もう空港に行かなくては。
連絡役のハイダからメールが入っていた。少し状況がつかめた。
hello dear ….
Yesterday, Fadi had called me at night and tolled me some issues about Deena to tell you :
1-You can call Deena this comming Tuesday at the phone cabinet at 06:00 o’clock, Baghdad Time, at the evening .. the cabinet No. : 0033143142988
cuz she doesn’t have a phone no. she will stand at this phone cabinet at the exact time ..OK
2-She has another phone No. but without a code for calling her : 0623504491
and you can call her every evening at 09:00 o’clockBaghdad time and ask for Deena to talk to you ..but first Fadi did not give any code no. for this mobile phone you have to get the code to call for her …..OK
As you know, Deena is in France now and she’s looking for a Humaniterian Resort and she’s still fighting for this goal and she needs your help for this if you can offer any thing for her…and her residence is in a house within a church in France and she is sharing this house with some girls…….and what she really needs from you is a phone No. that she can get you on cuz she needs to talk to you very quickly…OK
This is all I got from Fadi and and if you want anything I will go to him and tell hem things that you want ……OK……..keep in touch
your’s
hayder
パリのイラク女性 (1)
AMSTERDAM8:00AM NOW
It’s very cold and there is a big Tree in the DAM square. Men, women, and children in the street looks just ready to have Christmas day.
少年兵士取材のため、シエラレオネほか西アフリカ諸国へと日本を発ったのは、12月8日。
ヴァージン航空 VS901便 同日15:45 ロンドン着。
9日 Oxford circus にあるシエラレオネ高等弁務官事務所でビザ取得。6ヶ月マルチ、160ポンド(およそ35,000円!)体臭の混ざった事務所の臭い、現地語の混ざったクセのある英語、事務的だけど雑然としたスタッフの対応の仕方に、もうシエラレオネに着いてしまったような感覚を憶えた。自分の今の暮らしや共通の友人に関して会話を交わす彼らを見ていると、ここが紛れもない西アフリカ・コミュニティであることがわかった。
東京では手に入らなかったフリータウンへの便は、クリスマスへの帰省客でいっぱいで取れない。1月までウエイティングリストもいっぱいだという。残念。安い航空券を探すも見つからず。ただでさえ、物価の高いロンドンだが、ポンド高(1ポンド=211~220円)もあいまって金額がべらぼうになってしまう。円、ドル、ポンド、ユーロの価値が以前のように一定していない。同じ物でも金額が倍以上になることもある。自分の購入したい物やビジネスの内容によって、購入場所や仕事場所を変えていく必要があるのか。現代は便利になったのか?と感じるけれど、そうした差があるところには必ず経済が生まれる。この差のおかげでもうけている人たちもいるだろう、と思うと良いのか悪いのかは一口に言えないかも。現地への入り口をアビジャンに変え、安い航空券を求めてアムステルダムに移動することにした。
