特集:南スーダン・デイリー 子ども兵士を追って

西エクアトリア州は緑豊かな南スーダンの農村地帯です。その中心都市ヤンビオの舗装されていない乾いた赤土のままの飛行場に降り立ちました。都会の喧騒に暑さが混ざり合う首都ジュバに比べて澄んだ空気の風が心地良い。

舗装された道など全くないヤンビオは、小さいですが行政の新しい建物などが出来ていました。ここに日本政府がユニセフを支援して建てられたチャイルド・ケアセンターがあります。2011年の1月にオープンしたばかり、目新しい平屋の建物が二棟あります。ひとつは男の子用、もうひとつは女の子用です。合わせて50人が寝泊まりできるように蚊帳のついたベッドがまだ白味の残るいコンクリートの床の上に並んでいます。現在、ここでは三人の少年と二人の少女が親や親戚が見つかるまでの短い間暮らしています。

ジョージ・オコエ君(17)は、首都ジュバの小学校に通っていました。休みに入り、自分の村に帰る途中、隣国ウガンダ反政府勢力LRAの兵士たちにバスが襲われて連れ去られました。三年前の事でした。それ以来、ずっとLRAの兵士と共に行動し、森や原野で暮らしてきました。ジョージ君は17歳にしては、体が小さく、私は14歳ぐらいかと思いました。

ある日、逃げ出すことに成功したジョージ君はヤンビオ郊外でこの地域の人たちに保護され、今年1月にセンターに連れて来られたのです。

彼は記憶もはっきりしていたため両親の居場所はすぐにわかりました。近く首都ジュバにある『トットちゃん・センター』に移送され、手続きを経て、親元に帰ることができます。ユニセフは、こうして武装グループに誘拐された子どもたちを保護し、家族探しを行政や地域、NGOと協力して行っています。

ジョージ君は親元に無事帰ることができました。しかし、彼が以前のような普通の子どもの生活を取り戻すのはそう簡単ではありません。まず、学校です。三年間を失ってしまったジョージ君は、現在17歳。普通の小学校ではもう勉強できません。18歳以下で兵士となった子どもたちは、まず普通学校に戻るための特別な学校で勉強します。学力の遅れを取り戻すためです。こうした制度がきちんと機能して初めて、子どもたちはもとの生活の戻れるのです。

センターには子どもを保護したり、地域で聞きとり調査をする女性の職員がいます。彼女は、この日ジョージ君と同じように学校の休みに家に帰る途中で襲われ、16歳の少女を誘拐された家族を訪ねました。母親は「もう6年になります。生きていたら兵士の子どもを産んでいるでしょう。諦めることも必要なのかもしれません」と寂しさと悲しさの混じった眼で低くなった空を見つめながら言います。

その横に座って女性職員は私をまっすぐに見つめて言いました。

「ここではまだ戦争は終わっていません。終わっていないのです。」

特集:南スーダン・デイリー 未来を創る『トットちゃん・センター』

 首都ジュバにあるユニセフ・南スーダン事務所に着くなり、目に飛び込んできたのは、”TOTTO CHAN”という看板でした。スーダン内戦中にユニセフ親善大使の黒柳徹子さんがこの地を訪れた際、兵士にさせられた子どもたちや戦闘で親を失った子どもたちのために「できることをしたい」と申し出て建設された施設です。子どもの保護、トラウマ・ケア、家族探しなどを行っています。戦闘が激しかった頃は、およそ200人もの子どもたちがこの施設に一時保護をされていたそうです。現在は、国の社会発展省が仕事を引き継ぎ、管理しています。

 スーダンの内戦が終わり、2007年~2008年にかけて南スーダン軍の子ども兵士たちの除隊が進みました。今では、『トットちゃん・センター』で暮らす子どもたちはいません。

 しかし、戦争が終わっても、国境沿いで活動するウガンダやコンゴの小さな武装グループがスーダン側の村々で子どもたちを誘拐する事件が毎日のように起きています。そうした子どもたちのために、まだまだ『トットちゃん・センター』の役割は重要です。建物はとてもしっかりしたコンクリートの二階建てです。かつてのように子どもたちのケアが忙しく行われているわけではなく、お役所のような雰囲気でした。社会発展省の人たちが椅子に座り、少し時間を持てあましているように見えました。こうした状況の中で必要とされているのは、地方の子どもケア・センターの拡充と充実です。

