めてはくれないでしょう。独立した存在であることを常にアピールして、いかなる人や権力に対しても同じ目線も持ち、毅然としていることが要求されます。特に、戦争のように敵か味方かしかない現場では、独立した個の姿勢を認められなければ、「自分は公正・客観的です」といくら言ったところで単なる「建前」「見て見ぬふり」「ことなかれ主義」に過ぎません。例えば、「戦争に賛成か反対か」と問われた時、「私たちは公正・客観性が信条だから、どちらとも言えないし、言うつもりもない。視聴者の方々が判断してください」と答えたとします。この答えは、メディアという「箱」の姿勢としては認められても、ジャーナリズムの姿勢ではありません。自分の意見を持ち、かつ「私たちはあなた方にも彼らにも加勢しない」と公にはっきりとアピールすることが重要です。

Q. 新聞などを中立だと信じるために、考える力をなくしている人々が多いと思います。どうお考えですか?
A. 変えられるのは今のあなたたちの世代だと思います。パワーのある人々のネットワークなどでしか変えることは出来ないかもしれません。メディア業界は他の業界に比べて、免許や慣習を理由に甘えていると感じることはあります。

Q. 視聴者は取材されている相手を、そのコミュニティーの代表的存在として捉えがちです。取材時、取材対象はどのように選ぶのでしょうか?
A. まず母子家庭や父子家庭、孤児など厳しい環境におかれた人たちを探します。しかし、日本で映像を見る大多数の人たちとかけ離れた存在にしてしまわないように、ごく平均的なイメージの家庭や人を選ぶこともあります。ただ、時間がなくて、どちらか一方を選ばなくてはならないとしたら、厳しい環境におかれた人たちを選びます。援助の手がより必要な人たちだからです。
   取材対象は、通訳やドライバー、現地の人たちの力を借りて探します。

拒絶反応

Nov.20.2004
イラク・バグダッドに事務所を開設したいと、契約してくれる局を探す営業をはじめて3週間がたとうとしている。契約者ゼロ。最初の3日ほどは、「ほんとに?」「やめといた方がいいんじゃない?」といった反応はあった。でも、結局彼らの気にしている点は同じで、「何かあったら、今までのような単なる責任問題だけじゃすまない。あんな事件があったのにまだ懲りないのかって激しい世論の批判にさらされる。彼はいい仕事をしたとか、勇気があったとはもう誰も絶対に評価しない。しまいには、行った人間も行かせた人間もバカ呼ばわりされる」ということだ。親しいプロデューサーたちさえ一回話しただけで、それ以降は口をつぐんでしまった。一体、日本のジャーナリズムはどこに行っちゃったんだろうと、正直首を傾げたくなるけれど、ここから先は、この国の媒体の扱える範囲を超えるということなのだろう。

先週今週と、来年度の企画提案をいくつか行なったが、イラク関連企画はテーブルにすら乗っけられないという趣旨の返事がNHK他から返ってきた。イラク関連で可能なのは、ヨルダンなど周辺国での取材で済む内容のもののみ。イラクの今を取り上げるのに、その国内は見ずに周辺国だけで番組を作ろうとすれば、内容的に薄くなるか、無理やりこじつけるか、歪めるか、いずれにせよ、きちんと問題を正面からとらえた番組にはならない。“逃げ腰”感まるだしの番組に、見る側も作る側も価値は見出せないだろう。今の時期に通らなければ、来年3月以降、少なくとも春先までは、イラクを一般市民の目線で伝える長尺番組は「今のところゼロ」ということになる。そう考えると、愕然とする部分もある。

自衛隊を送っているというのに、国民はイラクの実情を知る機会がなくなっていく。材料がなくて、どうやって延長の是非や撤退するか否かの議論を進めていくのか?
イラクは現在進行形だ。「ベルリンの壁崩壊」のような一言で記される史実ではなく、日本の戦後と同じように、戦争-占領-復興(新国家建設)というひとつのサイクルだ。歴史が今生まれていっているのに、それを映像で記録しておきたい、書き記しておきたいと思わないのだろうか。われわれは、過去の記録映像を見て人間の歴史を考察したり、歴史から学んだり、感嘆したり、するのではないか。それが、われわれが後の時代に生きる子どもたちに残してあげられるものではないか。

