●元旦~14日 アフガニスタン取材
本年はお世話になりました。
よいお年を!
作成者アーカイブ: Kenji Goto
2006年8~9月の予定
●8月26日~ レバノン取材
●弊著『ダイヤモンドより平和がほしい』が
秋田県特選図書(小学校高学年・中学校)
第39回岩手県読書感想文コンクール課題図書(小学校高学年)
になっているようです。
コメント /
- しまこ より:2006年8月24日
実り多い取材であること、そして何よりご無事をお祈りしています。
あと、「弊著」は「拙著」かな?
2006年7月の予定
● 7日 ユニセフ新版DVD&ビデオ完成
(邦題)『この世界に生きる子どもたち』
(英題)”Friends on One Earth”
お問い合わせ先:財団法人 日本ユニセフ協会 学校事業部
● 12日~28日 コンゴ民主共和国(旧ザイール)、ルワンダ取材
● 29日,8月6日 大分県教職員組合主催 講演会
コメント /
- デンデン…..@ノ” より:2006年8月5日
勝手に、本の写真を掲載させていただきました。
著作権???等に触れるようでしたら、すぐに掲載をやめますので、ご連絡下さい(_ _(–;(_ _(–; ペコペコ
- がみがみMAMA より:2006年8月6日
今までは太平洋戦争の話などから戦争の悲惨さなどを
学んでいました。
しかし今日は今、私達が平和に暮らしているこの瞬間にも
世界では戦争などで苦しんでいる子供たちがいるということを
改めて考えさせられました。
帰ってから著書の「ダイヤモンドより平和が欲しい」を
一気に読んで耐えられない悲しさとやりきれなさに胸が苦しくなり涙が止まりませんでした。
我が家の長男は今12歳です。
この子が銃を持ち人を殺すことなんて考えたこともありませんでした。
今の私たちの平和を改めて感じるとともに
世界中で起こっている悲しい出来事をただしく伝え
訴え続けている後藤さんをすごい人だと思います。
これからもお体に気をお気をつけて
ご活躍を期待しております。
事後報告になってしまったのですが
私がコツコツと続けておりますつたない親ばかHPに
著書の紹介をさせていただきました。
テヘラン (3)
IRINN=イラン・ニュース・ネットワーク という衛星チャンネルを観ていた。定時ニュースもあるし、教育に関する話題を集めたニュース枠、自然科学番組もあった。夕方の定時ニュースは画面右に男性、左に女性のキャスターが座って淡々と今日のニュースを消化していく(男女キャスターの位置は万国共通・・・なぜだろう?)。画面下部には英語のニュース・バーも右から左へ流れている。
トップは宗教指導者がどこかなにやらの式典に参加したというもの。続いて、アヤトラ・ハメネイ氏の静止画にコメント。次に、イラク外交使節団との会談・・・などと続いていく。政治ニュースもあるが、あくまでも自国の政府広報に徹している。
そして時々、反米・反イスラエルをアピールする画が差し挟まれる(例えば、アメリカやイスラエルの国旗に赤いバッテンが引かれるとか、イラク戦争の米軍が一般家
庭を捜索する様子や大怪我をした子どもの映像)。番組の合間合間にイスラムの歌やコーランの一節が、万華鏡のような画面とともに流れる。ちなみに国営放送は、対談、ニュース、スポーツ、映画、アニメ。特に、新聞のラテ欄(あるのか?)を調べたわけではないが、映画とアニメが多い気がする。
街中のファーストフード・レストランやショップで、市民がテレビを漫然と見ている風景はほとんど目立たない。その辺は、バグダッドとは大きく違う。ラジオはついていても、さほど気にして聞いている風でもない。それよりも忙しくしているTehranisの方が印象に残る。
一方、新聞スタンドではバグダッドと同じ風景が見られる。午前中、(何誌あるのかわからないが)道路にたくさん並べられた新聞を、男たちが下を向いて読んでいる。買う人は少なく、しばらく読んで足元から視線を上げると、タッタカ歩き去る。
30歳前半の一人のイラン人女性と話をする機会を持つことができた。サムスンの現地エージェントで会計・送金の仕事をしているという彼女に、疑問に思っていたことを聞いてみた。「テヘランの人たちは政治に興味がないのかな?」と。すると、意外な(私にとっては)答えが返ってきた。
“Yes, they are interested in politics. And they know how politics is.”
