イラク入り一日目

Day-1
6日22:30 アンマン出発。
あけて7日2:45 国境のヨルダン側に着く。パスポートコントロールには60人ほどがいたが、西側外国人と思しき人はいない。3:20 イラク側の入国手続きも終了した。イラク側のゲートは新しく荷物検査のレーンができていたが厳しく取り締まっているようすはなかった。米兵の姿が2人。子猫と戯れていた。国境を通過するまでに要した時間はわずか35分。すべての手続きはドライバーのアブドウラがおこなったが、あっという間だった。勝手知ったるヨルダン側はもちろんだが、イラク側に入ってからトランクを開けて荷物を説明した程度でほとんど時間がかかることはなかった。警備兵を含め、対応するイラク人職員には、その都度500イラク・ディナールを袖の下で渡していた。この辺がコツなのだろう。そういえば、かつてメディアセンターで領収書ひとつ書いてもらうのにも、その職員に手間賃を渡していたことを思い出した。何かをしてもらうにはすべてお金、というのは、当り前だがフセインがいなくなった社会でも変わることはない。バグダッドへ向けハイウエイを走り始めてからしばらくして眠ってしまった。途中、ハイウエイからはずれ、迂回した舗装路でない道を走っていたようだったけれど、真っ暗で詳しくはわからなかった。

5:20 空が白んできた。6:30 ラマディ通過。「街」ではなく、「町」だ。7:10 ファルージャ郊外通過。こちらは「街」だ。7:20 バグダッド郊外に入ったところで米軍駐屯地。今回はバグダッド近郊に来るまで米軍の姿は見られなかった。反対車線を40台ほどのタンクローリーの車列がすれ違う。右手に見える建設中のイラク最大(になるはずだった)のモスク。その後どうなったのだろうか?カーステレオをつけると鮮明な音が耳を驚かせる。「Radio Iraq」からは、アメリカのフォークソングやポップスが流れていた。
ラマダン、しかも金曜聖日とあって、街は静かだ。でも、幹線通り沿いの家具店や造園業者が開いていて、戦争前とかわりのない風景にもどっていた。ボデイビルジムまで営業していた。7ヶ月ほどでここまで日常を取りもどすとは、イラク人たちのパワーと能力には感心する。

8: 30 ファディの家に着いた。家族みんな元気だ。どんなに強くhugしても足りないくらい、また会えたこと、彼らが元気だったことがうれしかった。前の家から引越ししていて、おばあさんの家の隣に家族みんなで暮らしていた。前の家より古くていたみもあるが、そんなことよりも家族4世代にわたって揃って暮らせる方が何より良いのだと思う。ファディ自身の妻と子どもの家が30メートルほど離れた並びにあり、そこに泊めてもらうことにした。とても快適だ。電気は回復していた。夜10時ごろには切れてしまったが、宅にはジェネレーターもあり、それを使ってラマダンの長い夜を過ごしていた。水もお湯も問題なく、生活インフラは回復しつつあることを確認。今、彼らが抱える一番の問題はやはり治安だ。
この家から500メートルほど離れたところに警察署があるが、先日そこが爆破された。現場には爆破に使われたと見られる車も残っていて、周囲は爆発の大きさをものがたるように瓦礫となっていた。このあたりもまったく安全ではないようだ。

『ようこそ~』のサンプル版を持っていたものの、やはりDVDを見れる環境はないようだ。ただ、このあたりにもインターネットカフェやコンピューターショップがたくさんできていて、そのうちの一軒でDVDドライブを発見。Video CDにダビングしてくれることになった。30歳ぐらいのショップの店員はものすごく詳しいので、どこで勉強したのか聞いてみると軍でコンピューター技師をやっていたそうだ。それにしても詳しい。バグダッドには高度な専門知識を持った優秀な人材が集まり、郊外の街角のコンピューターショップなんかで働いているのだから、「へえ~」である。

夜、ハイダが来てくれた。取材の目的と方向性を説明すると、”I understand what you want and it’s good. But very difficult and almost impossible.”という答えだった。彼は、「今はケンジがいた戦争直後とは違って、みんな話をするのを怖がっているよ」と言う。せっかく生活が成り立つようになってきて、余計な事をしゃべって自分の生活に余計な波風を立てたくないという思いからなのだろう。フセイン時代も程度の差はあれ、同じような空気があったと思う。フセインにしろアメリカ軍にしろ、巨大な力によってある種の畏れを人民の心に植え付けて治めている。「リヴァイアサン」。。。結局、支配者が変わっただけなのだ。皮肉な感じだ。バグダッドの人たちにとって、フセイン時代よりもエキサイティングであることは確かだ。移動も自由、衛星テレビやコンピューターなどの新しいものも自由に買える。これまで心に納めてきた言いたいことも自由に言えるし、支配者に文句も言える。そういった意味ではフセインがいなくなってくれて良かったと思う人が8割方というのもなんだか納得できる。でも、そのかわり治安状況はめちゃめちゃになった。フセイン時代、治安は良かったが自由はなかった。どっちに支配されるのがいいかはここに住む人だけが判断できる問題かもしれない。
ハイダは少しやせた感じだったが、半月ほど前にUAEの子会社でコンピューター関連の仕事を得たようで、なんと婚約までしていた。本当におめでたい。外国メディアに雇われて仕事するのは、時に一般市民からはかけ離れた環境・文化の中でやっていかなければならない。不安定だし、博打っぽい面もある。地元で家族や自分の生活を大切にしていきたいと考えるなら、地元に根をはったレギュラーのきちんとした仕事の方がよっぽどいいと思っている。そういうわけで、残念ながら今回彼に通訳をやってもらうことはできない。いろいろアドバイスはもらえそうだが、彼も自分の生活の方があるだろうし、あてにしてはいけないと思う。

Tikrit行きは明後日にした。

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