朝食の時、なぜかエストニアの子どもの家と、リベリアで出会った子どもの亡骸を思い出す。砂浜に掘られた正方形のプールのような深い穴に、人間の形をした肉塊が無造作にドサドサ重ねられていく。少年は鼻から血が出ていたような気がするが、とても美しい顔をしていた。安らかな表情とはこういうものなのかもしれない。ナットウェイの写真もそうだった。少年は兵士だったのだろうか?そうは見えなかった。戦闘に巻き込まれて死んだ一般市民。
どうしたのか、涙が出てくる。あの時は、ただただ「この現実をおさめておかなくては」と必死だった。意識して「なぜ、この子は死ななくちゃならなかったんだ?」と考えないようにしたのかもしれない。
なぜ、あの子は死ななければならなかったのか?
なぜ、あんなに安らかな顔をしているのか?
ホテルをチェックアウト。
昨晩、タラルのお宅でリラックスしたのが良かったみたい。不安は残るけれど、体力、集中力、思考力、自分が何を考えているのか、がわかる。
失くしたテープの捜索を続ける。取材に関わってくれた人たちに本当に申し訳ない。「神さまは何かを示そうとしている」という彼女の言葉を頭の中でリフレインしながら、再撮を決めた。一段と良いものを撮らなくてはならない。
昼食はタラルの家で。美味しい。生命エネルギーが注入されていくようだ。
あらためて本日午後から、アル-ムサンナ警察1日目。
タラルの家で美味しい食事と何も考えない時間を取ったからだと思うが、集中力、気力、体力も持ち直していてモチベーションも高かった。いい仕事ができたと思う。
1:30 署に戻る。
こうしてパソコンに向かう気力さえあるが、まだ完全に復調していないみたいだ。少しだけ、この間の感覚を覚える。眠い。休んだ方が良さそうだ。
明日は最終日、何とかもってほしい。