-「政治に興味はあるし、今どうなっているかも知っています」
あー、そうなんだ・・・。でも、関心がないように見えるのはなぜ?
“They are afraid that police catch them.”
-「逮捕されるのを怖がっているのよ」
みんな満足はしていない、現政府をおおっぴらに批判すると逮捕される、と彼女は言った。
でも、景気はいいように見えるけど・・・?
“For very few people, yes.”
-「一部の限られた人たちにとってはね」
教師を定年退職した母親と同居して二人暮らしの彼女によると、自分たちの暮らしは1月1,000ドルでやっていけるレベルだと言う。でも・・・、
・自分の給料は一月300ドル。安い。持ち家じゃなかったらすごく厳しい。
・民間よりも公共の組織の方がもっと厳しい。公立教師をやっている弟は、学校が終わると タクシー運転手をして家計を支えている。
・私たちの生活は以前と変わっていない。
・多くの人たちは現政府の経済政策には不満を持っている。
周りには一応イラン人男性がいるのに、外国人男性とそんな話をしていて大丈夫なのか?とも思ったが、特別な視線も感じなかった。
黒髪、黒い瞳のジュリア・ロバーツ似の彼女は話しっぷりも映画の中のジュリアに似ていた。お互い英語が完璧というわけではないけれど、私は、英語でこうした会話のできる彼女がどんな家庭環境に育ったのだろうと、興味をもった。
母は、必ずヘジャブ(頭にまいたスカーフ)だけは付けていなさいと言う。でも、自分の知らない世界をどんどん見に行きなさいって、一人でも海外旅行に行かせてくれる母だと言う。進歩的(これが適切な表現かどうかも疑問だが・・・)な方だ。
ところで、イランの外務省職員は緩慢かつ無知識、やる気のないくせに態度は小役人そのものだ。わかっていたことだったし、ビューロクラティックというか、この人たちに何を話しても何もしてくれないなという確信すらあった。それでも、しかし外務省なんだから、英語くらいは話すだろと思っていたけれど、期待はみごとに裏切られた。イランの政府機関の人たちを相手にするのは我慢が必要なことをあらためて思い知らされた。そうか、きっと給料も安いのか。
ドバイ行きのエミレーツは満席。ふと、急にハデな髪型の女性がたくさんいるのに気がついた。スカーフをとったイラン人女性たちである。その中で、黒髪のジュリアはスカーフを取らずにいた。
今度の休暇には、500ドルのタイ・ツアーに行くことを計画中だと言う彼女。今回、これからお世話になるだろう知人が何人かできたが、最後に彼女と知り合えたのはとても良かった。
金融を含む経済制裁が本当に行われた時、一般市民の生活にすぐに影響が出るだろうことがよくわかった。
イランのタフな外交が孤立主義へと向かわせた時・・・どうなるのか?
