Day-7
今日はいろいろなことがあった。何もかもがフレッシュだったし、かつレッドゾーンに踏み込んだからか、自覚している以上に疲労がある。どこまで書けるかわからないので印象に残った事から書こうと思う。
人口の半分ずつを占めるジュブウリー族とティクリーティ族がユーフラテス河をはさんで完全に分かれて暮らしていること。フセイン時代はティクリーティ優位で、ジュブウリー地区は貧しく虐げられてきたこと。フセインがいなくなって立場が逆転し、米軍が地元警官などに重用しているのはジュブウリーであること。住民のほとんどがスンニ派のTIKRITでは、スンニ、シーアという宗派間の緊張関係はない。あるのはジュブウリーとティクリーティの緊張関係だ。メトロポリタン・バグダッドではことさらに部族間の緊張状態をとらえることは難しい。
部族間の優位関係の変化とは別に、米軍や地元の警察が攻撃する連中については、ティクリーティの中でも特にフセインの親族ベジャト族とアル-ブナサ族だということ。
米軍が襲撃された現場に遭遇した。ことの成り行きを見守る一般市民の側から、見えない線をまたいで”War zone”へ入っていった。頭の中が白く飛んだこと。”GOD save me”と心の中で唱え、確信があったこと。ジャーナリストだからといって、動きを間違えば撃たれる対象であると実感した。喉が荒れて、咳が止まらなくなってしまったこと。車にもどるとファディとディーナとクサイがすごく深刻な顔をしていたこと。じんわりと恐怖がこみ上げてきたこと。
占領下の真実を見るには絶対に時間がかかる。自分だけしかそこにいなかったという要素だけで評価を期待してはいけない。もっともっと深く踏み込んで行って取材し、その内容と質を分析器にかけ、いま占領下のイラクでなにが起こっているのかを説明できるように、取材の層を重ねていってフッテージを再構成しなければならない。そのための時間を絶対に持つべきだ。「占領下のイラクで今なにが起こっているのか、その真実を見せる」それが今回の目的なのだから、表層の出来事をとらえただけではまったく不十分だ。焦ってはいけない。
シャワーを浴びた。
ジャーナリストに銃口がむけられたフッテージにいったいどんな意味があるのだろうか?よく考えれば「ジャーナリストも例外ではない」という状況説明のひとつに過ぎない。「~も」と表現されるところはいかにも妙だ。あくまでも脇役なのだ。「~は」と主語で語られるのは、他でもないイラクの人たちであり、彼らが主役だ。魅力溢れる主役像を紡ぎあげていくことだけを考えればいいんだ。
明日TIKRIT取材2日目はモスク礼拝とティクリーティ族。