ひとまず

Day-19 & to be continued.
家を朝3時半に出た。
イードの夜だというのに、昨晩も爆発音や機関銃の音とヘリの音が聞こえていた。途切れ途切れ単発で古臭い湿った銃声はおそらくお祝いの空砲だったのだろうな。

朝靄がかかっている。真っ暗で誰もいない通りをアメリカ軍がパトロールしている。いつも2台一組。前科があるだけに、間違って撃たれたらタマランな、と思う。ヨルダンで休暇を過ごそうというイラク人一行3人をマンスール地区の自宅で拾い、4時半に出発した。

全体を通して、こんなに治安が悪い悪いと言いながらアメリカ軍のパトロールや検問の規模は印象としては小さい。

ボーダーまでぴったり5時間。入国手続きに1時間。ヨルダンボーダーから3時間半。ヨルダン側の道は起伏があって、これが結構疲れる。前回と違い、出入国にはまったくストレスを感じなかった。予想外、めったにないことだ。

ドライバーはアブドゥラの腹違いの兄、ウィサン。ARIHAの最古参ドライバーの1人。一定のスピード、等間隔に取る休憩、ブレーキング、車線変更、ムダ口もなし・・・実に安定していて飛行機に乗っているみたいだ。頼れる会社だ。ファディに感謝。

深夜1時過ぎにフライトがあると思うのだけれど、ヨルダンはイード初日でほとんど休みだろうし、いつものように空港に行ってみないとわからないと思う。

今回は、別れが本当に惜しかった。精神的にも、肉体的にももっと居ることはできたし、取材するイシューもまだあったと思う。今までの「とりあえず終わったー」という感覚はほとんどない。ちょっとここまでの仕事をまとめにしばらく留守にする、というぐらいの感覚だ。それだけ環境に馴染んだということなのかもしれない。

現在進行形で歴史上重大な「占領下の生活」を見る、記録するというのは、仕事としても自分にとっても間違いなく意義がある。太平洋戦争後の日本は自分にとって過去のことで、これまでは実感するのは難しかったけれど、この取材が、独裁政権崩壊から占領という過去の出来事やこれから起こるかもしれない同じような出来事を実像としてとらえていくことに、必ず活きてくるはずだ。

今回は、「戦争直後」-「進行形の占領下」-「その後」の3部作のうちの第2部という位置付けのように思う。今回は全てのストーリーが連関しているし、きちんとまとめて形にできるはずだけれど、実はすごく難しい作業で簡単じゃない。今回NHKはセカンダリーだ。彼らの興味はここには無いと思う。小柳に相談するか?日本人と組んでBBCや2、アル-ジャジーラやパースペクティブのスタイルに合うのか?フォーマットをどうするか?頭の中がグルグルグルグル。

イード

Day-18
風ひとつない穏やかな日。静かな湖面に小石を投げ込むとポチャンと音がして水紋が広がっていく。水紋はやがて消え、また静かな湖面にもどる。大きな石を投げ込むとドボンという音がして大きな水紋がさっきよりも遠くへ広がっていく。それもやがて消える。どんなに大きな水紋も時間が経てば消えるということは誰もが知っている。でも、水紋が消えないうちにまた石を投げ込むと、バシャンという濁った音がして真円を描いていた水紋はぶつかり合い、乱れ、規則性を失う。さらに、次々と石を投げ込むと湖面は激しく波打って静けさは見る影もなくなる。静かな湖面を眺めていた人たちは、最初は一筋の水紋の広がりを眺めていたが、そのうち1人2人と去っていく。

朝、身支度をしていたら、そんなイメージが頭に浮かんだ。

今日アンマンへ撤収予定だったが、ドライバーのアブドゥラの都合で明日の午後になった。13:00に出ると同日の夜遅くに着く。もしかしたら、時間によったらそのまま空港かな。帰りはいつもこんなふうだ。

今回は、途中でテープの補給を受けた。東京からアンマンの栄花さんへDHL、栄花さんからアブドゥラが受け取ってアンマンからバグダッドまで運んでくれた。週に平均3~4往復するこのGMC陸送便はどんな方法よりも安全で確実だ。一部始終はファディが管理してくれる。こうした確実なロジシステムがフレキシブルに活用できるのは後方支援を必要とするロケには大きい。

ファディの会社はダマスカス-アンマン-バグダッド-西岸-ベイルートを網羅する陸送網だ。みんなファミリーだし、どこで何が起こっているかもモバイルで常に把握している。協力してもらえば、いろいろなことに活かせると思う。

なんと今日ラマダンが明けた。イードだ。シーア派はスンニ派よりも一日遅れ、明日ラマダン明け。さすがにラマダン明け当日に強盗は出ないだろうと考えていたし、もう少し居てもいいように思うけれど、今が撤収時だと思う。

午前中、家族は起きてくると、それぞれキスをしてラマダン明けイードをお祝いする。この場に居合わせることができて良かった。こんな普通の幸せを与えてもらったことに心から感謝したい。