イラン国内では平穏さを装うだろう。でも、宗教、思想、人、経済でつながっている隣国イラクやアフガニスタンの方には今以上に不穏な動きが増すのではないか。そうやって揺さぶりをかけられると思う。
イラクとアフガニスタンの状況は今でも好転する材料はまったくない。
次の焦点は、イランが経済制裁を課せられるかどうか・・・。
6月初日
テヘラン (2)
テヘランより
宿泊しているホテルには衛星チャンネルは入っているけれど、西側のテレビは見られない。
英BBCの映像は移ったり消えたりで音声は入らず、仏TV5はかろうじて映像音声ともに入る(ことが多い)。
CNNはもちろん“砂の嵐”。テヘランの都会的な街中の雰囲気に比べて、イランのテレビ番組の方が、よっぽどイスラム色を感じる。コーランの音読に始まり、イマーム(イスラム教僧侶)のインタビューなどが続く。それにアニメ。番組は少なくとも一般市民の知識や好奇心を広げる内容ではなさそう。
ニュースもあるが、西側のニュースはほぼなし、というか政治に関するニュースがない。イランのメディア事情は鎖国状態だ。
イランは、しばしば政府を非難する記事を載せた新聞や雑誌を摘発してジャーナリストを逮捕する。が、言論統制をしく国は程度の差はあれ他にもある。国境を封鎖しているわけではないから人の行き来があって。インターネットもできるから、国外の情報に全くアクセスできないというわけでもない。この国における情報や言論の自由の根幹には、イランの人たち自身が現在の日常生活に満足しているかどうか、という点が影響している。
満足の度合い-毎日仕事があって、家族がきちんと食べていける、子どもが普通の学校にも通える、国内の移動も(一見)厳しくない・・・これで満足なのではないか。高い給料や高い教育を得ること、新しい世界を経験することなどなど、イランの一般市民はさして望んでいないのかもしれない。国際ニュースへの関心もしかり。ここにいて、最初から気になっているのは、大多数の一般市民の教育程度だ。自分の周りの日常しか気にならないし、知らない。
自らのアイデンティティを中心に生きる-こういう国、社会があってもいい。日本人には、ちょっと“濃い”と感じる国や人たちかもしれない。
一般市民の満足度と政治や外交は違う。駆け引きであり、勝ち負け付のある種のゲームだ。ぶつかり合う国益をいかに獲得していくか?私はグローバル化という言葉に、世界がいい意味でシェアし合うという印象を持ったことがある。互いに依存しあうようになって、そうしなければ生きていけない世界になったのか、と思った。
でも、今の世界の実態はその反対だ。たとえば、石油を獲りにいったイラク戦争のように。どこの国も自らの国益を他国に対して激しく主張し合っている。これが外交の現状。
今後、イランの人たちの心に他国への憎悪が生まれるとしたら、経済制裁が実際に行われた時だろう。人びとの生活が貧しくなって「何で私たちだけが!」と不満を募らせた時、この国の政治指導者は宗教や慣習を巻き込んで一気に大衆を操作できる。スパイラルに戦争の道を落ち込んでいく。核をカードにするイランの外交には、そんな怖さを感じる。もしそうなった時、隣国イラクはどちらにつくのか?ブッシュ大統領の「敵か、味方か」という無理やり陣営分けした言葉が思い出される。
テヘラン (1)
今、テヘラン。
こちらでは, internet cafe のことを、coffee net と呼びます。
とにかく英語表記が街にほとんどないので苦労していますが、
ようやくADSLのできるカフェを発見。こうしてメールしています。
明日もつながるかはわからない。
この大都市の印象は?というと、NYC Islamic version です。
若い男はロン毛、女性は化粧品CMのようなメイキャップ、
恋人たちのイチャイチャ度はパリ並。カルチャーやアートも
バラエティに富んでいて、とてもロマンチックかつエネルギー
(原油か!)のある街です。
意外にも、アラブよりイスラム色は感じさせません。
経済的にも豊かだし、宗教的なことで何かを強制されることを
感じることもありません。少なくともここ、テヘランでは。
北イラク・クルド取材以来二度目のイランだけど、
その時には得られなかったイメージ。
国際ニュースでの取り上げ方は、あまりにも一面的だったの
ではないかと、肌で感じています。
街のおじさんたちは、アフマドネジャドさんのようなルックス。
あの庶民的なところが人気の秘密なのかも・・・。
核問題は政治問題ではなく、経済問題として話し合うスタンス
は受け入れられるような気がします。
いったい本当のところはどう考えているのか、インタビューして
みたい方ですね。
●
私は、石油(原油)がこんなにも世界の動きのほとんど全てを
方向付けているのかと肌で感じて、正直自分でも驚いています。
それは、経済的豊かさという点で、庶民の暮らしや考え方にも
大きく影響するものなのだなあ、と。イスラムと石油、面白いです。
日本はイランとの関係をどうしていこうというのか?
イラクから離れられないのも、イランとの石油(原油)問題が膠着
状態だからなのか?
日本のエネルギー政策を左右するのは対米国?対中国?
