パリのイラク女性 (4)

ディーナと会って、カフェで話を聞いた。
話は5時間近くに渡り、まとめるには時間がかかりそうだ。何回かに分けて、ざっくりと記録しておきたいと思う。

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“We will kill you.”-6月半ば、彼女の携帯にメッセージが着信した。その後、およそ2週間、毎日少なくとも一日に一回、昼夜を問わず同じメッセージが届いた。”We will kill you.” そんなある日、知らない男性から電話がかかってきた。「通訳をしているディーナさんですね?」と尋ねる男性に、彼女は「いいえ、私は英語の教師です。通訳ではありません」と答えて電話をきった。不審に思ったディーナはファディに相談。ファディはディスプレイに表示された番号に電話して、男性に話を聞いたところ、トルコ語のわかる通訳を探していたとのことだった。男性は間違いだったと謝ったという。

その後、7月に入ってからメールではなく直接電話がかかってくるようになった。ディスプレイに表示される番号はいつも同じだが、その都度違う男の声だった。台詞はいつも同じ”You work with the occupation troops. And we will kill you.” それだけを言い残して切る。誰?お金か何かが欲しいのか?というこちらの問いには全く反応しない。また、こちらから表示された番号にかけても誰も出ない。こうした電話が週に1,2回、早朝か夜中にかかってきたという。

7月17日、ディーナの自宅の入り口の扉に”Unfaithful Girl”と落書きされているのを、朝彼女が出勤する時に見つける。男たちからの電話は続いていた。

7月25日、ディーナの大学の同窓生で親友のラナ・アルムサウィ(24)さんが、高速道路を運転中に銃撃されて亡くなる事件が起こる。バグダッド陥落直後から米軍で通訳として働いていたラナさん。事件の少し前、ディーナは彼女と電話で話している。ラナさんも携帯電話にディーナが受け取ったのと同じメッセージを受信していた。ある日、彼女は車のフロントガラスとワイパーの間に”We will kill you.”と書かれたメモの入った黄色い封筒が挟まれているのを見つけた。中には銃弾が入っていたという。彼女の家族はもちろん、ディーナもラナさんに仕事をやめるように薦めたが、彼女は心配ないと言って仕事を続けていた。彼女の給料はひと月900ドル。新イラク警察官の3倍以上の金額、しかも安定した収入だ。ひと月40-50ドル以下の現金収入しかない人たちが大多数を占める今のイラクで、トップクラスの高収入だ。物価も高騰している。もちろん命には代えられないけれど、彼女が脅されて簡単に失業するわけにも行かなかったのは理解できる。襲われた時に同乗していた14歳の弟の話では、2台の車が自分たちをつけて来ていたという。そのうち、ピックアップ1台が並走してきて、運転中のラナさんの頭を狙撃。コントロールを失った車はフェンスに激突して止まった。狙撃した犯人たちはピックアップを現場に乗り捨て、もう1台の乗用車に乗り換えて逃走したという。乗り捨てられたピックアップは、後日盗難車とわかった。

7月末、ディーナは携帯電話のディスプレイに表示された番号を通信会社イラクナに照会。誰が電話しているのか?悪質ないたずらか何かか?調べて欲しいと頼んだ。イラクナの職員は「12時間後に問題の番号は受信拒否になりますから」と対応し、その日から彼女の携帯電話には男たちからメッセージも電話もかかってこなくなったという。

8月5日朝、自宅の庭で黄色い封筒(縦10センチ横15センチほどのもので、普段一般に使われる白く横長のものとは異なっている)を見つける。中には二つ折りにされた1枚のメモが入っていた。”We will kill you.”この一文が手書きで書かれていた。日にちは覚えていないが、4,5回受け取ったという。毎回同じ封筒で同じ白いメモ紙だった。筆跡が同じだったかは自分でも思い出せないという。