昼頃、爆発音。後のニュースでバグダッド、バクバ、キルクークの3箇所でTNT爆弾テロがあったことを知る。映像は、現場検証する米軍の様子を遠目から撮ったもの。バグダッドはアル-シャウベの近く。

イラク人と言うとき

Day-17
今、22:00ちょうど。20分ほど前から、銃声がするなあと思っていたら、マシンガンとカラシニコフ(だと思う)が交互に撃ち合う音に変わってきた。どんどん激しくなっている。明らかに米軍が誰かと交戦している音だ。撮りに行きたい。でも、どこかわからないし、夜だし、停電とあっては現場に辿り着けたとしてもあまりに危ない。撮ってどうする、etc…行かなきゃ、でも無理だろ、などと考えていると状況がわからないだけにだんだんドキドキしてきた。

22:10 銃撃戦の音がおさまった。
と思ったら、小規模の爆発音。外に出て見るが、空も辺りも真っ暗で何も見えない。
22:15 音がしばらく止んでいる。終わったのか?

戦闘の様子を撮るには米軍と動かないとダメだと思う。ただ、それが何を伝えるシークエンスになるのか、意味を持たせていかないとただ散漫な画になるだけだ。

戦闘は本当に散発的で局地的だと思う。例えば、ファディの一家はいま衛星テレビを見ながら、トランプでもしているし、表通りの夜市はラマダン明けのイードを祝う準備の買い物客で23:00ぐらいまで賑わっている。

一見、普段は戦闘と日常生活は隔絶されているかのように思える。でもそれは錯覚だ。一般市民は、自分が狙われることはないかもしれないけれど自分の生活範囲においていつでも突然巻き込まれる可能性がある。

戦闘と日常は表裏一体で常に混在し、あっという間にまき沿いになって死んだり、怪我をする-それを望もうが望むまいが、ここに住んでいる以上「まき沿いになる」ことを拒否することはできない。

国連やアメリカ軍のもとで働く人たちが「標的にされる」のとは少し違う。「標的にされる」のは何かしら理由が見つけられるが、「まき沿いになる」のは理由が見つけられない。ただ単にそこにいたからだ。「まき沿いになって死んだり、怪我することを覚悟して日常生活を送ってください」と、誰がここの人たちに言うことができるだろうか?

「気をつけて下さい」と言うことさえ、意味を成さない。いったい何をどう気をつけろ、と言うのか?こうしたとり止めのない問いが繰り返される・・・これが、占領下の治安の悪さというものなのか……。

逆に、「アメリカ軍の占領下=強盗や殺人が多い」という論法は成り立たない。治安の悪さに2つの側面があることを今回の素材を通して表現しなくてはならない。

① 軍事占領下ならではの危険・・・アメリカ軍と市民のボーダーレス状況。間違って撃たれたり(→ジョマナ・ケース)、むやみに逮捕されたり(→地雷犯人探し)、アメリカ軍への直接攻撃やアメリカ軍による軍事作戦に巻き込まれる恐れ(→TIKRIT襲撃)。アメリカ軍が狙われて、イラク市民はまき沿い。

②支配者を失った戦後の混迷社会ならではの危険・・・a)反米、復讐を目的とした一般イラク人に対する犯罪(→警察署爆破テロ、エヤットのケース)。b)脆弱な警察力による一般犯罪(強盗、殺人など)の横行。②は狙われるのもまき沿いをくうのもイラク市民。

いけるかなあ。やっぱりこの辺でまとめてみたい。
朝食を取っていたら、隣の親戚が「ベイダの学校の隣に、男が爆弾を持って車の中にいる」と伝えにきた。すぐに出かけた。大通りに出ると、群集が同じ方向に動いている。Uターンする車で動かなくなると、ファディが”You can go.”と言ったので降りた。

走り始めた時、彼が”Be careful, Kenji!”と言ったのが聞こえた。これまで危険は避ける方だった彼が、送り出してくれた。彼はこの仕事、後藤健二という人間を理解してくれたんだとその瞬間わかった。彼との関係は今回の取材で大きく変わった。

警察が男の身分証明書を確認している。男は苦笑いしている。状況がつかめなくてわけがわからない。爆発するかも知れないのに子どもたちは群がっているし、何やってんだこの子たちは。

結局、1時間以上ぽつんと止まっていた車を不信に思った住民が警察に通報したということだったらしい。とんだ朝のテロ騒ぎだった。それにしても、第一報はメチャメチャだったな。現場はベイダの学校の隣でもなかったし。こういうのはニュースでも良くあるよな。バグダッドホテルがテロにあった時のBBCの第一報を思い出した。

ユースフィーア近くにある戦車や機関砲など重火器が捨ててある広大な廃棄物処理場をロケ。
“The mass grave for arms.”