どこにあるのだろうか?などと考えたりします。
今もアフガン難民を抱えるイラン。その実態も気になるテーマです。
テヘランの街中のみならず、国中にUNHCRの募金箱が据えてあるし、
イラク、アフガニスタンと国境接するこの国にとって、「難民」という言葉は
日常的なものなのだと感じる。戦争が原因であれ、経済的原因であれ、
この国により良い生活を求めてやってきた人たちを認めてはいる。
でも、無条件で救おうと考えているかどうかは、わからない。
今、この coffee net の方が紅茶と小さなデニッシュを、笑顔とつたない英語で
差し入れてくれた。
テヘラン 午後4時半。
クーラーのきいた雑居ビルの部屋に長い時間いた体に、暖かい紅茶がしみ入る。
外は車とバイクの騒音で相変わらず騒々しい。
コメント /
Takuma SUDA より:2006年5月30日
ご無沙汰しています。後藤さん、今イランなんですね。僕も昨日、イランの友人に電話をしてファラシュテの近況などを聞きました。
たしかにイランには募金箱たくさんありますね。友人も何気ない買い物や出勤の途中で入れていました。
イランでは地方都市に行くと、失業した若者が目立ちます。
仕事もないので、昼間町をふらふらと歩いては、仕事がないと愚痴をこぼしていました。
『ダイヤモンドより平和がほしい』が産経児童出版文化賞・フジテレビ賞を受賞
5月5日に発表された「第53回 産経児童出版文化賞2006」にて、『ダイヤモンドより平和がほしい~子ども兵士・ムリアの告白~』がフジテレビ賞を受賞しました。
SankeiWeb 産経児童出版文化賞決まる
SankeiWeb 【第53回産経児童出版文化賞】(2-1)
以下、選考委員である松井洋子(日本大学助教授)さんからの評を転載します。
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【フジテレビ賞】『ダイヤモンドより平和がほしい』後藤健二著
■本当のダイヤは子供
アフリカの内戦で元子供兵士だったムリアの目は今も厳しい。両親を殺害され、自分が殺人マシンにされた悲惨な体験を、麻薬を入れられた顔の傷跡とともに受け入れ、生きていかなければならないからだろう。
しかし、現在の彼には、一緒に遊べる友達、勉強、大統領になりこの国を平和にしようという夢がある。彼は、施設の温かい人々、彼のしたことを忘れないが、許そうとする人々、彼の新しい生活を「許し」として与えてくれた神様らに生かされていることを理解している。
私はこの彼の姿に感動した。平和とは子供が夢をもてることなのだろう。本当のダイヤモンドは子供であると思う。(汐文社・1365円)
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コメント
しま馬 より:2006年5月9日
おおーおめでとうございます!
「カトリーナ」に暴かれたアメリカのトラウマ
ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けたニューオーリンズ現地に入りました。
超大国「アメリカ」でいったい何が起こっているのか?
「カトリーナ」によって暴かれたアメリカのトラウマを描ければ、と思います。
市内に入るのに軍(州兵)によるチェックポイントがあります。
渋滞がひどいですが、プレスカードがあれば問題ありません。
現在オープンしている市内のホテルはすべて、復興事業に関わる人たち(政府レベルから技術者レベルまで)を送り込んでいる組織・企業が買い上げ/借り上げており、部屋は見つけられませんでした。
水はもうほとんど残っていません。
中規模のホテルは日毎に少しづつ、オープンしてくると思います。
ただ、復興には時間がかかるだろうというのが実感です。
特に、ダウンタウンのビジネス街は略奪の跡も、まだナマナマしく、ゴミや瓦礫の山が散乱し、放置された生ゴミの匂いが、まるで建物や道路のコンクリートに染み付いてしまったのかと思うほど、ねっとりと漂っています。
看板や木々の倒壊は大規模です。
建物の損傷も屋根が飛んでしまったとか、窓ガラスが割れているだけという次元ではなく、まるで戦闘の後のように壊れています。災害取材は初めての経験ですが、カトリーナの威力の凄さがわかります。
今日は、介護ホームで母親を亡くしたトム・ロドリグさんに会いました。
彼は元州兵出身で緊急事態対応の専門家でした。
現在はニューオルリーンズ市ジェファソン区の洪水対策の専門家として働いています。
