2:15、KL405便は20分遅れでアンマンに着いた。今回はここに1泊せず、3時間ほどの休憩をとってバグダッドに向かうつもりだった。ファディには、4時にアブドゥラがホテルへ迎えに来てくれるように手配して欲しいと頼んでいた。でも、荷物を持って空港を出たときは3:00をまわっていた。このまままったく休みなしの10時間ドライブは強行軍だなと少し憂鬱だったが、それより1日でも多く取材日を確保したいという思いの方が強かった。
4 時を過ぎてもアブドゥラは来なかった。彼の携帯も不通。日にちを一日間違ったのではないか。結局ロビーで5:45まで待ってホテルにチェックイン、ファディに電話した。バグダッド時間で7:00。電話に出たのは時事通信のカメラマンの方だった。朝早くに申し訳ないことをしてしまった。
現在、ファディは時事通信のサマーワ取材班の一員として働いている。カブールのハナカーもそうだが、自分と仕事をした人間がその後に良い働き口(安定した給料や待遇を得られるしっかりした組織)を得てがんばっているのを知るととてもうれしい。インデペンデント・プレスには彼らをキープする金銭的余裕も仕事のキャパもない。彼らの人生がより豊かになるように、より大きな組織、国連機関や名の知れたNGOやメジャーな報道機関でキャリアを持って欲しいといつも願っている。良かったなあと思う反面、さびしい。もう、いつ行っても自分といっしょに動いてくれるというわけにはいかなくなるから。彼らは”Kenji, you are the first. I can work with you anytime you want.”と言ってくれて、予定を空けてくれる。
今の生活を投げ打ってまで・・・というわけではないけれど、時には学校や勤めを休んで時間を空け、いっしょに働いてくれる。給料も額面上は最初の時と変わらない。それぞれが経験や能力を身につけて、今では倍の給料をもらえる立場になっていてもイヤな顔せずに二つ返事で引き受けてくれる。むろん、こちらは甘えるわけにはいかないので当然前よりも報酬は多く支払うけれど、「これだけしかない」と言えば文句を言わずにやってくれると思う。率直に、感謝の気持ちでいっぱいだ。同時に、自分も彼らの発展のスピードに負けないように新しい経験を積んで消化/発達し、プロとして熟成されていかなくてはならないと自分自身に言いきかせている。
やはり、到着を1日勘違いしていたらしい。あんなに言ったのに伝わっていなかったか、やっぱり。今回は準備段階からここまで「立て板に静かな水が流れる如し」だったのになあ、まったく。アラブ人のくせに、何度も”I’m sorry”を繰り返すファディ。まあ、まあ、もういいじゃないか、こっちの仕事モードをいったんブレイクすればいいことだ。
ハイチの情勢が混迷してきた。反政府勢力は第二の都市も掌握し、アリスティード大統領派の住民(警察官か軍人かもしれないが)を捕らえて拷問するケースも出てきた。反政府勢力は国際社会(って一体誰なんだ?)の停戦プロセスを拒否。反政府勢力は幹線道路を押さえて首都と地方の物流をコントロールしようとしている。
一方、政府側は反政府勢力への警戒を強めて、一般市民に銃口を突きつけ始めた。首都ポルト・オウ・プリンスの住宅街では散発的な銃撃戦も起きている。アメリカは大使館を警護するために海兵隊を上陸させた。昨年のリベリアの時とここまでほとんど同じ流れだ。あの時の現場経験をもう一度実戦で確かめてみたい。現場に行きたいが・・・我慢、我慢だ。今後の流れが気になる。
アリスティード大統領は「これは虐殺です。彼らはテロリストだ」と吐き捨て、アメリカを始め国際社会に秩序回復のために軍事介入を求めている。彼はいったい何者なのだ?いったいぜんたい大統領としてこの国で何をしてきたのだろうか?という素朴な疑問が浮かぶ。間違いなく答えは不毛だ。この世で、政治(家)の存在とはいったいなんなのか、まったく考えさせられる。
最近では、国際社会って言っても顔が見えない。匿名性が高くなって、いったい国際社会って何をする人たちなんだ?と思うことがある。以前は国連がひとつのイメージだったんだけど。
アムステルダムからの機内で隣り合わせた英国人は、イラクの警察学校の先生だった。今回のテーマのひとつだったので、与えられた偶然の出会いにびっくりした。マルコム・トンプソン氏はウェールズの現職警官で、ヨルダンの警察学校”Iraq police training center”で教鞭をとる60人のひとりだ。現在、CPAが運営する警察学校は3箇所、バグダッド、バスラ、ヨルダン。内容はまったく同じだと言う。一回のコースは8週間。特に人権について教える。女性に対する平等な扱いや暴力をふるってはならないという考えは、サダム時代の警察しか知らない彼らにとって新しい考えだと言う。
「ボクたちは英国では街角のCCDカメラでいつも見張られている。市民に暴力をふるったりすればすぐに見つかって罰せられるって教えるとびっくりしているよ」と笑う。確かにイラク人警官には理解できないかもなあ。一月ほど前に第一期生500人が卒業し、イラク国内で配置に着いているそうだ。これまでのところ生徒たちはサダム時代に警察官だった者がほとんどだが、今後は未経験者も増えてくるかもしれない。警察学校で勉強中も給料(120ドル)は給付される。
トンプソン氏は「金額はすごく安いと思う。でも、毎月きちんと保証されているのは魅力だし、必要なものはすべて支給されるからね」と言う。警察学校の取材には、CPAの許可が必要かもしれない。そうなると面倒だなあ。
トンプソン氏はウェールズなまりがきついのか、自分の英語力が未熟なので集中していないと聞き取れない。「一番苦労するのは何?」と聞くと “Language”と答えた。そういえば、バスラの警察学校のレポートをBBCで見たことがある。教師は英語で話し、アラブ人の通訳が訳していた。授業時間は倍近くかかる。トンプソン氏は生徒たちのモチベーションは高いと言うが、そのレポートでは授業中、生徒がノートに落書きをしているシーンがあった。まあ、それが現実だろうな。
英国では現職の警察官が海外の警察学校で教えるというプログラムがある。現在選べる勤務地はヨルダン、ブルガリアなど。希望者による申し込み制だ。トンプソン氏に申し込んだ理由を聞くと「定年して新しい職を得ようとした時に、海外の警察学校で教えたというキャリアは履歴書に書くのにいいかなと思って」と答えた。これには感心した。教える方にも生活がある。ラグビー大好き、2児の父。今回の帰国はクリスマス休暇だったらしい。
栄花さんはてっきり旅行中だと思っていた。隣国で鬱々しながら一人で居たりすると、さびしさに駆られて、出ないとわかっていても「もしかして」と思ってダイヤルしてしまう時がある。すると、出た。あれっ、栄花さんいるじゃん。こんな時はうれしさと同時に、何から話していいのかわからずにちょっとドギマギしてしまう。彼の希望とは異なるけれど、彼が日本に帰ってくるのはうれしい。もっとクローズドに仕事をできればいいと思う人だから。Sammyもそう。こういう時はいつも自分の組織にキャパがあればいいなあと心から思う。
事務所に伺ってJENの村崎さんに挨拶する。JENは女性スタッフが多いが、一度話せば記憶に残る人が多いかもしれない。仕事っぷりを知らないので人道援助のプロとしての能力はわからないけれど、ひとりの人間として大切なことだ。