Nov. 1, 2004
もう2日の朝。
さっき、事務所準備のことでアンマンに滞在中のファディに電話をしたら、ディーナもいっしょだった。アンマンのスイス領事館に移民手続きをしに来たと言う。ビックリしたと同時に、彼女がスイスに行ってしまったらもう会えないのか、と思って少しガッカリ。
でも考えてみれば、彼らはもうじっとしている必要はないんだよな。ハイダもそうだが、高等教育を受けている人たちは、危険なイラクを離れて他国で日常生活を送りたいと考えている。その気持ちはとてもよくわかる。
開口一番、彼女は”I’m sorry for killing that young Japanese.”と言った。
なんか救われた感じがした。
自衛隊の宿舎が攻撃された。
第一報のコメントはまたもや「~らしい」「よくわからない」「不明」「調査中」・・・。「わからない」わけがない。現地の自衛隊は東京の防衛庁に一体どんな言葉で報告しているのか?
サマーワには報道陣もいないからまったく確認のしようもない。不発弾だろうが、隊員にケガ人はいないとか、問題ではない。「本気で攻撃された」ということ、それ自体が問題のはず。
攻撃対象になっているのだから、宿営地の外へ出れば交戦になる可能性もある。たとえ宿営地内で給水を行なうと言っても、こうなってくると、給水しに来る地元の民間人が攻撃にさらされる可能性もある。これまでのことはさておき、今後はもうまともな人道援助活動なんかできるわけがない。
まともな人道援助ができない以上、自衛隊派遣の”大義”も失われることになる。税金の使い方という見方からしても、自衛隊のイラク駐留は無駄使いだ。延長議論の際、サマーワで住民投票を実施したらどうか。小さな町だからやろうと思えばできるはずだ。何も政府がやらなくたっていい。野党だってお金があるんだからできるはずだ。こうしたことをやろうとしないで、ただ小泉首相の個人批判をくりひろげてもまったく説得力なし。この国は大統領制ではなく、国会が国政の最高機関なのだから、国会議員はみんな同罪だ。
自分はサマーワに行けるか?やはり怖い。殺されることが?いや、それだけではなく、取材したことを世に問えない、黙殺されるのではないかという不安もある。
「自分探しの旅」だったとして、何が悪い?
100ドルしか持っていない若者に「金は大丈夫か?」となぜ聞いてやらなかった?
もう、家族の悲しみと落胆は計り知れない。
主は、青年の死をもって自分たちに何を知らしめようとしているのか。ずっと問い続けなければならない。
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「不明」「わからない」
Oct. 30. 2004
バラド-バグダッドから1時間半ほどの、ティクリートへ向かう途中にある小さな町。スンニ派三角地帯に位置し、サマラ、バクーバなど、サダム支持者の残党を含むスンニ派武装勢力による激しい反米活動が日常的に行なわれている地域・・・。米軍による掃討作戦がしばしば行なわれる地域・・・。
朝から、政府関係者からは「不明」「わからない」というコメントばかり。
米軍の報告はそんなに不十分なものなのか?青年の指紋を今頃取っているって、どういうことなのだろう?日本側は青年に関するあらゆる情報を現地に送っていたのではないのか?もし、自国民が誘拐されたらとか、事件に巻き込まれたらとか想定していなかったのか?いくつものシナリオを想定し、対応策のオプションを確保できないのか、この国は?不思議だ。いつでも事が起こってからしか対応しない。後手後手の感がある。
平和な時にやっておくべきことはいっぱいあるのに、利己的な政争を楽しみ、夜な夜な酒臭い大口でバカ笑いしながら街を歩き、「自分のことで手一杯」と忙しさを装う人たち。
「アジア人の遺体」という表現から「日本人らしき遺体」と、いつ、どうして変わったんだ?