ニューオーリーンズの堤防補強予算が削られた際にも、このままでは危ない、とFEMAに働きかけ、連邦政府の危険地域重点対策予算をもらって、ニューオーリーンズを洪水の危機から救うべく長年努力してきた方です。
しかし、度重なる陳情にも関わらず予算は一銭もおりませんでした。
そんなトムさんの母親は、今回老人介護施設で置き去りにされて溺死していたのです。
大きな国家レベルのnegligence=怠慢と、介護施設の経営者によるnegligence=過失のダブルネグリジェンスの犠牲者となってしまいました。
洪水がなぜ起こったか、事前に防げたのに防がなかったのはなぜか、専門家として発言できる人ですし、介護施設に対しては、動けない老人を置き去りにするという事態が、なぜ起きたのか、追求できる立場の人でもあります。彼からきちんと話を聞いてみようと思っています。
取材は快諾してくれました。
母親の遺体の引き取りは、管轄が二転三転し大変苦労したようですが済ませていました。
現在、彼は仕事場に泊り込み生活を続けています。
27日あるいは28日に彼の居住地区は帰還許可が出る予定。これには同行し、事件後まだ訪れていないという事故現場である介護施設にいっしょに行ってみるつもりです。
また、他にも遺族がいるので現在の状況を当たって話を聞きます。
軍は、想像通り、毎日プレスカンファレンスをしています。
州兵話は、プレスオフィサーを捕まえました。
明日、打合せをする予定。
警察官の80%が家を失った状態で、警察署や仲間の家に身を寄せています。でも、何とか威厳を保とうとしている様子が表情に表れており、彼らの弱さと強さに関して、どこまで素顔に迫れるかは、もう少し時間いっしょに過ごす時間が必要。
ただ、一般市民の表情、軍人や警察の表情や雰囲気が、イラクやアフガニスタンとは違います。
その理由は、もう少し取材してからまとめたいと思います。
学校はもちろん開いていません。
子どもたちはどうしたのか、気になります。
子どもを捜しているというニュースはここ数日沢山出てきていますが、子どもが親を探しているというニュースはまだあまり聞きません。
とりあえず、今夜から数日は現地スタッフのスティーブの恋人のお家に泊めていただくことに。メール環境も整っていて、本当に幸運です。
衛星携帯イリジウムをコーディネーターが用意してくれましたが、非常時用にと考えています。携帯が問題なく使えそうですし、そちらの方が使い勝手がいいので、明日手に入れます。
明日は、まだ水の残っている場所、貧困地区などを見てまわろうと思います。
アルモーメンホテルの子供たち
このたび制作に関わりました番組が、来る土曜日に放送されますので、謹んでご案内を申し上げます。ご覧いただき、ご意見を賜れれば幸いと存じます。
5月14日(土)NHK・BS1 午後10時10分~(50分)
BSドキュメンタリー『アルモーメンホテルの子供たち ~がんと闘うイラクの家族~』
イラクの小さな子どもたちの体を、白血病が蝕み続けています。
過去の戦争で使われた劣化ウラン弾の影響か、とも言われますが、原因は不明のままです。隣国ヨルダンのとあるホテル・・・。わずかな希望をかけて治療にたえる子どもたちとその家族の、現実と苦悩を追います。
どうかご家族でご覧ください。
子ども兵を探して (4)
シエラレオネにNGO数あれど、実績と信頼性においてCOOPIは外せない。
カントリー・コーディネーター のLamorte女史の話は、とても的を得ていて有意義だった。
セント・マイケルズセンターは、NHKのETV2000『断ち切られた家族』やNHK出版『ようこそぼくらの学校へ』に登場する子ども兵士の社会更正施設。「藪の殺し屋」と呼ばれたムリアのいたところだ。母体は、FHM。
【COOPI】
話: Ms. Antonella Lamorte
・女性のための様々なワークショップと、暴力や迫害から女子を守る一時滞在施設”Center for Women”を運営。
・アンプティ・キャンプのリハビリセンターは、現在一般の障害者も対象としている(HANDICAP INTERNATIONALとコラボレート)。
・犯罪(DV、レイプなど)、および路上生活を送る若い女性たちの様々なケア。対象は、少女から25歳くらいまで。
・学校や家を訪問してモニタリング。
・およそ7,000人の子ども兵士たちが武装解除されたが、「まだ戻って来てほしくない」という地域は多い。