10日 ブリティッシュ・ミッドランド航空 BD101便 06:35 ロンドン発。チェックインカウンター混み合う。飛行時間1時間25分 1時間遅れでアムステルダム 9:55着。11日発のカサブランカ経由アビジャン行き航空券を購入。モロッコは悪い思い出があるのであまり立ち寄りたくないが、乗り継ぎだけだから大丈夫だろう。
11日 Ams.-Casablanca Royal Air Maroc 13:00-15:30 AT 0851->Casablanca-Abidjan Royal Air Maroc 19:00-23:40 AT 0533
ディーナは、今もパリにいるようだ。全く電話が繋がらないと思ったら、ファディがよこした電話番号は公衆電話のものだったようで、曜日と時間を決めて彼からディーナにその電話にかけているという。ディーナは電話もない場所に泊まっているのか。ファディ、もう少し早く相談してくれよお。バグダッドでは周囲から尊敬され、頼りにされていた英語の教師だった彼女。買物が好きで化粧品やアクセサリーやファッションにもうるさかった彼女が、今は亡命希望者 “Asylum seeker”として外国で貧しく不安な生活を送っている。彼女は電話を手に入れるお金もままならないし、ましてや西洋は生まれて初めての西洋だ。何とか力になってあげたいが、連絡がつかないことには動きようがないではないか。なんとか助けてあげなければならないと思う。”Half OK, Half not OK.”とさっきの電話でファディは言ったけれど、何がOKで何がOKじゃないのか、そこを彼女から聞けば対応のしようもあるが・・・。クリスマスだというのに、家族や友人と離れて本当にかわいそうだ。
神様、どうか彼女と彼女を支えてくれる人たちの傍らに、あなたがいて道を示してくださいますように。
イラク取材本決まり
滑り込みだった。
ついに話がついた。イラク取材の予算を確保した。
すぐにここに書きたかったけれど、頭も体も気持ちの余裕もなく、ここ数日まともに寝る時間もなかった。でも、そんなことはもうどうでもいい。映像を見てもらえは、話を聞いてもらえば、わかってもらえるという確信はあったが、本当に良かった。彼らとの信頼関係を大切にして、いい仕事をしたいと思う。
ファディたちに知らせて、準備に取り掛かってもらおう。治安はいっこうに改善されず、生活インフラが断続的に途切れる日常生活が定着して、彼らの生活もジリジリと苦しくなっているようだ。話やメールからは、すさんだ閉塞感を感じる。
通訳ディーナが国を出た。「殺す」と脅迫を受け、恐怖から毎日家に閉じこもって泣いていたのだという。彼女は若い頃、突然銃で撃たれてケガをした経験を持つ。そのトラウマで、彼女は銃声や爆発音を聞くと、激しく嘔吐してしまい、倒れてしまう。彼女の住むアルシャーブ地区は、米軍とサドル派民兵が毎日のように衝突しているサドルシティに隣接していて、夏ごろからアルシャーブ地区にも拡大してきていた。ディーナはその頃から国を出たい、と言っていた。もう限界だったのだろう。見かねたファディは、難民受け入れに寛容なスウェーデンへ送ろうといろいろツテを手繰ったらしい。ディーナのパスポートは偽造だが、今のイラクでは一般市民が正規ルートでパスポート手に入れるなど、考えもつかないだろう。モノ自体は本物も偽造もさして変わりはない。なにせ、正規の紙を使っているのだから。偽造パスポートを使って、パリまで行き、フランス入管に拘束されて空港の一時滞在施設に入った・・・。ここでファディから電話があった。何度も連絡を試みるが、NG。その後、彼女は入国が認められ、1週間ほどの滞在が認められたと一時滞在所へ電話してわかった。ファディは、「ケンジ、彼女を何とか助けてあげてほしい!」ドサクサに紛れて(?)“I love Deena.”と冗談とも真面目とも取れる調子で、電話をかけてきた。新しいホテルの電話番号を聞いたが、これも全然繋がらない。何とか連絡を取りたいが・・・。
イラクで死んだ君へ
月曜日に東京外国語大学で講演。
題目は「人道的報道~ジャーナリズムの限界と可能性~」
『ようこそボクらの学校へ』他の上映とお話。講演の最後50分程度を質疑応答にあてた。
質疑応答が終わって、最後に青年の話題に触れた。同世代の彼らに話すこの機会に、イラク情勢を知る者として、伝えたいことがあった。絶対に「彼を責めてはいけない」ということだ。自分探しをしたいという思いや、この世界で起こっていることを見てみたいと思うことは誰にでもあるということ。たまたま場所がイラクだったということ。もしかしたら、イラクだったから行きたいと思ったのかもしれないね。「探検部とか言って、アマゾンの川下りに行くのも同じことだ」という例えに、学生たちはきょとんとしていたようだったが、引っかかりにはなったと思う。何かを感じたい-そういう思いは誰にもあるものなのだ。彼を責めてはいけない、責められるべきはもっと他である。