政府もメディアも発表するのに、ものすごく慎重になっていて、ある意味わざと時間かせぎをしているようにも見える。「日本の外交官二人が殺された同じ一本道の途中」という説明コメントはない。人々へのショックを最小限におさめるために、情報は少なく、事実はじわじわと時間をかけて公開していくという方針/ やり方なのかもしれない。もしそうなら、彼らの本音はひと段落ついてからわかるはず。大臣や副大臣の二言目、「残念」とか「無念」とかいう言葉の後に何を言うか、注目したい。
米軍が直接外国人の遺体を発見したとしたら、犯人たちはわざわざ発見されるような場所に遺棄したのだろう。見せしめのためだ。イラク警察が見つけたとしても、彼らのパトロールのやり方から想像するに、目に付きやすい場所だったのではないか。通報かもな。
なぜ、殺したのだろう?
犯行声明も出ていない。
・・・これだけ分析してしまうのに、不思議なものだ。自分は発見された遺体が、あの青年でないことをイメージしている。
神様、あなたが青年にお与えになったご計画がいかなるものであっても、どうか、青年の家族の手と足だけはくじかないでください。
「頭数」になるということ。
Oct. 29, 2004
ボクは今夜も集会に参加する。
参加しなくても祈り続ける人たちと、祈りをあわせたい。
そうか・・・これはボクにとって、ひとつの礼拝なのかもしれない。
各団体がおくった仲間たちの行動の結果も聞いてみたい。
48時間は過ぎた。
これが、いいサインであって欲しい。
Oct. 28, 2004
青年の解放を求める集会に参加した。
デモや集会と呼ばれるものに参加したのは、中学校の何とか集会以来のことだ。
この仕事をするようになってからは、意識的に避けてきたということもある。
国会議員の偽善的で言い訳めいたスピーチが続く。
なんで拍手するんだ?
彼らは、本来なら「今まで政治家として何をやっていたんだ、自分らに責任はないとでも言いたいのか!もっとしっかり汗かいてやれ!」と非難されてしかるべき立場のはずだ。
思わず帰りそうになったが、
「頭数」になろうと思ってここにやって来たことを自分に言い聞かせて、じっと我慢した。
首相官邸前に移動した時には、300人ほどになっていた気がする。
300人・・・これが現代日本の姿。
人質解放を求めて数万人のデモが行なわれたイタリアやフランス、テロが起きたあと、雨のマドリッドを人々が埋め尽くしたスペイン。そうした画とどうしても比較してしまう。
この国と人が、自分たちのおかした罪に落し前をつけずに、実質なき「みそぎ」と呼ばれる儀式で、自らに課すべき罰をかわしてきた末にたどり着いた日本という先進国の姿だ。
こうした集会をオーガナイズするグループの悪いクセは、永遠に変わらないのだろうか?
こんな時まで、政治色ばかり鼻につく。
政府を批判するのはいい。自衛隊撤退を求めるのも当然だ。
でも、なぜ今現場で実際に動いている連中へ、それが自分たちの仲間であれ、政府の人間であれ、「全力でがんばれ!私たちも応援している」と祈るとか、エールを送るとかいう音頭をとらないんだ。若者の主張みたいな、自分らの不満をぶちまけてる場合か?普段そういう偏狭なヒューマニズムでやってるから、いつまでも支持されないし、特殊な人種扱いされる。
卓馬が「シュプレヒコールってなんですか?」と尋ねた。
鈴木さんの静かな訴えは心に響いた。
いろいろ思っても、「あの青年を殺してはならない」ということがすべてだ。
自分に、日本人に、イラク人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろうか?