道中、ファディがTIKRIT取材の前に遺言を書いたことを話し出した。アシュワックに渡したら、彼女は怒っていたらしい。彼女を始め、ファディ一家に本当に申し訳なく思う。彼は自分が生まれて初めて遺言なるものを書いたと言う。彼の中でも何かが変わったのかもしれない。

家族の話もし始めた。どの家庭にも悩みはあるんだなと思うけれど、なんだか耳が痛い。

タラルの店ロケ。イードのイブで学校休み。客少ない。

サハドシュハダにワリッド親子を訪ねる。彼らの経済状況をもう少し詳しく知りたかった。

おじはこの前に増してホクホク顔だった。注文が多くて忙しいらしい。「話に交ざれずにすまない」と恐縮していたが、とってもいいことだ。

エヤット自宅と家族雑観撮影。彼らがけして豊かではない庶民だという説明の画だ。昨日脅迫状めいたものを受け取ったと言うので見せてもらった。連合軍に協力するな、すれば殺す、といった内容だ。

ハニン写真入手。婚約のことを聞いても無口な彼女。ディーナが「婚約者と何か気まずいこと、もしかしたら解消したのかも」などと冗談まじりに言う。

自宅にてファディ・インタ。
今回はイラクに長年住んできたパレスチナ人として、イラク人のアイデンティティ、占領、自分にとってのイラクという国、について話を聞いた。パレスチナ-クウェート-イラクと、戦争と占領に追い回されてきた彼と家族の背景を思うと、友人としてはこみ上げてくるものがある。

自分もこれまでそうだったのだが、よくイラクの話を取り上げる時に「イラク人」という範疇にパレスチナ人を含めないで見る傾向がある。イラクは多様で個性的な部族、宗教、地縁で構成されている社会だ。さらに、クルド人、パレスチナ人などの人種という要素もある。イラク社会の本当の姿を理解しようとするなら、まず全ての要素を並列に見てみる必要がある。その上で、どこにより深い「断層」があるのか、見えてくるのではないだろうか。

戦争後、イラク人によるパレスチナ人やシリア人に対する暴行が相次いだということも聞いた。テロで殺されたシーア派指導者(バクル・ハキムと言ったっけ?)が、「パレスチナ人をパージせよ」という説教をしたと言う。内容そのものが正しいかは確かめようがないけれど、少なくともファディたちパレスチナ人が以前よりもイラク人の鋭い視線を感じるようになっていることだけは確かだ。自分を取り巻く環境-周囲のパワーバランスが微妙に変わってきたことを感じ取っているようだ。彼は真剣にヨルダンへの引越しを考えているかもしれない。

昨日、ラマディで警察署爆破テロ。大きかったようだ。

後ろ手に

Day-16
ここでの生活が快適になってきた。環境に馴染んでしまった。つまりアメリカの占領下にある日常生活に慣れて、ここで生活する人になっている。こうして境界線がなくなってきてから見えてくることもきっとあると思う一方で、誰に何を何のために伝えるのか、という基本的な立場の違いを見失いそうになる。ジャーナリストは自分の国籍や人種を意識せずにはできない部分もあるので、ここの住民になったと自分を安易に肯定してはいけない。ただ、この国の日常をいろいろ見て感じて今までよりはるかに取材対象に馴染んでいる。自分にとっては良い経験だと思うし、正しいステップのはず。

素材が揃ってきたし、ストーリーも消化してきた。これ以上、何が必要でどんなストーリーがとらえられるのか、浮かばなくなってきている。貯めたものを一回吐き出してみる時が来ているのかも知れない。撤収時期だ。

ダーワ党の活動を取材。先日よりはみなさんの目つきが優しかった。警戒を解いてくれたのかな。

簡単な職安機能と新聞発行部門がある。新聞上には「ブラック・ファイル」というコーナーがあり、フセインの親派だった学者や知識人などを紹介して読者にパージを呼びかけている。弾圧されたシーアの人たちからすれば当り前のことかもしれないが、こうしたフセイン親派バース党狩りが他の人たちにシーア派への恐怖心を与えている感は否めない。フセイン時代は普通の小学校の先生だって1人残らずバース党員であったわけだから。

案内してくれた事務方トップは、護身用に拳銃を携帯していた。それを隠そうとする態度が気になった。表面ではシーア、スンニ他全てのイラク人の連帯をポリシーに掲げておきながら、一方で見えない後ろ手に武器を隠し持っている。「この人は殺されることがそんなに怖いのか」そう思うと同時に「この人は平気でだますのだろうな」と思ってしまう。相手を信用しない人物が、相手から信用されることは難しい。基本的なことだと思わないのか?

夜、タラルにいつ頃この国にシーア派とスンニ派の間に溝ができたのか?聞いた。タラルはバグダッド生まれのクルド人だが、親戚のほとんどはスレイマニアに住んでいる。彼に、タラバー二を支持するか?と聞いた。答えは「ノー」。選挙に行くつもりもないと言う。フセイン大統領の信任選挙にも投票に行かなかった。その時は脅されたらしい。

フセイン前→フセイン誕生→イラン・イラク戦争→フセイン後を生きてきたタラルの話は興味深く、取材で得た視点や知識に深みを与えてくれる。

テロのこと知ってるのか?