<質疑応答>
Q. 『ようこそ僕らの学校へ』のDVDで子供たちの語り口が一人称で語られていますが、客観的な視点から見て、どのような考えであのような手法をとったのですか?
A. あれは現地の人たちをより身近に感じて欲しいという意図をもった演出方法の一つです。客観コメントはNHKなどの番組で放送した際に使用しました。そもそも『ようこそボクらの学校へ』は、普段番組で使いきれなかった現地の人の声を出来る限り伝えたいと思ったのがきっかけです。時間尺や内容構成の関係から、番組ではどうしてもカットされてしまう部分があります。今回のDVDでは、現地の人の言葉やメッセージをより多く入れようと考えました。
また、小学校高学年や中学生がこのDVDを見た時に主人公に共感してもらいたいと思って、このような手法をとったということもあります。
Q. 取材をしたときには報酬を払うのでしょうか?
A. まず、なぜ取材をしたいか説明することは大前提です。取材ができたら、お金を払います。報酬というわけではありません。日本で誰かを訪問する際、菓子おりを用意するのと同じです。知らない土地で知らない人たちの家にズカズカ入っていくのですから、これは礼儀でしょう。たいてい現地では時間がなくて、礼品を用意することが出来ないため、$20から多くても$100くらいを差し上げます。ただし、自分たちはけしてボランティアではないということを必ず伝えます。私たちを迎え入れてくれたので個人的にお礼をしたいのです、と感謝の言葉を添えます。
Q. 取材したものを編集の段階で自分の意図と違うように使われてしまうことはありますか?また、編集前のディスカッションは必ずするのでしょうか?
A. 多角的な解釈が出来るものは撮りません。きちんと何を伝えるかという視点をもって取材を行うので、映像の使い方はある程度決まってきます。あいまいな取材や表現はしません。けれど、よほど悪意のある人ではない限り、こちらの意図を曲げて使うことはしませんね。
また、番組制作側スタッフと信頼関係がある場合は、映像と基本情報のみを送って、後のことは任せる時もあります。万が一、悪意をもってこちらの意図を無視するような使われ方をした場合は、損害賠償を求めて訴訟も持さない。というのは言い過ぎですが、絶対に許しません。
Q. イラクで米兵について取材をした場合、米兵と敵対している側からはジャーナリストも敵とみなされるのですか?また、米兵の取締りを受けた際はどのように自分はジャーナリストということを示すのですか?
A. 敵対しているAとBがいて、自分がA側のテリトリーに立っていた場合、それだけで
B側の人たちからは敵とみなされます。
また、取材に入る前に米軍のプレスセンターに名前を登録していきます。現場で米兵と遭遇した場合、彼らはプレスカードをチェックして身元を確認します。
Q. ジャーナリストとして欠けてはいけないものはなんですか?
A. 情報の管理と批判的精神です。この二つは最低限ジャーナリストが持ち合わせていなければならないものです。
情報の管理というのは、自分の取材したもの・メッセージの適切な伝え方や時期を考えること。それから、取材過程で得た秘密や約束したルールをきちんと守るということです。自分の取材に責任を持つということです。
批判的精神は物事を疑ってかかることです。言葉や文字をうのみにするのではなく、基の事実はどうなのだろうか?個人の思惑がどの程度含まれているか?現状はそれで良いのだろうか?と常に考えて、いわゆる「うら取り」することです。
Q. しばしばメディアにニーズを作り出されている気がしますが、どうお考えですか?
A. 「メディアは国民の鏡」といいます。つまり国民が望むものがメディアに流されているということです。テレビ番組にはスポンサー企業がいて、スポンサーの意向が反映されます。そうしたスポンサー企業で働いているのは一般の国民ですし、消費することで企業を支えているのも一般の国民です。面白い番組がないという状況は、半分は国民に責任があると思います。