8月25日朝、自宅の入り口の扉に”Killed the Spy”という落書きを家族が見つける。

10月20日、自宅の庭に投げ込まれていた黄色い封筒。この時のものは封筒の表に”You are death.”と書かれ、中にはメモの代わりに銃弾が入っていた。今年春、自分がスンニ派反米武装グループをインタビューした際にディーナは通訳を務めていた。「占領軍に加担するものはイラク人であっても殺す」と言う男たちの答えに、彼女は恐怖を抑えきれずインタビュー中に嘔吐してしまった。その時の男たちが関わっているのではないかと、当時連絡役を務めた男性にファディと共に問い詰めたという。彼は「あのグループは違う」と関与を否定したが、ディーナには「すぐに国を出た方がいい」と忠告した。この話は自分もファディから電話で聞いていたし、100%違うと笑い飛ばすことはできないけれど、インタビューしたグループは一方で「攻撃対象は米軍とその同盟軍、一般人は標的にしていない」と答えていたし、自分のチームの通訳に手を出すとは思えない。彼らはこちらの情報や意図を理解した上で、お互いある種の信頼関係が成り立ったためにインタビューに応じた。また、彼らのすべての答えから判断すると彼らの活動はレジスタンス的なものと思える。ただ、彼らが関与していないとしてもスンニ派武装グループとパイプのある人物が逃げた方がいいと言うのだから、”We will kill you.”のメッセージに何らかの現実味があったのだと思う。

10月29日11:00am、ディーナは末の弟と共にファディが用意した車でバグダッドを出発。10時間後にアンマンに出国した。アンマンではファディの妹の家族の元に身を寄せ、12月2日まで滞在していた。
12月2日7:30am、ディーナはエアーフランス AF585便でパリ経由ストックホルムへ向かった。

パリのイラク女性③

裏通りの灯りが暗かったからか。いや、けして灯りのせいではない。ディーナはやつれていた。
アムステルダムを出て、パリ北駅に着いたのは5時半。霧雨。駅前のホテルにチェックインして荷物を置き、地下鉄に乗った。Ripublica広場近くの修道院のシェルターに辿り着いたのは6時半。ベルを鳴らすと、古びた木製のドアが開いて、メガネをかけた小柄なシスターが応対に出てきた。とても怪訝そうな表情と視線、ドアもわずか20センチほどしか開いてくれない。雰囲気から、ここは普段来訪者を受け付けていない施設なのだとわかった。ドアの隙間から垣間見えた内部は大学病院のような趣だったが、食堂かロビーのような空間はこぎれいで少なくとも冷たい雰囲気ではなかったのでホッとした。「ディーナというイラク人女性に会いたいのですが・・・」と伝えるが、小柄で気難しそうなシスターは英語がわからないようだ。そんな人はいません、とドアを閉めてしまいそうな勢いだったのでちょっと焦った。ドアの前で待つこと5分。雨と風が冷たくて、すごく長く感じられた。ドアの内側で女性のやりとりが聞こえる。ドアが開くとそこにディーナが立っていた。1,2歩、一瞬ホッとしたような笑顔を見せて抱きついてきた。そして泣き出した。OK、もう大丈夫。どう力になってあげられるかはわからないけれど、少なくとも相談できる知り合いが近くにいるというだけでも安心できると思う。彼女はえんえん泣いているけれど、本当にホッとした。この施設はやはり来訪者を禁止しているようなので、ほんの5分ほどの面会で済ませ、明日午前中に外で会うことにした。地下鉄に乗る気がしなかったので、しばらく歩いた。途中、教会の前で炊き出しが行なわれていた。コンソメの香りが食欲をそそったが、アルジェやモロッコ系と思われる若者たちの数の多さに驚いた。彼らは当然移民だと思うけれど、より良い生活を夢見て巴里まで来たものの、やはり仕事にはありつけないのか。北駅までは賑やかな大通りが続いていたのでそのまま歩いてホテルに帰る。途中のスーパーで食パンとレバーパテと牛乳を買って部屋で夕食。パリでは一人の外食ほど物を不味く感じることはない気がする。

パリのイラク女性 (2)

もう空港に行かなくては。
連絡役のハイダからメールが入っていた。少し状況がつかめた。

hello dear ….

Yesterday, Fadi had called me at night and tolled me some issues about Deena to tell you :
1-You can call Deena this comming Tuesday at the phone cabinet at 06:00 o’clock, Baghdad Time, at the evening .. the cabinet No. : 0033143142988
cuz she doesn’t have a phone no. she will stand at this phone cabinet at the exact time ..OK

2-She has another phone No. but without a code for calling her : 0623504491
and you can call her every evening at 09:00 o’clockBaghdad time and ask for Deena to talk to you ..but first Fadi did not give any code no. for this mobile phone you have to get the code to call for her …..OK

As you know, Deena is in France now and she’s looking for a Humaniterian Resort and she’s still fighting for this goal and she needs your help for this if you can offer any thing for her…and her residence is in a house within a church in France and she is sharing this house with some girls…….and what she really needs from you is a phone No. that she can get you on cuz she needs to talk to you very quickly…OK

This is all I got from Fadi and and if you want anything I will go to him and tell hem things that you want ……OK……..keep in touch

your’s
hayder

パリのイラク女性 (1)