静かに祈りをあわせていきたいと、心から思う。
希望はある。分析的な見方をしても、希望はあるよ。
プラカードに目もくれず、足早に歩くOLやサラリーマン、300人と道路を挟んで向かい合い、群れる濃紺のスーツ姿の男たち・・・彼らの頭の中に青年の顔は浮かんだか?あるいは胸の中で祈ったか?「殺すな」と、どうか同じ気持ちであって欲しい。
際立つTVカメラの少なさ。ロイターとCNNが取材をしているのを見て、少しホッとしたが、それも放送されなければ、青年を救う助けにはならない。申し訳ない想いがこみ上げる。自分は何もできない。祈るしかない。
どうか神さま、彼を連れて行かないでください。
イラクでの日本人拉致
Oct. 27, 2004
日本人の青年がイラクで拉致されたという一報。
ついに現実になったか、という思いやら、また非難ごうごうだろうなとか、思う。
武装グループは「自衛隊の一員」と言ったようだが、風貌や言葉使いから、民間人だとすぐわかった。
彼の行動を非難することと、知らんぷりをすることは、行動の理屈として繋がらない。いろいろ意見はあると思うけれど、漫然と見捨てていいのか、と思う。
「見捨てない=繋がっていますよ」というメッセージは、彼に対してのものであり、同時にイラクとその国の人たちに対するものでもある。
こうしたことをきっかけに、一般の人たちは日本と日本人の行動を見極めている。
ベスランの学校を占拠した武装グループたちに向かって、「あなたたちは間違っている」と訴え、射殺された少年がいたという。彼は正しかった。
解放を求める集会などができれば参画したいと思う。
ノウハウやアイディアのある方はご連絡ください。
なぜ、今回は・・・と自分自身思うけれど、欧米人に限らず、イスラム教徒や同胞であるイラク人までが誘拐されて殺害されるようになった今、自分がどう行動するのか、イラクの人たちや国際社会から見極められていると思うからかもしれない。
実際に行動できなくても、心の隅に彼のことをおいて「祈る」ことだけでも「見捨てない=繋がっている」ことになると思う。
コメント
- キリスト者平和ネット より:2005年7月29日
緊急行動と声明のお知らせです。
日本人青年とみられる人がイラク・サマワで武装抵抗勢力に拘束されたと報じられている事件で、WORLD PEACE NOW は本日27日、18時から、衆議院議員面会所前に集合し、首相官邸に対する抗議・要請活動を行います。
なお、日本キリスト教協議会(NCC)は、総幹事と平和・核問題委員会委員長名の連名で、また、日本基督教団が総会議長名で、それぞれ声明を出しました。この抗議・要請活動に参加します。
WPNはこの春の「人質事件」で有効であったインターネットを通じて、現地武装勢力に「あなたがたは自衛隊関係者を拘束した」と述べているが、私たちはこの青年は民間人であり、自衛隊関係者ではないという情報を持っている。
絶対にこの青年を殺してはならない、とのメッセージを届けるために努力します。
World Peace Now ホームページ
http://www.worldpeacenow.jp/
キリスト者平和ネットホームページ
http://www.jca.apc.org/~cp_...
捜索難航
アル-ムサナ警察のフッテージは、インタビューの内容も画の質も前回よりはるかにクオリティの高いものになった。でも、これは当たり前のことだ。
自分の場合、再撮という言葉は当てはまらないかもしれない。なぜなら、取材は重ねれば重ねるほど深くなっていくからだ。このスタイルは、十分に下取材をした上に台本を書いてノンフィクションドラマを作っていくわけではない。台本はあったとしても日々刻々変わっていく。前回のロケに入るまでに得た知識より、前回のロケで経験した分が加わって今回のロケに望む前に身に着いていた知識の方がはるかに多い。
これと収録テープを落っことした問題とは別だ。捜索は難航している。
朝、起きるのがつらい。体がキシキシいっている。タラルのお宅で少し充電させてもらって少しばかり回復したと思ったけれど、完全に戻るにはきちんとした充電時間が必要かもしれない。でも、まだ重症ではなさそうだから、これ以上ひどくならないようにしないと。日本の夏のようなむっとする暑さ。ボーっとして、今回はもう限界かもしれない。
ハナンのお宅を訪ねる。綺麗なブルーのサテンのドレス”DEAHDASHA(デシェデシャ)”に白い”へジャブ”を頭にかぶっていた。またちょっとお姉さんになった。挨拶するのに笑顔を見せてくれたのはうれしかった。初めてだね。
「気分は?お腹はどう?」と聞くと、上目使いの小さな笑顔で「ハンドゥレラ」と答えた。よかった。一家も変わりない。