Q. 中立というのは、多角的に色々な声を聞くことですか?
A. 中立であるためには自分“個”の存在が必要です。単に情報を垂れ流しするだけではなく、自分の意見や立場を持たなければなりません。自分の意見というのは感情的な意見ではなく、データや経験に基づいたジャーナリストとしての意見です。
NHKを例にあげれば、彼らの報道姿勢は公正・客観的であるということですから、良し悪しの判断は視聴者に任せるということになっています。しかし、世界が関わりあって成り立っている中で公正・客観的であるためには、自らが強固な独立性を保っていないと「あの人は中立だ」と誰も認めてはくれないでしょう。独立した存在であることを常にアピールして、いかなる人や権力に対しても同じ目線も持ち、毅然としていることが要求されます。特に、戦争のように敵か味方かしかない現場では、独立した個の姿勢を認められなければ、「自分は公正・客観的です」といくら言ったところで単なる「建前」「見て見ぬふり」「ことなかれ主義」に過ぎません。例えば、「戦争に賛成か反対か」と問われた時、「私たちは公正・客観性が信条だから、どちらとも言えないし、言うつもりもない。視聴者の方々が判断してください」と答えたとします。この答えは、メディアという「箱」の姿勢としては認められても、ジャーナリズムの姿勢ではありません。自分の意見を持ち、かつ「私たちはあなた方にも彼らにも加勢しない」と公にはっきりとアピールすることが重要です。
Q. 新聞などを中立だと信じるために、考える力をなくしている人々が多いと思います。どうお考えですか?
A. 変えられるのは今のあなたたちの世代だと思います。パワーのある人々のネットワークなどでしか変えることは出来ないかもしれません。メディア業界は他の業界に比べて、免許や慣習を理由に甘えていると感じることはあります。
Q. 視聴者は取材されている相手を、そのコミュニティーの代表的存在として捉えがちです。取材時、取材対象はどのように選ぶのでしょうか?
A. まず母子家庭や父子家庭、孤児など厳しい環境におかれた人たちを探します。しかし、日本で映像を見る大多数の人たちとかけ離れた存在にしてしまわないように、ごく平均的なイメージの家庭や人を選ぶこともあります。ただ、時間がなくて、どちらか一方を選ばなくてはならないとしたら、厳しい環境におかれた人たちを選びます。援助の手がより必要な人たちだからです。
取材対象は、通訳やドライバー、現地の人たちの力を借りて探します。
拒絶反応
Nov.20.2004
イラク・バグダッドに事務所を開設したいと、契約してくれる局を探す営業をはじめて3週間がたとうとしている。契約者ゼロ。最初の3日ほどは、「ほんとに?」「やめといた方がいいんじゃない?」といった反応はあった。でも、結局彼らの気にしている点は同じで、「何かあったら、今までのような単なる責任問題だけじゃすまない。あんな事件があったのにまだ懲りないのかって激しい世論の批判にさらされる。彼はいい仕事をしたとか、勇気があったとはもう誰も絶対に評価しない。しまいには、行った人間も行かせた人間もバカ呼ばわりされる」ということだ。親しいプロデューサーたちさえ一回話しただけで、それ以降は口をつぐんでしまった。一体、日本のジャーナリズムはどこに行っちゃったんだろうと、正直首を傾げたくなるけれど、ここから先は、この国の媒体の扱える範囲を超えるということなのだろう。
先週今週と、来年度の企画提案をいくつか行なったが、イラク関連企画はテーブルにすら乗っけられないという趣旨の返事がNHK他から返ってきた。イラク関連で可能なのは、ヨルダンなど周辺国での取材で済む内容のもののみ。イラクの今を取り上げるのに、その国内は見ずに周辺国だけで番組を作ろうとすれば、内容的に薄くなるか、無理やりこじつけるか、歪めるか、いずれにせよ、きちんと問題を正面からとらえた番組にはならない。“逃げ腰”感まるだしの番組に、見る側も作る側も価値は見出せないだろう。今の時期に通らなければ、来年3月以降、少なくとも春先までは、イラクを一般市民の目線で伝える長尺番組は「今のところゼロ」ということになる。そう考えると、愕然とする部分もある。
自衛隊を送っているというのに、国民はイラクの実情を知る機会がなくなっていく。材料がなくて、どうやって延長の是非や撤退するか否かの議論を進めていくのか?