Day-15
今日はほとんど撮影なし。
前回病院で出会ったハナンの実家をハイダを連れ添ってファディと3人で再訪した。クラスター爆弾の不発弾で左足を失った少女の姿にはたくさんの人たちの心をうった。撮影はしなくても、彼女が今どうしているのかを知る必要があると思っていた。

ハナンの実家はバグダッドから1時間、ユースフィーアという小さな町だ。見覚えのある田園風景。戦争中、バグダッドに進軍する米軍に破壊された大きなイラク軍基地もそのままだ。地元の警察官が検問をしていた。

ハナンの実家に着いた。ハナンがいた。当時、エレベーターが使えずに4階のハナンの病室まで階段をのぼって行かなくてはならなかったが、見舞いにきた祖母は息切れをおこした。その祖母といっしょに家の前に座っていた。半年でもこんなに成長するものかと思ってびっくり。

すっきりとした穏やかな表情をしている。あの時は顔がむくんでいたのか、などと思い出す。取材後、半月後に左足と裂けたお腹の手術をしたそうだ。左足には軽く包帯が巻かれているが、痛みはないと言う。痛みはないが、食べたものをもどす時があるようだ。ハナンのおじで養父のサードは留守だった。今はバグダッドでタクシードライバーをやっているそうだ。サードのお兄さんが寝起きの顔で出てきて、強く握手して、あいさつのキスを交わす。

ハナンは木の棒を杖にしてピョンピョンと小走りする。松葉杖は持っているが、使わなくなったらしい。リムは?と聞くと以前は病院に聞くなどして手に入れることもできたが、今は扱ってもらえる場所がないと言う。

ジョマナの学校と同じように、この辺の学校も修復されて再開したが治安が悪いためにもと通りに子どもたちが戻るまでには至っていない。ハナンはまだ学校へは行っていない。おじは、行けるようになったら行かせたいと言っていた。学校に行こうと思えば、リムは必要になるだろう。もう少しして傷口が落ちつけばリムが付けられるようになる。作るのにいくらぐらいかかるのだろうか?

おじたちとの話しは面白かった。前回は駆け足の取材だったし、イラクという国、民族の知識も乏しかったからあまり話しができなかった。まず、この辺のクラスター爆弾の処理は8月ぐらいに行なわれたそうだ。彼らはCPAと言っていたが不発弾処理は米軍そのものではなくCPAの管轄なのだろうか?その後は事故もないと言う。これは良かった。でも、他の地域と同様CPAや米軍、警察を狙ったテロ攻撃は絶えないらしく、強盗も多い。羊に爆弾をつけたケースもあったと言う。

彼らは初め、アメリカというものに対して知識もないいわば初対面だったが、この6ヶ月間でアメリカに対するイメージはどんどん悪い方向に固定化されている。前回の取材でハナンのおじたちは「どちらとも言えない」派だったが「口先だけのアメリカより、実行を伴ったフセインの方が良かった」に変わっていたのは象徴的だ。

彼らはファルージャ出身のアシューラ(部族)だった。ファルージャは外の人間が入ってきて支配することに激しく抵抗する部族性と土地柄だそうだ。その志向はイラクの他のアシューラよりもずっと強いと言う。アメリカ軍のファルージャにおける最初の蛮行が住民の激しい反感をかった。

現在、アメリカ軍はファルージャ中心部には米軍基地をおかず、周辺に留まっている。中に入れば攻撃されるからだ。おじが「ムジャヒディーン」という言葉を使った。ファルージャで米軍に攻撃をしかけているのは、「サダム・ロイヤリスト」だからというよりはむしろ「聖戦」という性格が強い。この辺はTIKRITとは少しことなっているように思う。こうした細かいズレを認識できただけでも有意義だ。彼らに「ファルージャに行こうと思っていたんだけど・・・」と言うと「薦めない」と言われてしまった。今回ファルージャはNGとなったが、この結果は良かったのかもしれない。次回ファルージャに行くとしたら、彼らに指南してもらえばいい。

あいさつをして様子を見たら帰る予定だったが、お昼までごちそうになってしまった。前回もそうだったが、ハナンの家の自家製パンは粗挽きの麦粉を使っていて香ばしくて実においしい。

別れが惜しい。帰り道、ハナンとワリッドの2人ぐらい、自分が何とかしてあげられないかと思ったりする。でも、彼らの人生に踏込みすぎだろうか……などと考えたりいろいろ。

今朝、パレスチナホテル、シェラトンと石油省がテロにあった。石油省が攻撃されたのは初めて。ロバの馬車からRPGが発射されたそうだ。犯人は捕まったのだろうか。こちらはのんきなものだ。