今回のバタバタの中で、ここへ来ることが許され、たいした物ではないけれど日本の女の子と同じように雛人形を飾ることができたことに、感謝。こうなってくると、やっぱり学校に行って欲しいなあと欲張りな思いが残る。
明日早朝、バグダッドを出る。最終日、この後そのくらいカメラを回せるかわからないが、できる限り・・・。
・・・
朝食の時、なぜかエストニアの子どもの家と、リベリアで出会った子どもの亡骸を思い出す。砂浜に掘られた正方形のプールのような深い穴に、人間の形をした肉塊が無造作にドサドサ重ねられていく。少年は鼻から血が出ていたような気がするが、とても美しい顔をしていた。安らかな表情とはこういうものなのかもしれない。ナットウェイの写真もそうだった。少年は兵士だったのだろうか?そうは見えなかった。戦闘に巻き込まれて死んだ一般市民。
どうしたのか、涙が出てくる。あの時は、ただただ「この現実をおさめておかなくては」と必死だった。意識して「なぜ、この子は死ななくちゃならなかったんだ?」と考えないようにしたのかもしれない。
なぜ、あの子は死ななければならなかったのか?
なぜ、あんなに安らかな顔をしているのか?
ホテルをチェックアウト。
昨晩、タラルのお宅でリラックスしたのが良かったみたい。不安は残るけれど、体力、集中力、思考力、自分が何を考えているのか、がわかる。
失くしたテープの捜索を続ける。取材に関わってくれた人たちに本当に申し訳ない。「神さまは何かを示そうとしている」という彼女の言葉を頭の中でリフレインしながら、再撮を決めた。一段と良いものを撮らなくてはならない。
昼食はタラルの家で。美味しい。生命エネルギーが注入されていくようだ。
あらためて本日午後から、アル-ムサンナ警察1日目。
タラルの家で美味しい食事と何も考えない時間を取ったからだと思うが、集中力、気力、体力も持ち直していてモチベーションも高かった。いい仕事ができたと思う。
1:30 署に戻る。
こうしてパソコンに向かう気力さえあるが、まだ完全に復調していないみたいだ。少しだけ、この間の感覚を覚える。眠い。休んだ方が良さそうだ。
明日は最終日、何とかもってほしい。
・・・
書けない。休筆。
壊れてしまったか。
目の前にあるもの、起きていることはハッキリと認識できる、それに対して体が反応しない、言うことを聞かない。●●の感覚を思い出す。
自律神経失調症って、こういうものなのか?
憶えていない。
体力は回復。
回復した体力が何とか集中力を支えてくれている。
何とか最後までだましだましいけるか。
昨日、現場で収録テープを落っことしていた。
しかも、今日になるまで気がつかなかった。
ありえないことだ。
パトカーの中でテープチェンジしたことは憶えている。それから車内に置いていくか、持って行くか迷った自分を記憶している。
でも、夢で見たシーンだったかもしれない。
確かなのはテープが一本ないことだ。
何で迷う必要があったのか、なぜそんな判断をしたのかもわからない。
タラルの家で夕食をいただくことにした。
美味しい。ホッとする。
アシュラ最終日
アル-ムサナ警察署2日目。
シーア派の聖休日「アシュラ」の最終日で祭日。イマム・フセインの死を悼むこの期間は、キリスト教で言えば受難節。何か起こっても不思議ではないと思っていた。
朝、起きて少し撮影するが、カメラを担ぐと目が回る。
7: 30勤務終了30分前、昨晩のフレッシュマンたちは、眠そう。疲れきった表情。24時間勤務の後、1日休みというシフト彼らへのインタビューは不可能と判断するディーナが来るまで少し休みながら、インタビューの準備。休みを取ったため、インタビューは何とか集中できそうだ。
フレッシュマン&先生へのインタビュー、とても興味深かった。先生役の警察官たちに対しても、教育の機会が必要なはず。彼ら自身も望んでいる。
インタビューのあと、カルバラ&カドミヤ地区で爆発事件があったことを知る。カドミヤ地区を見に行くことにした付近は封鎖、アダミヤ警察署のすぐ近くだったため話を聞きにいくアブドゥル・ラフマンがいた、米軍が封鎖しているから現場には近寄れないと言う。現場に行くチームがいたため、パトカーに同乗させてもらって、いけるところまで行くことに。
“Are you Muslim? You Muslim, OK?”と聞かれたため、”Yes”と答え、指輪をはずす。ピアスも取ろうとしたが取れなかった。
現場付近、パトカーを降りる。米軍とICDC、ICDCを縦列させて自分たちの前を行かせる米軍、従属的な風景、新イラク軍と新イラク警察、、、給料はどうあれ、自分だったら警察官の方を選ぶと思う。ティクリートで取材した青年のコメントを思い出す。米兵に「CJTC-7はあるか」と聞かれ”No”と答えたら撮影禁止と言われる。
「CJTC-7」ってなんだ?