イラクは現在進行形だ。「ベルリンの壁崩壊」のような一言で記される史実ではなく、日本の戦後と同じように、戦争-占領-復興(新国家建設)というひとつのサイクルだ。歴史が今生まれていっているのに、それを映像で記録しておきたい、書き記しておきたいと思わないのだろうか。われわれは、過去の記録映像を見て人間の歴史を考察したり、歴史から学んだり、感嘆したり、するのではないか。それが、われわれが後の時代に生きる子どもたちに残してあげられるものではないか。
しかし、困ったなあ。今回イラクで仕事をするには、いっしょに働いてくれる彼らの生活も考えてあげなければならない。万が一事故に遭った時、家族への補償になるようにきちんと給料面を考えてあげなければならない。その予算が確保できないと今回は難しい。しかし、1月は戦争-占領-復興(新国家建設)のプロセスの中で、新国家建設段階のスタートラインにつけるかどうかの重要ポイント。一般市民が主役になる時だと思う。何とか記録して、伝えたいと思うけれど・・・う~ん、なんとか契約とれないかな。予算の問題だけじゃなくて、どう出すかってところも考えないと。まさか、拒絶反応を示されるとは思わなかったな。TVや大手媒体はもう可能性薄か。
非常事態宣言
Nov.8, 2004
企画書作成で夜が明けた。
ニュースをつけたら、「イラクで、北部を除く全土で非常事態宣言発令」という報。今後の取材計画にやや不安。先週末、サマラで連続爆破事件&米軍襲撃があったが、その余波だろう。暫定政権は、このままでは1月の選挙が行なえないと今後2ヶ月間非常事態宣言下におくとしている。1月の選挙に向けて、武装勢力の拠点となっている地域で、米軍は掃討作戦を行なっている。サマラの次はファルージャだ。ナジャフの時と同じように、米軍の包囲する中には入れないだろうな、とも思う。
そういえば、今年6月の主権移譲にあたって、非常事態宣言の取り扱いと宣言下における駐留連合軍の活動範囲、暫定政権の発令の権利や役割について、議論があったと記憶している。
また、多くの民間人の命が奪われるのか。ファルージャから避難してきた家族をインタビューした時のことを最近よく思い出す。父親の朴訥で真剣な表情、すがるようでもあり、また決死の覚悟もたたえたまなざし。開戦直前、クルド自治区に決死で逃げ出してきた一家の父親と同じまなざし。
ゲバラ親派の高校生か
Nov. 6, 2004
日本ユニセフ協会千葉県支部が主催してくれた、高校生たちとの勉強会(交流会)に行った。
出迎えてくれたのは、渋谷教育学園幕張高校の2年生7名、東邦高校の2年生2名、ボランティアスタッフの方3名と事務局長。
皆、「ようこそボクらの学校へ」を見てくれていたので、その感想や疑問、意見をもとに話をすることができ、有意義だった。
あの中では、アフガニスタンやイラクのストーリーは身近だし、確かにわかりやすい。いつもの講演会とかだと初見の場合が多いし、時間が短いこともあってどうしてもわかりやすいものを取り上げがち。でも、今日はチェチェンやザンビアの話を取り上げて、いろいろな話ができたので良かった。
リーダーの少年は、学園祭で「イラク復興募金」と称して12万円集めて募金したという。
青年の事件もあったため、イラクはいったいどうなっているんだ?という率直な疑問が、彼らにはあったように感じた。後半はイラクの話に集中した。
武装グループと警察のレポートは、今の状況を良く説明できると思い、見てもらった。
あのような端的でストレートなレポートは、少年たちにはわかりやすかったと思う。
自爆テロで何人死んだ、外国人が誘拐殺害された、というニュースのうしろに
どんな人たちがいて、どんな事情を抱えていて、何を考えているのか、わかったようだった。
自分たちが集めた「イラク復興募金」を使う人たちは、どんな日常を送っているのか、わかったようだった。「マジ怖え」としきり。考えていたより事態は簡単ではない、とちょっとショックを受けたのではないか。
彼らが「ニュースで知ることのできないことを知りたい」と言っていたのが興味深かった。
「世界のことをもっと知りたいんです」と。
才能も可能性も無限大の彼らに、この国のマスコミやジャーナリズムはほとんど応えてあげていない。求める意のままに国境を越えて、自分たちの才能や可能性を輝かせる場所へ、どん欲に飛び出していってほしい。
批判
Nov. 3, 2004
タフな電話だった。
自分は瞬間湯沸し機みたいなところもあるし、物にあたったり、キレて暴力的になることもあるから、電話で距離をとるのは良かったかもしれない。
本当にこの人と付き合おうとするなら、やはりとことん言い合った方がいい。
気持ちを表現するというのは、少なくとも今の自分には大切なことだと感じる。
言いたいことがあっても言えなくなってしまうのは、なぜなんだろう?