AMSTERDAM8:00AM NOW
It’s very cold and there is a big Tree in the DAM square. Men, women, and children in the street looks just ready to have Christmas day.
少年兵士取材のため、シエラレオネほか西アフリカ諸国へと日本を発ったのは、12月8日。
ヴァージン航空 VS901便 同日15:45 ロンドン着。

9日 Oxford circus にあるシエラレオネ高等弁務官事務所でビザ取得。6ヶ月マルチ、160ポンド(およそ35,000円!)体臭の混ざった事務所の臭い、現地語の混ざったクセのある英語、事務的だけど雑然としたスタッフの対応の仕方に、もうシエラレオネに着いてしまったような感覚を憶えた。自分の今の暮らしや共通の友人に関して会話を交わす彼らを見ていると、ここが紛れもない西アフリカ・コミュニティであることがわかった。
東京では手に入らなかったフリータウンへの便は、クリスマスへの帰省客でいっぱいで取れない。1月までウエイティングリストもいっぱいだという。残念。安い航空券を探すも見つからず。ただでさえ、物価の高いロンドンだが、ポンド高(1ポンド=211~220円)もあいまって金額がべらぼうになってしまう。円、ドル、ポンド、ユーロの価値が以前のように一定していない。同じ物でも金額が倍以上になることもある。自分の購入したい物やビジネスの内容によって、購入場所や仕事場所を変えていく必要があるのか。現代は便利になったのか?と感じるけれど、そうした差があるところには必ず経済が生まれる。この差のおかげでもうけている人たちもいるだろう、と思うと良いのか悪いのかは一口に言えないかも。現地への入り口をアビジャンに変え、安い航空券を求めてアムステルダムに移動することにした。

10日 ブリティッシュ・ミッドランド航空 BD101便 06:35 ロンドン発。チェックインカウンター混み合う。飛行時間1時間25分 1時間遅れでアムステルダム 9:55着。11日発のカサブランカ経由アビジャン行き航空券を購入。モロッコは悪い思い出があるのであまり立ち寄りたくないが、乗り継ぎだけだから大丈夫だろう。

11日 Ams.-Casablanca Royal Air Maroc 13:00-15:30 AT 0851->Casablanca-Abidjan Royal Air Maroc 19:00-23:40 AT 0533
ディーナは、今もパリにいるようだ。全く電話が繋がらないと思ったら、ファディがよこした電話番号は公衆電話のものだったようで、曜日と時間を決めて彼からディーナにその電話にかけているという。ディーナは電話もない場所に泊まっているのか。ファディ、もう少し早く相談してくれよお。バグダッドでは周囲から尊敬され、頼りにされていた英語の教師だった彼女。買物が好きで化粧品やアクセサリーやファッションにもうるさかった彼女が、今は亡命希望者 “Asylum seeker”として外国で貧しく不安な生活を送っている。彼女は電話を手に入れるお金もままならないし、ましてや西洋は生まれて初めての西洋だ。何とか力になってあげたいが、連絡がつかないことには動きようがないではないか。なんとか助けてあげなければならないと思う。”Half OK, Half not OK.”とさっきの電話でファディは言ったけれど、何がOKで何がOKじゃないのか、そこを彼女から聞けば対応のしようもあるが・・・。クリスマスだというのに、家族や友人と離れて本当にかわいそうだ。
神様、どうか彼女と彼女を支えてくれる人たちの傍らに、あなたがいて道を示してくださいますように。

捜索難航

アル-ムサナ警察のフッテージは、インタビューの内容も画の質も前回よりはるかにクオリティの高いものになった。でも、これは当たり前のことだ。

自分の場合、再撮という言葉は当てはまらないかもしれない。なぜなら、取材は重ねれば重ねるほど深くなっていくからだ。このスタイルは、十分に下取材をした上に台本を書いてノンフィクションドラマを作っていくわけではない。台本はあったとしても日々刻々変わっていく。前回のロケに入るまでに得た知識より、前回のロケで経験した分が加わって今回のロケに望む前に身に着いていた知識の方がはるかに多い。

これと収録テープを落っことした問題とは別だ。捜索は難航している。

朝、起きるのがつらい。体がキシキシいっている。タラルのお宅で少し充電させてもらって少しばかり回復したと思ったけれど、完全に戻るにはきちんとした充電時間が必要かもしれない。でも、まだ重症ではなさそうだから、これ以上ひどくならないようにしないと。日本の夏のようなむっとする暑さ。ボーっとして、今回はもう限界かもしれない。

