ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けたニューオーリンズ現地に入りました。
超大国「アメリカ」でいったい何が起こっているのか?
「カトリーナ」によって暴かれたアメリカのトラウマを描ければ、と思います。
市内に入るのに軍(州兵)によるチェックポイントがあります。
渋滞がひどいですが、プレスカードがあれば問題ありません。
現在オープンしている市内のホテルはすべて、復興事業に関わる人たち(政府レベルから技術者レベルまで)を送り込んでいる組織・企業が買い上げ/借り上げており、部屋は見つけられませんでした。
水はもうほとんど残っていません。
中規模のホテルは日毎に少しづつ、オープンしてくると思います。
ただ、復興には時間がかかるだろうというのが実感です。
特に、ダウンタウンのビジネス街は略奪の跡も、まだナマナマしく、ゴミや瓦礫の山が散乱し、放置された生ゴミの匂いが、まるで建物や道路のコンクリートに染み付いてしまったのかと思うほど、ねっとりと漂っています。
看板や木々の倒壊は大規模です。
建物の損傷も屋根が飛んでしまったとか、窓ガラスが割れているだけという次元ではなく、まるで戦闘の後のように壊れています。災害取材は初めての経験ですが、カトリーナの威力の凄さがわかります。
今日は、介護ホームで母親を亡くしたトム・ロドリグさんに会いました。
彼は元州兵出身で緊急事態対応の専門家でした。
現在はニューオルリーンズ市ジェファソン区の洪水対策の専門家として働いています。
ニューオーリーンズの堤防補強予算が削られた際にも、このままでは危ない、とFEMAに働きかけ、連邦政府の危険地域重点対策予算をもらって、ニューオーリーンズを洪水の危機から救うべく長年努力してきた方です。
しかし、度重なる陳情にも関わらず予算は一銭もおりませんでした。
そんなトムさんの母親は、今回老人介護施設で置き去りにされて溺死していたのです。
大きな国家レベルのnegligence=怠慢と、介護施設の経営者によるnegligence=過失のダブルネグリジェンスの犠牲者となってしまいました。
洪水がなぜ起こったか、事前に防げたのに防がなかったのはなぜか、専門家として発言できる人ですし、介護施設に対しては、動けない老人を置き去りにするという事態が、なぜ起きたのか、追求できる立場の人でもあります。彼からきちんと話を聞いてみようと思っています。
取材は快諾してくれました。
母親の遺体の引き取りは、管轄が二転三転し大変苦労したようですが済ませていました。
現在、彼は仕事場に泊り込み生活を続けています。
27日あるいは28日に彼の居住地区は帰還許可が出る予定。これには同行し、事件後まだ訪れていないという事故現場である介護施設にいっしょに行ってみるつもりです。
また、他にも遺族がいるので現在の状況を当たって話を聞きます。
軍は、想像通り、毎日プレスカンファレンスをしています。
州兵話は、プレスオフィサーを捕まえました。
明日、打合せをする予定。
警察官の80%が家を失った状態で、警察署や仲間の家に身を寄せています。でも、何とか威厳を保とうとしている様子が表情に表れており、彼らの弱さと強さに関して、どこまで素顔に迫れるかは、もう少し時間いっしょに過ごす時間が必要。
ただ、一般市民の表情、軍人や警察の表情や雰囲気が、イラクやアフガニスタンとは違います。
その理由は、もう少し取材してからまとめたいと思います。
学校はもちろん開いていません。
子どもたちはどうしたのか、気になります。
子どもを捜しているというニュースはここ数日沢山出てきていますが、子どもが親を探しているというニュースはまだあまり聞きません。
とりあえず、今夜から数日は現地スタッフのスティーブの恋人のお家に泊めていただくことに。メール環境も整っていて、本当に幸運です。
衛星携帯イリジウムをコーディネーターが用意してくれましたが、非常時用にと考えています。携帯が問題なく使えそうですし、そちらの方が使い勝手がいいので、明日手に入れます。
明日は、まだ水の残っている場所、貧困地区などを見てまわろうと思います。