 かつて私がシエラレオネで取材したような子ども兵士が社会復帰するために暮らす孤児院のような施設は、スーダンにはありません。ユニセフは近年、孤児院に子どもたちを留めるのではなく、少しでも早く親や親戚などのもとに還す方針をとっています。ただ帰すのではなく、地域の受け入れ態勢や教育の遅れを取り戻すための仕組みを整えた上でのことです。子どもたちは孤児院のような施設で暮らしていても、いずれはそこを出て「卒業」していきます。グループ・ホーム形式などで成功している例もありますが、子どもたちだけでは社会に復帰する際に障害にあってつまづいてしまうことが多いのです。家族や親戚はもちろん、地域で受け入れて行かないと貧困からは抜け出せず、道を見失って再び兵士に戻ってしまうケースもあります。ですから、戦いを経験した子どもたちにとって家庭・家族という雰囲気の中できちんと見守られて暮らすことがとても重要なのです。

 南スーダンは新しい国になります。今、仕事はたくさんあります。兵士として大人たちと戦場で戦っていた子どもたちに大切なのは、専門的な技術を身につけられるように”advocacy program”をスタートさせることです。エンジニアとか、電気技師とか、大工や服飾職人などなど、社会で暮らしていく術を学ぶ機会です。私は、『トットちゃん・センター』がその役割を果たせるのではないかと思っています。子どもたちとって、”TOTTO CHAN” センターは、忘れられない親しみ深い場所であることを考えた時、彼らが自分の力で意欲をもって未来を切り開いて行くのに最もふさわしい場所ではないか、と思うのです。

コメント

  1. Fumi Yoshikoshi より:2011年2月12日
トットちゃんセンターのお話、とても興味深かったです。黒柳さんは本当に色々なところで活躍なさっているんですね!同じ日本人としてとても嬉しいです。

子ども兵士の問題には色々と考えさせられました。子ども兵士に反対するのは簡単だけれど、実際に子どもが戦場に行かなくてすむような環境をつくるのはとても難しいし、また戦場から帰ってきた子どもたちの心のケア、その後の人生のサポートなど課題も多く、一筋縄ではいかないのだということを改めて感じます。

スーダンの子どもたちに、一刻も早く平和が訪れることを切に願います。。。

 

特集:南スーダン・デイリー

地球上で193番目の最も新しい国になろうとしている南スーダン。

国の社会制度そのものが根幹から変わる時、人道支援の果たしている役割は何なのか?現在とこれからを見て行きます。

乾季。首都ジュバは、厳しい暑さとすさまじい砂埃に包まれています。

舗装された道路はわずかしかありません。一般市民の家に水道はひかれておらず、電気の供給量は全世帯の20%にも満たないでしょう。

生活インフラは「貧しい」の一言です。

しかし、人が生きて行くのに「平和」という状況が、いかに欠かせないものであるか、とてもよくわかります。

南スーダンは今年初めに行われた住民投票によって自治区から独立国家になることが決まりましたが、北スーダン政府との関係において事を荒立てるようなことは避けています。

長い内戦を経験した人たちだからなのか、新しい社会を迎えるからといって、ただお祭り騒ぎをするようなうわっついたところがないのです。

ひとたび隣人とのバランスを崩せば、小さな希望は儚い陽炎で終わってしまうということがわかっているのでしょう。

白ナイル川沿いにあるジュバ港に行ってみると、北から戻ってきた南部出身者の人たちがおびただしい量の家財道具を山積みにして、マンゴーの木の下で過ごしていました。

returnee、いわゆる「帰還民」と呼ばれる人たちですが、自由と安定を求めて戻ってきたものの、彼らにはまだ戻る家がないのが現実です。

 

コメント

  1. より:2011年2月6日
今、いろいろと毎日のnewsで話題にこと欠かないアフリカの新しい国ですね。
話題の国達も新しい体制にしようという庶民の力が結集しての騒動と
なっているのですが、スーダンではどうですか?
新しい国を造るというのはどんな感じなんでしょう?
日本にいると感じ取れない空気があるんでしょうね。そんな空気感まで知ることができるレポートをまたお願いします。

 
  1. 千珠 より:2011年2月8日
ようやくともった希望の灯火を決して消してしまうことのないように、
不安と期待と、自分と家族と母国の立ち位置を探しているのでしょうか。

大人たちが、必死で幸せをつかもうとするとき、親のない子供は取り残されるのでしょうか。
それは遠い国の出来事ではなく、70年前の我が国もそうだったのでしょう。

親に恵まれなかった子供は、子供に恵まれなかった大人の愛に巡り会いますように。
どうか幸多き未来が開かれますように。