ハナンのお宅を訪ねる。綺麗なブルーのサテンのドレス”DEAHDASHA(デシェデシャ)”に白い”へジャブ”を頭にかぶっていた。またちょっとお姉さんになった。挨拶するのに笑顔を見せてくれたのはうれしかった。初めてだね。
「気分は?お腹はどう?」と聞くと、上目使いの小さな笑顔で「ハンドゥレラ」と答えた。よかった。一家も変わりない。

今回のバタバタの中で、ここへ来ることが許され、たいした物ではないけれど日本の女の子と同じように雛人形を飾ることができたことに、感謝。こうなってくると、やっぱり学校に行って欲しいなあと欲張りな思いが残る。

明日早朝、バグダッドを出る。最終日、この後そのくらいカメラを回せるかわからないが、できる限り・・・。

・・・

朝食の時、なぜかエストニアの子どもの家と、リベリアで出会った子どもの亡骸を思い出す。砂浜に掘られた正方形のプールのような深い穴に、人間の形をした肉塊が無造作にドサドサ重ねられていく。少年は鼻から血が出ていたような気がするが、とても美しい顔をしていた。安らかな表情とはこういうものなのかもしれない。ナットウェイの写真もそうだった。少年は兵士だったのだろうか?そうは見えなかった。戦闘に巻き込まれて死んだ一般市民。

どうしたのか、涙が出てくる。あの時は、ただただ「この現実をおさめておかなくては」と必死だった。意識して「なぜ、この子は死ななくちゃならなかったんだ?」と考えないようにしたのかもしれない。

なぜ、あの子は死ななければならなかったのか?

なぜ、あんなに安らかな顔をしているのか?

ホテルをチェックアウト。
昨晩、タラルのお宅でリラックスしたのが良かったみたい。不安は残るけれど、体力、集中力、思考力、自分が何を考えているのか、がわかる。

失くしたテープの捜索を続ける。取材に関わってくれた人たちに本当に申し訳ない。「神さまは何かを示そうとしている」という彼女の言葉を頭の中でリフレインしながら、再撮を決めた。一段と良いものを撮らなくてはならない。

昼食はタラルの家で。美味しい。生命エネルギーが注入されていくようだ。

あらためて本日午後から、アル-ムサンナ警察1日目。

タラルの家で美味しい食事と何も考えない時間を取ったからだと思うが、集中力、気力、体力も持ち直していてモチベーションも高かった。いい仕事ができたと思う。

1:30 署に戻る。
こうしてパソコンに向かう気力さえあるが、まだ完全に復調していないみたいだ。少しだけ、この間の感覚を覚える。眠い。休んだ方が良さそうだ。

明日は最終日、何とかもってほしい。

・・・

書けない。休筆。
壊れてしまったか。
目の前にあるもの、起きていることはハッキリと認識できる、それに対して体が反応しない、言うことを聞かない。●●の感覚を思い出す。
自律神経失調症って、こういうものなのか?

憶えていない。
体力は回復。
回復した体力が何とか集中力を支えてくれている。
何とか最後までだましだましいけるか。

昨日、現場で収録テープを落っことしていた。
しかも、今日になるまで気がつかなかった。
ありえないことだ。

パトカーの中でテープチェンジしたことは憶えている。それから車内に置いていくか、持って行くか迷った自分を記憶している。
でも、夢で見たシーンだったかもしれない。
確かなのはテープが一本ないことだ。
何で迷う必要があったのか、なぜそんな判断をしたのかもわからない。

タラルの家で夕食をいただくことにした。
美味しい。ホッとする。

アシュラ最終日

アル-ムサナ警察署2日目。
シーア派の聖休日「アシュラ」の最終日で祭日。イマム・フセインの死を悼むこの期間は、キリスト教で言えば受難節。何か起こっても不思議ではないと思っていた。

朝、起きて少し撮影するが、カメラを担ぐと目が回る。
7: 30勤務終了30分前、昨晩のフレッシュマンたちは、眠そう。疲れきった表情。24時間勤務の後、1日休みというシフト彼らへのインタビューは不可能と判断するディーナが来るまで少し休みながら、インタビューの準備。休みを取ったため、インタビューは何とか集中できそうだ。

フレッシュマン&先生へのインタビュー、とても興味深かった。先生役の警察官たちに対しても、教育の機会が必要なはず。彼ら自身も望んでいる。

インタビューのあと、カルバラ&カドミヤ地区で爆発事件があったことを知る。カドミヤ地区を見に行くことにした付近は封鎖、アダミヤ警察署のすぐ近くだったため話を聞きにいくアブドゥル・ラフマンがいた、米軍が封鎖しているから現場には近寄れないと言う。現場に行くチームがいたため、パトカーに同乗させてもらって、いけるところまで行くことに。