2 日ほど前、中心街を通りがかった時、上空を飛んでいたアパッチが上空を低空でゆっくり旋回しながら明らかに肉眼で何かを探している様子だったので、このあたりで何かあるんじゃないか、と漠然と感じていた。常時戦闘態勢なのだからテロに対する正規のパトロールなのかもしれない。一方でこう思った。攻撃予告なのか、タレコミかわからないがテロの事前情報を彼らは何らかの形で受け取っているのではないだろうか?もちろん推測の域を出ないが、自分がこうした疑いを持つのだから毎日ここで生活して見ていればアメリカ陰謀説を真剣に信じる人たちが出てきても不思議ではない。

ハイダは西欧型の志向を持っている人間だが、毎日CPA関連の機関がある”Green Zone”で働くうちにイラク評議会やCPAのスタッフたちが何もしていないと感じるようになっている。CPAはもっとできるはず、と感じている。彼が言うには、米軍でさえCPAを能無し扱いしているという。実際にはいろいろやっているのかもしれないし、「やっている」と言うだろう。でも、ハイダのように人の意見や考えを思慮深く聞いて、勉強熱心な人間から失望されているのが実情だ。

書き忘れていた。3日ほど前、ジョマナがユニセフマークの入ったビニール袋を持ち帰ってきた。学校にユニセフが来て配ったのだ。それは良かった。中味はクレヨン、ノート2冊、鉛筆、鉛筆削り、消しゴム、定規、子ども用ハサミ。でも、これらはその辺でも買える。今、先生、親、子どもたちが望んでいるのは一にも二にも新しい教科書だ。内容もいつもと比べると貧しい。ユニセフも本隊がいない中で精一杯だったのではないか。よくやったと思うし、本当に小さいことだけれど信頼を得ていくために今できることを示し続けるというのはきっと後に繋がる。

世界がもし100人の村だったら

Day-14
ダーワ党を訪ねる。副代表にインタビューできた。政党の副代表クラスのインタビューで面白い答えを期待することはないが、組織の名刺がわりには必要なシークエンス。ラッキーだ。

ファディもディーナもとてもびくびくしている。それほどシーア派は強硬なのか、スンニ派の彼らがなぜシーア派をそこまで恐れるのか、理由をきちんと聞いておいた方がいいかもしれない。

不思議だなあ、と思うのは、警備員から事務員までどうも目つきが冷たい。昨日のカルバラの警備員たちと同じ目をしている。待合室には人はいるけれど、シーンと静まり返っている。話せば普通の人たちなのがわかるけれど、人の血を見ても表情ひとつ変えないのではないか、と思わせる淡々とした雰囲気がある。

そもそも宗教には血で血を洗うとか、死で贖うとか、血生臭い歴史がツキモノだ。これを否定しては人間が神のような存在になってしまう気がする。でも、これを肯定して自分たちも血の歴史を創り出して行ったとしたら、「罪」を受けて生きるということにはならない。血の歴史を繰り返さない道を、自分の血を流してでもとことんまで追求し続ける、それが「罪」に科せられた「罰」なのではないだろうか。二大宗教であり、多くの国のメインボディを構成するクリスチャンとムスリムは特に、この「罰」を意識する責任がある。

ちょっと疲れている。理由がいまいちわからないが、フライドチキンの食べ過ぎかも。イラクの食べ物はとてもおいしい。トマト料理はカジュアルなイタリアンと言えるほど口に合う。中でも、チキンは世界一おいしい。それをあまりに言うものだから、こっちへ来てから毎食フライドチキンを出してくれる。他においしいものもいっぱいあるんだけど……。野菜をとるようにしているけれど、さすがに油で胃が疲れているのかもしれない。ファディは気がついたのか、他に食べたいものはないのか、と聞いてくれた。

一家の友人に、パスポートや紙幣の偽造を仕事にしている男がいる。今夜話を聞く予定だったが、来なかった。後日取材してみたい。

今のイラクはルールもへったくれもない。偽造はもちろん、反対車線をバンバン車が通るし、公共の場所に勝手に宗教指導者のでっかい写真は貼るし(フセイン時代とまったく同じ事を自分たちがやって排他的になっているなどと考える思考はないようだ)、「他人のことなんか考えていたら自分が暮らせなくなっちまう」と言っているようだ。

“I’m the first. And all others are second.”その勝手な理屈の理由付けにアメリカによる占領が利用される。「フセインという重しがなくなった」⇔「思い通りにやっていいんだ」⇔「自分のやりたいようにやる」⇔「ここはイラク、オレたちの国だ」⇔「Hate America!」これらが相関して肯定しあう。イラクという国がどうなるか?という思いはあっても自分たちではどうすることもできないし、毎日自分の身の上のことしか頭にない。

ラマダン中だし、空腹でみんなイライラしているというのも理由のひとつ。

今のままなら、クウェートのように小さな部族単位の国にした方が幸せなのではないか、とさえ思う。連邦制という手もある。もちろん、石油をどうするかという永遠の問題がある中では非現実的な話だけど。