しかし、困ったなあ。今回イラクで仕事をするには、いっしょに働いてくれる彼らの生活も考えてあげなければならない。万が一事故に遭った時、家族への補償になるようにきちんと給料面を考えてあげなければならない。その予算が確保できないと今回は難しい。しかし、1月は戦争-占領-復興(新国家建設)のプロセスの中で、新国家建設段階のスタートラインにつけるかどうかの重要ポイント。一般市民が主役になる時だと思う。何とか記録して、伝えたいと思うけれど・・・う~ん、なんとか契約とれないかな。予算の問題だけじゃなくて、どう出すかってところも考えないと。まさか、拒絶反応を示されるとは思わなかったな。TVや大手媒体はもう可能性薄か。

非常事態宣言

Nov.8, 2004
企画書作成で夜が明けた。
ニュースをつけたら、「イラクで、北部を除く全土で非常事態宣言発令」という報。今後の取材計画にやや不安。先週末、サマラで連続爆破事件&米軍襲撃があったが、その余波だろう。暫定政権は、このままでは1月の選挙が行なえないと今後2ヶ月間非常事態宣言下におくとしている。1月の選挙に向けて、武装勢力の拠点となっている地域で、米軍は掃討作戦を行なっている。サマラの次はファルージャだ。ナジャフの時と同じように、米軍の包囲する中には入れないだろうな、とも思う。
そういえば、今年6月の主権移譲にあたって、非常事態宣言の取り扱いと宣言下における駐留連合軍の活動範囲、暫定政権の発令の権利や役割について、議論があったと記憶している。
また、多くの民間人の命が奪われるのか。ファルージャから避難してきた家族をインタビューした時のことを最近よく思い出す。父親の朴訥で真剣な表情、すがるようでもあり、また決死の覚悟もたたえたまなざし。開戦直前、クルド自治区に決死で逃げ出してきた一家の父親と同じまなざし。

ゲバラ親派の高校生か

 Nov. 6, 2004
日本ユニセフ協会千葉県支部が主催してくれた、高校生たちとの勉強会(交流会)に行った。
出迎えてくれたのは、渋谷教育学園幕張高校の2年生7名、東邦高校の2年生2名、ボランティアスタッフの方3名と事務局長。
皆、「ようこそボクらの学校へ」を見てくれていたので、その感想や疑問、意見をもとに話をすることができ、有意義だった。
あの中では、アフガニスタンやイラクのストーリーは身近だし、確かにわかりやすい。いつもの講演会とかだと初見の場合が多いし、時間が短いこともあってどうしてもわかりやすいものを取り上げがち。でも、今日はチェチェンやザンビアの話を取り上げて、いろいろな話ができたので良かった。
リーダーの少年は、学園祭で「イラク復興募金」と称して12万円集めて募金したという。
青年の事件もあったため、イラクはいったいどうなっているんだ?という率直な疑問が、彼らにはあったように感じた。後半はイラクの話に集中した。
武装グループと警察のレポートは、今の状況を良く説明できると思い、見てもらった。
あのような端的でストレートなレポートは、少年たちにはわかりやすかったと思う。
自爆テロで何人死んだ、外国人が誘拐殺害された、というニュースのうしろに
どんな人たちがいて、どんな事情を抱えていて、何を考えているのか、わかったようだった。
自分たちが集めた「イラク復興募金」を使う人たちは、どんな日常を送っているのか、わかったようだった。「マジ怖え」としきり。考えていたより事態は簡単ではない、とちょっとショックを受けたのではないか。

彼らが「ニュースで知ることのできないことを知りたい」と言っていたのが興味深かった。
「世界のことをもっと知りたいんです」と。
才能も可能性も無限大の彼らに、この国のマスコミやジャーナリズムはほとんど応えてあげていない。求める意のままに国境を越えて、自分たちの才能や可能性を輝かせる場所へ、どん欲に飛び出していってほしい。