テヘラン (2)

テヘランより

宿泊しているホテルには衛星チャンネルは入っているけれど、西側のテレビは見られない。
英BBCの映像は移ったり消えたりで音声は入らず、仏TV5はかろうじて映像音声ともに入る(ことが多い)。
CNNはもちろん“砂の嵐”。テヘランの都会的な街中の雰囲気に比べて、イランのテレビ番組の方が、よっぽどイスラム色を感じる。コーランの音読に始まり、イマーム(イスラム教僧侶)のインタビューなどが続く。それにアニメ。番組は少なくとも一般市民の知識や好奇心を広げる内容ではなさそう。
ニュースもあるが、西側のニュースはほぼなし、というか政治に関するニュースがない。イランのメディア事情は鎖国状態だ。

イランは、しばしば政府を非難する記事を載せた新聞や雑誌を摘発してジャーナリストを逮捕する。が、言論統制をしく国は程度の差はあれ他にもある。国境を封鎖しているわけではないから人の行き来があって。インターネットもできるから、国外の情報に全くアクセスできないというわけでもない。この国における情報や言論の自由の根幹には、イランの人たち自身が現在の日常生活に満足しているかどうか、という点が影響している。
満足の度合い-毎日仕事があって、家族がきちんと食べていける、子どもが普通の学校にも通える、国内の移動も(一見)厳しくない・・・これで満足なのではないか。高い給料や高い教育を得ること、新しい世界を経験することなどなど、イランの一般市民はさして望んでいないのかもしれない。国際ニュースへの関心もしかり。ここにいて、最初から気になっているのは、大多数の一般市民の教育程度だ。自分の周りの日常しか気にならないし、知らない。
自らのアイデンティティを中心に生きる-こういう国、社会があってもいい。日本人には、ちょっと“濃い”と感じる国や人たちかもしれない。
一般市民の満足度と政治や外交は違う。駆け引きであり、勝ち負け付のある種のゲームだ。ぶつかり合う国益をいかに獲得していくか?私はグローバル化という言葉に、世界がいい意味でシェアし合うという印象を持ったことがある。互いに依存しあうようになって、そうしなければ生きていけない世界になったのか、と思った。
でも、今の世界の実態はその反対だ。たとえば、石油を獲りにいったイラク戦争のように。どこの国も自らの国益を他国に対して激しく主張し合っている。これが外交の現状。
今後、イランの人たちの心に他国への憎悪が生まれるとしたら、経済制裁が実際に行われた時だろう。人びとの生活が貧しくなって「何で私たちだけが!」と不満を募らせた時、この国の政治指導者は宗教や慣習を巻き込んで一気に大衆を操作できる。スパイラルに戦争の道を落ち込んでいく。核をカードにするイランの外交には、そんな怖さを感じる。もしそうなった時、隣国イラクはどちらにつくのか?ブッシュ大統領の「敵か、味方か」という無理やり陣営分けした言葉が思い出される。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>