『世界がもし100人の村だったら』という本のことを思い出すことがある。

イラクに新橋発見

Day-13
シーア派聖地カルバラ取材1日目。バグダッドとは空気が違う。最初に、ここカルバラ最大の“売り”聖人イマム・フセイン廟を訪ねる。美しい青、水色、緑、黄色、赤(だと思う)・・・のタイル、建築、すばらしい。

もうひとつの聖地ナジャフで爆弾テロがあってから入り口でのボディチェックと荷物チェックは厳しく、自由に出入りすることはできない。鋭い視線の警備員に “Christian?”と聞かれて、聞こえなかったふりをする。最近では記憶にないことだ。女性に対しても厳しい。女性は黒い布で全身を覆うことを要求される。街中でもそれ以外の格好をしている人は1人もいない。入り口は男女別々だし、女性のボディチェックも厳しい。バグダッドとはやはり大違い。入り口で待たされること、10分ちょっと。警備員に随行されて、警備責任者の部屋へ連れて行かれる。偏見かもしれないが、表情のない目をしている。

1 時間ほど、イラクのシーア派について、カルバラについていろいろ聞いた。イスラム教の理解にはすごく役立った。でも、とにかく雰囲気が厳格。良く言えば荘厳で敬虔、悪く言えば排他的で差別的だ。撮影自体は問題なかった。ただ、ムスリムではない自分は廟の中にまでは入れず、ファディに撮ってきてもらう。フセイン廟そのものはすばらしいので、「映像を見たら来てみたいと思う人たちは大勢いると思いますよ」とリップサービスで言うと、口元が緩んで表情が出てきた。これまで訪れたどのイスラム空間よりも緊張した。

預言者ムハンマドの孫で、正直なムスリムの教えを説いたイマム・フセイン一族が戦争で惨殺された逸話は、悲劇の物語として人々の心を打ち続けている。翻って考えれば、キリストの受難の物語も同じ。偏見を持ってはいけないと思うけれど、「同じですね」と軽々しく言えない雰囲気はあったな。

聖地らしく、ラマダン期間中はイスラム教に関係ある機関や行事は休業状態。警備責任者にも、「ラマダンだから何もできない。もうしわけない」とあっけなく言われてしまった。

3日間の予定でカルバラにてシーア・ストーリーを取材しようと考えていたが、今日1日で十分だと判断。聖地が撮れただけでも良かった。

この国の抱えるもうひとつの断層「宗教」‐スンニ派とシーア派。基本的には同じイスラムだし、目に見える違いに限って言えば、様式の違いでしかない。焦点は政治的野心だ。占領下の今、彼らは市民レベルで何をしているのか、を見たい。今日行って話してみて、カルバラやナジャフは聖地であって政治の中心ではないことがわかった。イスラム教系政治団体の本部は今ほとんどがバグダッドにある。バグダッドで、シーア・ストーリーを考えたい。

道路は舗装されているが、バグダッド-TIKRIT間の道路に比べると狭く、凹凸も多かった。

20: 00 エヤットの自宅を訪ね、インタビューをお願いする。もと情報省の幹部をしていた友人と酒の席たけなわにお邪魔した。女性が宴会で踊っているビデオを肴に、大声で笑ってぐいぐいやってる。新橋か?ここは、と笑ってしまう。ぺルノーと同種のイラクの薬草酒。ものすごい勢いで勧めるし、飲みたい衝動が沸き上がったけれどがまんした。

エヤットはもと刑事。フセイン時代に警察官をしていた人たちの8割が新しい警察に復帰する中、彼は復職しない少数派だ。彼は、強盗などを捕まえて刑務所送りにしてきたため、当然敵も多い。警察や自分が狙われていることを肌で感じるという。

戦争前、フセインは受刑者に恩赦を与えた。戦争後、刑務所を出た犯罪者たちが略奪や殺人を起こし、治安悪化の一因となっている。

エヤットは16歳の頃から15年も警察につとめてきた。この仕事が大好きだし、巡査から犯罪捜査をする刑事に昇進して仕事に誇りを持って生きてきた。市民の安全のために働いてきたと心から思っている。彼も彼の家族も裕福でもなんでもないごく普通の庶民だ。

彼は酒びたりの日々が多くなった。「もどれることならもどりたい」誇りを持って生きてきた一般市民たちの年月に、誰が、どう答えることができるのだろうか。

23:45 爆発音の後、マシンガンの機銃掃射の音。そう遠くもなさそうだ。
昨日も夜、同じように爆発音とその後マシンガンの音がした。30分ほどして、爆発音のした方角に複数のヘリが飛来する音がして1時間弱プロペラの音が聞こえていた。停電で真っ暗だし、空には何も見えないのだが……。気のせいか、2日前ぐらいから米軍の動きが慌しいように感じる。道路ですれ違うロジ部隊の規模も大きく、回数も多い。夜間は頻繁にヘリが飛行している。だんだん珍しくなくなってきて視線をやることもなくなってきたが、何が起こるかわからないから常に視線はむけるようにしておいた方がいいかもしれない。