“Are you Muslim? You Muslim, OK?”と聞かれたため、”Yes”と答え、指輪をはずす。ピアスも取ろうとしたが取れなかった。

現場付近、パトカーを降りる。米軍とICDC、ICDCを縦列させて自分たちの前を行かせる米軍、従属的な風景、新イラク軍と新イラク警察、、、給料はどうあれ、自分だったら警察官の方を選ぶと思う。ティクリートで取材した青年のコメントを思い出す。米兵に「CJTC-7はあるか」と聞かれ”No”と答えたら撮影禁止と言われる。

「CJTC-7」ってなんだ?
しつこく現場にいて手持ちのまま回していると、他のクルー(エジプトのTV 局と思われる)がやってきて撮影し始めた。自分も担いで撮り始める。何もなかったように黙々と歩くシーア派教徒たち。カドミヤ・モスクに向かうシーア派教徒たちの流れについていく。モスク手前200メートルほどのところでボディチェックする教徒たち。警察と救急車以外立ち入り禁止日差しが厳しい、暑い、何か飲みたい。

ロイターや他のクルーもやってきて取材を始める、自分は撤収する。歩いてアダミヤへ向かう途中、タクシーをひろう。よかった。帰って休んだ方がいい。

中華レストランで昼食。久しぶりの中国茶は美味しかった。異文化に好奇心旺盛なディーナは喜ぶ、タラルは口に合わなかったようでほとんど食べられなかった。店構えは綺麗だが、味はかなり物足りない。

4時ぐらいから、ホテルの部屋で休む。衛星TV、ラテンのダンス音楽チャンネルが、なぜか今の自分に心地好くホッとした。体は大丈夫なのに、頭がボーっとする。何もできない、どうしちゃったのか、自分でわからない。

お湯が出ない、部屋を替わってもダメ。インスタントラーメンを買って、お湯を貰って作ってみた。懐かしい味。最初に2,3口は美味しかったが、すぐに飽きた。

明日、自分は大丈夫だろうか?

夢か現実か

バグダッド・ジディーダ地区アル-ムサナ警察署1日目。

秘書官から宿泊することについて、あらためて考え直すように注意を受ける
1泊ということで了解得る。

繁華街にあるアダミヤ警察署はバグダッドっ子気質、アル-ムサナ警察署は、住宅街にある郊外型、雰囲気が違って面白い所長室に泊めてもらうアンマンの学校で訓練を受け、1月に卒業したばかりのフレッシュマン・オフィサーたちを取材。

皆、20~21歳。
幹線道路での検問をいくつか案内してもらう。5人から6人のフレッシュマンに先生役のオフィサー1人19時から23時過ぎまで、夕食をはさんで交通量の多い道路の真ん中に立ち、目を凝らして1台1台チェックほぼずっと立ちっぱなし、かなりきつい業務、へばった、車の中で寝てしまう、体のコントロールがきかず、集中できない。署に送り返してもらう。朝まで同行すると言ったのに、、、勤務の邪魔をしてしまった、、、申し訳ない。

所長室のソファで横になるが、寝付けない。蚊がうるさい。ボーっとする、どこにいるのかわからなくなる、紺碧の水の中にいるみたいだ。洗面に小さな蛾の死骸3時過ぎ、ディーナからの電話、アリの悪い予感、その数分前に警察署前(だと思う)で銃声、車が出て行く音、起き上がれない、何とか起き上がって外に出て尋ねると「何でもない」という答え。

とにかく、ボーっとして目の前の光景が夢か現実かよくわからなかった。

警察署二日目

アダミヤ警察署2日目
静かな夕方
停電、ジェネレーター故障、何もできない、彼らの仕事に支障はないのか?攻撃されたらどうするのか? 昨晩とはうってかわって何もないアブドゥル・ラフマン(35)は親切な男、高そうなレストランで夕食、美味しそうなカバブだったが、どうしても味が口に合わず、ほとんど食べられず恐縮。
彼はトイレに行っている間に会計を済ませていた。残りを署にテイクアウトしたアブドゥル・ラフマン(35)に。

深夜、爆発物処理。米軍MPに連絡(24:00)、40分後、現場に現れる。3:00過ぎ、署に戻る。

・テロリスト捜索
・検問業務
・武器押収
・強盗捜査やけんかの後始末などの通常業務
・米軍と協力して行なう業務

イラク警察の業務はほとんどカバーした。