勝った側が正義

朝5時 バグダッド発。
乗り慣れた車の後部座席で、すぐに眠りに落ちた。
“Kenji, Kenji, Ali baba. Don’t worry.”
アブドゥラの落ち着いた声で目を覚ます。彼はこちらを振り向くこともない。強盗だ(やばい、ポケットに渡す用の金を持っとくべきだった)。5、6秒後、車は路肩に停車。右のドアが開くと、2人組みが入り口に体を寄せていた。顔は目の部分だけを残して布で覆われている。一人は左手に拳銃、もう一人はカラシニコフを両手でミゾオチのあたりに握り、”Money, Money”と言いながら軽く振る。銃を突きつけたり、大声で脅されたりしなかったからか、せっかく寝ていたところをたたき起こされた不愉快さの方が先立った。

その封筒には偶然10ドル札と20ドル札しか入っていなかったのはラッキーだった。あまり額が少ないといろいろ探されそうだったから、ガサッと十枚ほどつかんで渡す。どうせ暗くて数えることができない。こうゆう時は金額よりもある程度の枚数があったほうがいい。拳銃を持った方が、もっとないのかという感じでこちらの胸元を軽く探る。

“OK, go.”

彼らはドアの入り口から体を離してドアを閉めた。運転席の窓越しにはもう1人男がいた。運転席の窓を半開きに対応しているアブドゥラの顔は前を向いていた。男が運転席の窓から離れると同時に、車は発進した。”I’m sorry, Kenji, I’m sorry.”と首を振りながら繰り返し言うアブドゥラ。もちろん、君のせいではない。カメラも獲られなかったし、200ドル程度の被害でよかったではないか。通行料みたいなもんだ。

その場所はファルージャだった。強盗たちは若かった。おそらく20代前半、もっと若いかもしれない。きっと職もないのだろう。あんなに寒いなか、高速道路に突っ立って車を待っていたなんて、逆にちょっと同情する。

イラクで強盗初体験。現場を離れてすぐ家に電話を入れようかと思ったが、心配するだろうし、何もなかったのでとりあえずやめておいた。またすぐ横になって眠りについた。

アンマン空港のラウンジにて。アメリカ人ビジネスマンが目についた。特に金の匂いのするような人たちではなく、ごく普通のカジュアルウエアにバックパックといったいでたちの会社員たち。MCIの中年女性とDCの建設会社の中年男性と話した。

復興のスピードについて聞いてみる。警察と金融分野の復興は進んできている。一方で、他の分野は遅々として進んでいないと言う。そのひとつの原因として、 CPAのビューロクラシー/官僚主義がある。プロジェクト・マネージメント部門(復興事業担当)とエンバシー・グループ(政治担当)が対立していると言う。

窓口も担当官もくるくる替わって、発注を受けた民間企業側は誰と話をしていいのか、右往左往しているのだそうだ。また、外国人ビジネスマンの安全確保は容易ではないと言う。特にホテル滞在組は1週間ほどの滞在期間中にテロにあわなければラッキーだ。DCの建設会社(とおぼしき)チャールズ氏は、マンスール地区にイラク人とともに暮らしている。安全のこともあるし、イラク人といっしょに働きたいという理由からのようだ。

彼は、「建設事業が一番手っ取り早く、社会的にいい影響を与える」という持論を披露した。イラク人労働者を多数雇用することが可能だし、土木作業などの肉体労働で汗をかいてお金を得ることは戦いを忘れさせるはずだ、と言う。これには自分も賛成だ。金物街でも感じたことだが、イラク人のポテンシャルは驚くほど高い。何でも作ってしまう。そしてスピードが早い。

復興といえば、今回初めてUSAIDのロゴを市民の生活の中で見つけた。ベイダの学校で配られたUSAIDのスクールキット。ノート10冊、電卓も付いて、カバンの作りもしっかりしている。正直、質も量もユニセフのものよりいい。小さな敗北感があって、なんだか悔しかった。ディーナもいつの間にかUSAIDのノートを使っていた。メイド・イン・USAの勝利・・・。「勝った側が正義」-その言葉が現実味を帯びて、街や人々の間にじわじわと広がっている気がする。

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