しつこく現場にいて手持ちのまま回していると、他のクルー(エジプトのTV 局と思われる)がやってきて撮影し始めた。自分も担いで撮り始める。何もなかったように黙々と歩くシーア派教徒たち。カドミヤ・モスクに向かうシーア派教徒たちの流れについていく。モスク手前200メートルほどのところでボディチェックする教徒たち。警察と救急車以外立ち入り禁止日差しが厳しい、暑い、何か飲みたい。
ロイターや他のクルーもやってきて取材を始める、自分は撤収する。歩いてアダミヤへ向かう途中、タクシーをひろう。よかった。帰って休んだ方がいい。
中華レストランで昼食。久しぶりの中国茶は美味しかった。異文化に好奇心旺盛なディーナは喜ぶ、タラルは口に合わなかったようでほとんど食べられなかった。店構えは綺麗だが、味はかなり物足りない。
4時ぐらいから、ホテルの部屋で休む。衛星TV、ラテンのダンス音楽チャンネルが、なぜか今の自分に心地好くホッとした。体は大丈夫なのに、頭がボーっとする。何もできない、どうしちゃったのか、自分でわからない。
お湯が出ない、部屋を替わってもダメ。インスタントラーメンを買って、お湯を貰って作ってみた。懐かしい味。最初に2,3口は美味しかったが、すぐに飽きた。
明日、自分は大丈夫だろうか?
夢か現実か
バグダッド・ジディーダ地区アル-ムサナ警察署1日目。
秘書官から宿泊することについて、あらためて考え直すように注意を受ける
1泊ということで了解得る。
繁華街にあるアダミヤ警察署はバグダッドっ子気質、アル-ムサナ警察署は、住宅街にある郊外型、雰囲気が違って面白い所長室に泊めてもらうアンマンの学校で訓練を受け、1月に卒業したばかりのフレッシュマン・オフィサーたちを取材。
皆、20~21歳。
幹線道路での検問をいくつか案内してもらう。5人から6人のフレッシュマンに先生役のオフィサー1人19時から23時過ぎまで、夕食をはさんで交通量の多い道路の真ん中に立ち、目を凝らして1台1台チェックほぼずっと立ちっぱなし、かなりきつい業務、へばった、車の中で寝てしまう、体のコントロールがきかず、集中できない。署に送り返してもらう。朝まで同行すると言ったのに、、、勤務の邪魔をしてしまった、、、申し訳ない。
所長室のソファで横になるが、寝付けない。蚊がうるさい。ボーっとする、どこにいるのかわからなくなる、紺碧の水の中にいるみたいだ。洗面に小さな蛾の死骸3時過ぎ、ディーナからの電話、アリの悪い予感、その数分前に警察署前(だと思う)で銃声、車が出て行く音、起き上がれない、何とか起き上がって外に出て尋ねると「何でもない」という答え。
とにかく、ボーっとして目の前の光景が夢か現実かよくわからなかった。