・元子ども兵士をサポートするNGOへの批判。
・地域にいても疎外感を感じている女子は多い。とても受動的で、何をされても仕方がないという感覚を持っている。
・体にある刺青やサインを消す少女たち・・・痕が残っている。
・RUFはもとは学生だった(?)。
・2004年は、40ケースのトレーシングが行われた。リベリア側からの問合せを受けたものもある。
・心理療法(社会心理療法)を病院で行なう(HANDICAP INTERNATIONALとコラボレート)。
・問題は、心理療法士のやり方が西洋的で、現地のコンテクスト、アフリカの価値観(1に地域社会、2に個人)に適合できないこと。
・”Single Bush Wife”と呼ばれる10代の少女多い・・・従軍して兵士の妻にさせられて子どもを生み、夫は戦争で死亡もしくは行方不明。
・2005年2月からリベリアでの活動本格化。
・人々は忘れたがっているが、アンプティの人たちは忘れられない。
・アンプティの人と元子ども兵士が同じ施設で暮らしていたケースも以前にはあった。
【ST. MICHEAL’S CENTER】
話: Mr. Berton Giuseppe
・5,6歳で誘拐されて兵士となった子どもは、幼い頃からタバコや麻薬をやっていたため、自分の故郷や家族のことを思い出せない。
・一般的に自分たちが使うストリートチルドレンというカテゴリーとは異なる、「チャイルド・オン・ザ・ストリート」-行き場を失った子どもたち。
・親が離婚。
・心理療法士が足りない。
・元子ども兵士というカテゴリーをはずして、困難な状況にいる子どもたち全般をカバーしている。
・人口の50%近くが子ども(?)・・・子どもに負担が大きい社会。
・”Danger”から”Difficulity”へ。失業、貧困の問題が浮き出てきた。
・シエラレオネ社会そのものがトラウマを抱えている “Society is traumatize itself.”。
・指導者がいない。誰もが行き先を見失っている “No sense of Direction.”。
・フリータウンのスラムには支援の必要な子どもたちが、およそ400人いると見られる。これらの子どもたちは戦争前にはいなかった子どもたち。
・現在、センターには40人の子どもが暮らしている。
・トレーシング(親探し)に決まったやり方はない。
・元兵士だった子らは、自分自身が歓迎されていないと感じることも多い。
・元兵士だった子らは、内面が子どものまま。大人になれない。危険からは逃れたが、何をすればいいのか、わからなくなったり、毎日の暮らし方を見出せない状態に陥る。
・親もとや故郷に帰っても、戻ってくる子どもは多い。
・2002年の4月で、元子ども兵士のトレーシングやリハビリプログラムは終了。
・継続している活動
1、小学校の建設
2、里親探し
3、養子縁組(Association Voluntary Service International (AVSI)による)
これまでに400-500人の子どもが国内外の養子になった。
●FAMILY HOMES MOVEMENT (FHM)
話: Mr. Harry A. Kpange (St. Michael’s Center)
Mr. Augustine Kapindi (St. Michael’s Center)
Mr. Paul Kamara (FHM Kissy town, Assistant Programme Manager)
・St. Michael’s Center の母体。
・グループホームの形態をとり、「家族」単位での暮らしを実現している。
・グループホームで暮らす子どものうち、親のいない子どもは40人。
・40人はケンカや諍いの起こらないように、それぞれ個別に離れて暮らしている。
・何か問題が起こったら、子どもは別のホームに引越しさせる。
・スタッフも同じ界隈に住んでいるので、ホームを訪問する形式のモニタリングは毎日行なっている。
・ほとんどの子どもは学校へ行っている。
・資金援助はイタリアのNGO “Association Voluntary Service International (AVSI)”。
・ひと家族(6‐8人)につき、一ヶ月100万レオン給付。
・Freetown 32箇所(Makeni 2、Lungi 2、Lunsal 2、Lakka 14、Bunbuna 15)。
・およそ3,000人の子どもたちは故郷や親もとに帰った。