その時に思っていることをなぜ、口にできないのだろうか?
自分に自信がないからだろうか?
その時の意見や考えを反芻せずに口にすれば、批判や意見の衝突が起こる。
批判されることや、意見の衝突に自分は慣れていない。
ひとことで言って「あまい人間」なのだ。
道のりは遠いな。
「頭数になる」ということを「プロのジャーナリストではない」と言われた。
「ジャーナリストの書くべき文章ではない」と。
その意見には耳を傾ける価値がある。
でも、今はそれでいい。
自分のこれまでのやり方やスタンスを崩して何かを見い出し、拾いたかった。
この歳になってくると、いろいろ経験してきたし、もう劇的に新しいことを吸収できるものではない。これまで見落としてきたものや見向きしなかったものの中から、手にとってみて磨き上げていくことが必要だ。まちがっていないと思う。
ブログ日記とは、妙なものだ。
日記といいながら、密室媒体ではない。
『ブルータス』では有名人らのブログ日記の特集をやっていた。
ブログ日記がすでに新しい活字媒体の形だとすると、その作法もあるのだろうか。
大統領選挙。ブッシュが嫌だと言っても、あと4年待てば自然といなくなる。「ブッシュが嫌だからケリー」というコメントをいくつも聞いているうちに、今ケリーになっても劇的に状況が変わるわけではない気がしてきた。
青年を迎えにきた父は、妻の手をしっかり握って力強く大股で歩いているように見えた。
何も言葉はないけれど、ひと段落ついたらどうか休んでください。
悔しくてたまらないかもしれない。でも、青年の死は、自分を含めて遠くで傍観する者たちの心と記憶に印をつけた。この印によって、何かの拍子に青年のことを思い出す。
兵士や報道関係以外でイラクで殺された他の人たちも同じく、そういう存在だ。
“I’m sorry.”
Nov. 1, 2004
もう2日の朝。
さっき、事務所準備のことでアンマンに滞在中のファディに電話をしたら、ディーナもいっしょだった。アンマンのスイス領事館に移民手続きをしに来たと言う。ビックリしたと同時に、彼女がスイスに行ってしまったらもう会えないのか、と思って少しガッカリ。
でも考えてみれば、彼らはもうじっとしている必要はないんだよな。ハイダもそうだが、高等教育を受けている人たちは、危険なイラクを離れて他国で日常生活を送りたいと考えている。その気持ちはとてもよくわかる。
開口一番、彼女は”I’m sorry for killing that young Japanese.”と言った。
なんか救われた感じがした。
自衛隊の宿舎が攻撃された。
第一報のコメントはまたもや「~らしい」「よくわからない」「不明」「調査中」・・・。「わからない」わけがない。現地の自衛隊は東京の防衛庁に一体どんな言葉で報告しているのか?