二つの大河

Day-12
情報の間違いや勘違いは結構ある、と自戒する。

アル-ハリル小学校の6年生のクラスに、トルコ大使館の隣りに住んでいてテロに巻き込まれたという少年がいたが、「隣に住んでいた」のではなく、「父親とバスに乗っていてちょうど前を通りかかった」というのが正しい。

また、TIKRITの街を通っているのは「ユーフラテス河」ではなく、「ティグリス河」だ。両方とも低レベルの間違いと勘違いだ。ラッシュを見ていて、「あれ?これは何でだ?」と新たな疑問が出てくることもよくある。言葉も違う、思考系統や価値観も違う中で勝手な思い込みもあるし、取材というのは本当に難しい。夏休みの課題日記でさえ、3日間以上まともに書いたことがなかった自分にとって、ほとんど見直すこともないその日限りの日記という文章はチャレンジだ。みんなよく書けるな。

ベイダの通うセカンダリー・スクールを見学。撮影の予定はなかったが、彼女からいつ来るのか?と毎日聞かれていた。日本人なんて珍しいから、みんなに見せたいのかもナと思って、撮影なしでも行ってみることにした。

カメラなしの取材は気が楽だし、こっちも十分勉強になる。アル-ハリルと同様に10月の新学期が始まる前に改修工事をしていてきれいだった。校舎に外光が入り込んで女子校らしい清潔感がある。きれいになった自分の学校を見せたかったのかもしれないな。『IRD』という組織がおこなったようだ。あとで調べたい。

1クラス、45~50人、ほぼ全員頭に布をかぶっているがごくわずかかぶっていない生徒もいる。顔が一人一人個性的だ。英語の授業を見せてもらったが、先生の教えるリズムが早い。かといって、生徒を無視して一人で進めていくわけではない。生徒の3分の1は活発に手をあげて授業に参加していく。消極的で、落ちこぼれたりしてしまう生徒はいないのだろうか?と余計なことを考えたりもする。

成績はテストで判定されるが、到達度を測るためのもので相対評価ではない。いろいろな国の教育現場を見て思う。けして予備校や塾に行っているわけではないし、日本人より勉強の内容と時間が多いとはとても思えないし、実に狭い社会で暮らしているのだが、子どもたちは能動的かつ良く物ごとを理解するなあ、と思うことがしばしばある。占領下ではあるけれど、以前よりもいろいろな情報を得られる機が増えたことは確か。興味の世界を広げて可能性を活かして欲しい。

アシュワックに同行してアル-シャウベ地区の市場でロケ。
豊富な食材は戦後すぐと変わらない。5月以降、羊肉の値段が上がっているらしい。泥棒にあったり、周辺国に輸出されたりして品薄なのだそうだ。

タラルのコピーショップでロケ。停電続き、隣近所の店も開店休業状態。

ワリッド一家が帰ってきたかどうか確かめるために金物街を訪ねた。金物街の店はほとんど以前のように営業していたが、鉄の鎖だけではなく金属性の装飾品を作っているところなども見られ、種類が豊富になっていた。誰に聞いても、フセイン時代よりも自由に仕事ができるし、売上げも好調だとにこやかに答える。ジャウダッドに再開する。まだ満たされないものがありそうな感じがしたが、顔色はいい。びっくりした様子で、「いったいどこに行っていたんだ?」と聞く。

確かな見覚えのある路地裏の角を曲がると彼らはいた。ワリッドとおじとそれに父親もいっしょだった。彼らの方が先に気がついたようすで、こちらが姿を確認した時はもう立ち上がっていた。ワリッドは少しお兄さんになった。父親は身体をこわして建具職人はやめ、ワリッドといっしょに同じ仕事をしている。バグダッド陥落直後、いち早く店を再開して1人黙々と金づちをふるっていたおじは、変わらぬ豊かな笑顔を見せてくれた。イランやトルコ、パキスタンなど周辺国からも客が来て商売はとても好調だと言う。フセインがいなくなり、商売の自由を謳歌していた。

ワリッドはまだ学校には戻れていない。ナジャフで避難生活を送っていた一家は、3ヶ月前にバグダッドに戻り、新しい家を借りて住んでいる。今、バグダッドでは家賃が高騰。フセイン時代にワリッド一家の住んでいた1LDKの家は、どちらかと言えば長屋的で低所得者向けの住宅だった。一家の現状を考えると、そこよりもいい環境の住宅に住んでいるとは考えにくい。それでも、父親とワリッドと弟三人が毎日働かなくては暮らしていけない。ワリッドはサッカーが好きだ。こうした一家を何とか支えてあげたいと思うが……。積極性が感じられないCPAやORHAには見る影なく、人道援助機関もいないイラクの戦後。彼らの生活の底上げを期待するには、あまりにも悲観的状況だ。あまい考えだと思うけれど、本当に何とかしてあげたい。