サマーワには報道陣もいないからまったく確認のしようもない。不発弾だろうが、隊員にケガ人はいないとか、問題ではない。「本気で攻撃された」ということ、それ自体が問題のはず。
攻撃対象になっているのだから、宿営地の外へ出れば交戦になる可能性もある。たとえ宿営地内で給水を行なうと言っても、こうなってくると、給水しに来る地元の民間人が攻撃にさらされる可能性もある。これまでのことはさておき、今後はもうまともな人道援助活動なんかできるわけがない。
まともな人道援助ができない以上、自衛隊派遣の”大義”も失われることになる。税金の使い方という見方からしても、自衛隊のイラク駐留は無駄使いだ。延長議論の際、サマーワで住民投票を実施したらどうか。小さな町だからやろうと思えばできるはずだ。何も政府がやらなくたっていい。野党だってお金があるんだからできるはずだ。こうしたことをやろうとしないで、ただ小泉首相の個人批判をくりひろげてもまったく説得力なし。この国は大統領制ではなく、国会が国政の最高機関なのだから、国会議員はみんな同罪だ。
自分はサマーワに行けるか?やはり怖い。殺されることが?いや、それだけではなく、取材したことを世に問えない、黙殺されるのではないかという不安もある。
「自分探しの旅」だったとして、何が悪い?
100ドルしか持っていない若者に「金は大丈夫か?」となぜ聞いてやらなかった?
もう、家族の悲しみと落胆は計り知れない。
主は、青年の死をもって自分たちに何を知らしめようとしているのか。ずっと問い続けなければならない。
「不明」「わからない」
Oct. 30. 2004
バラド-バグダッドから1時間半ほどの、ティクリートへ向かう途中にある小さな町。スンニ派三角地帯に位置し、サマラ、バクーバなど、サダム支持者の残党を含むスンニ派武装勢力による激しい反米活動が日常的に行なわれている地域・・・。米軍による掃討作戦がしばしば行なわれる地域・・・。
朝から、政府関係者からは「不明」「わからない」というコメントばかり。
米軍の報告はそんなに不十分なものなのか?青年の指紋を今頃取っているって、どういうことなのだろう?日本側は青年に関するあらゆる情報を現地に送っていたのではないのか?もし、自国民が誘拐されたらとか、事件に巻き込まれたらとか想定していなかったのか?いくつものシナリオを想定し、対応策のオプションを確保できないのか、この国は?不思議だ。いつでも事が起こってからしか対応しない。後手後手の感がある。
平和な時にやっておくべきことはいっぱいあるのに、利己的な政争を楽しみ、夜な夜な酒臭い大口でバカ笑いしながら街を歩き、「自分のことで手一杯」と忙しさを装う人たち。
「アジア人の遺体」という表現から「日本人らしき遺体」と、いつ、どうして変わったんだ?
政府もメディアも発表するのに、ものすごく慎重になっていて、ある意味わざと時間かせぎをしているようにも見える。「日本の外交官二人が殺された同じ一本道の途中」という説明コメントはない。人々へのショックを最小限におさめるために、情報は少なく、事実はじわじわと時間をかけて公開していくという方針/ やり方なのかもしれない。もしそうなら、彼らの本音はひと段落ついてからわかるはず。大臣や副大臣の二言目、「残念」とか「無念」とかいう言葉の後に何を言うか、注目したい。
米軍が直接外国人の遺体を発見したとしたら、犯人たちはわざわざ発見されるような場所に遺棄したのだろう。見せしめのためだ。イラク警察が見つけたとしても、彼らのパトロールのやり方から想像するに、目に付きやすい場所だったのではないか。通報かもな。
なぜ、殺したのだろう?
犯行声明も出ていない。
・・・これだけ分析してしまうのに、不思議なものだ。自分は発見された遺体が、あの青年でないことをイメージしている。
神様、あなたが青年にお与えになったご計画がいかなるものであっても、どうか、青年の家族の手と足だけはくじかないでください。