19:30 エヤットの案内で、警察署爆破事件で亡くなった警察官の遺族を訪ねる。17歳の新妻と3人の娘を残して逝った。敬虔なシーア派一家だが、その宗教的雰囲気に緊張感を感じる必要のない都会的な家族。”We don’t have two rivers,Tigris & Euphrates. We have blood & crying”という兄の表現に言葉がない。フセイン時代が終わり、戦争も収まり、職場に戻ってこれからという時だっただけに、「なぜ」という思いが伝わる。同僚だったエヤット、脇で聞いていたディーナもしくしく泣いていた。亡くなってから間もない。遺族の取材はいつでも深く溜息をついてしまう。

Day-11

Day-11
今日はここアル-シャウベ地区から離れる予定はない。
昨日ぐらいから停電が多い。今日は朝からバグダッド全域にわたって停電。
14:00過ぎにはタラルの第二妻ワジハも店を閉めて帰ってきた。ジェネレーターがあるとはいえ、ちょっとイヤな感じだ。

取材を断られた。きっとわかってもらえると期待していたが、ダメだった。別の道を考えなくてならない。TIKRIT取材で頭がいっぱいだったが、ここバグダッドもけして取材が楽ではないことを思い出した。少し気疲れ気味だし、頭が回らない。先のことばかり考える悪いくせが出ている。

デイリーのニュースなら個々のストーリーはブツギリでもいいかもしれないが、ストーリーに豊かなふくらみ持たせていくには、全ては関連していてその流れがごく自然でなければならない。

でも、取材の機会はあくまでも与えられるものだし、必ずしもそう上手く繋がるわけでもない。与えられたもので最高の結果を生むことは、取材のあとに控える考察編集段階でいくらでも可能なはず。今はとにかく取材の質を落とさないことだよな。

焦ったら台無しになる。もう一度自分の目指すべき内容と質を思い出して、態勢を整えなくてはいけないな。

私たちには法がある

Day-10
TIKRIT取材最終日。結果は1勝1敗1引分け。全体を通してまだまだ見えていない部分があるような気がする。

部族(アシューラ)間の相違と緊張関係のストーリーは面白かった。フセインの血族アル-ブナサ族の青年の話も良かった。でも派手な画とかそういうものではなく、もうひとつ深くTIKRITならではという強烈なものが欲しかった-フセインの血族ベジャト族やアル-ブナサ族の暮らしと米軍の関係、新しい地元政府と米軍の関係、米軍がTIKRITで現在何をしているのか-米兵の生活とかそういう視点ではなく、占領政策の中でどんな要素をここTIKRITが担っているのか、という点だろう。

インタビューでは単なる説明にしかならないから、実際の活動を詳細に見ていくしか方法はないと思うけれど、ほとんど無理だろうなあ。たとえ、アメリカのジャーナリズム心あるメディアが取り組んだとしても、占領真っ只中の今は難しいかもしれないな。

TIKRIT警察のパトロールに密着。不審な人物や車を見つけると職務質問していく。TIKRITの街は実に小さい。東西南北回っても20分もかからない。

同行した警察官に、フセイン時代は警察官を恐れていた人たちも大勢いるが、その時と今と警察はなにが変わったのか?と聞いてみた。「何も変わらない。私たちには法があるから、それに従って職務をおこなうだけです」と言う。

フセインの時代にはフセインが法そのものだったのでは、と聞きなおすも、答えは変わらない。帰りにディーナの見解を聞くと、当時の警察の横暴な行いはみんなが知っている、と言う。外国に占領された日常生活には同情するが、「同じ」という答えには何の意味もない。何がどう「同じ」なんだ?イラクの人たちのコメントも無邪気にそのまま垂れ流すわけにはいかない。

彼ら、フセイン政権下で大小に関わらず権力を持っていた人たちのコメントは特にそうだ。彼らの過去の歴史や占領下の生活という背景があって初めて使える内容のものもある。表現とはまったく反対の意味を持ってくることもあるからだ。

帰り道で米軍に護衛されたLPGガスのタンクローリーの大規模なコンボイに遭遇。「ここで攻撃されたらすごい被害になるな」と思い、早く行き過ごしてしまいたかったが、米軍によって追い越しが止められてしまい、しばらく一緒に走っていた。

急ぐ必要など何もないのに、クサイの運転は荒かった。突然、護衛の米兵が側道の草むらにマシンガンを何発か打ち込んだ。

数日前、検問をしていた場所だ。このあたりでも襲撃事件があったのかもしれない、と思ったら、隣でディーナが突然嘔吐した。クサイの運転に胃が痛むと言っていたが、目の前の銃声で耐えられなくなってしまったのだと思う。

TIKRIT取材で緊張のしっぱなしだったということもあるだろう。彼女の家は、両親ともに先生という教育者一家。インタビュー中も先生らしい毅然とした態度で人々と話すのに、感心していたが、考えてみればごく普通の小学校の先生だ。良く頑張ってくれたと思う。