昨晩夜中からひどい暴風雨。初めての経験だ。朝になると、風は収まったが冷たい霧雨は断続的に続いた。
ファディとディーナと、ハナンに会いに行く。
ハイダがいないため、行き方が確かでない上に道路はぬかるんでいる。田舎の一本道はスペースがなくて間違えるとUターンもできない。ぬかるみにはまるわ、窓が泥だらけで外が見えないわ、着いた時にはもう4時を回っていた。
ハナンは元気だった。体の調子は昨年11月に訪問した時と変わらない模様。
『ようこそ~』と朝小と、お土産を渡した。
ちょっと面食らっていた、というかニコニコ喜ぶわけでもない、ムスッとしているわけでもない微妙な表情を見せた。この時ふと、「この子は自分の感情をどう表していいのかわからないのではないだろうか」と思った。相変わらず、学校には行っていない。ハナンの姉妹も全員学校に行っていない。本を読むことも、絵を描くことも、将来の夢を見ることもない視線・・・インドのアウトカーストの女性と子どもたちと同じ視線だ。アウトカーストの子どもたちに「将来の夢は?何になりたい?」と聞いた時、彼は質問の意味を理解できなかった。「夢」という意味がわからなかった。自分の親がすること以外は何も知らないし、想像することさえない。それを否定するわけではない。これもひとつの”生”だ。でも、願わくは、願わくは「この色が綺麗」とか、「この歌が好き」とか、「こんなことをしたい」とか、「こんなふうになりたい」とか、夢とか希望を描ける能力とチャンスを与えてあげたい。それができるのは、国際規模の支援だけだ。アフガンでできたことがイラクでできない-無念、憤り、失望・・・入り混じって胸につかえている。自分たちの大きな罪だ。
この日記ももう「30」か。サダム時代、開戦直後のクルド、バグダッド陥落直後も数えたら倍以上もこの国とこの国の人たちを映像におさめてきた。いろいろと対外的な理由を付けてはいるが、自分を取材にむかわせる本当の理由は、この『胸のつかえ』だ。この胸のつかえが取れるまで、自分の中にある渇きは癒えないと思う。
そういえば『ようこそ~』の家族写真にはみんな覆いかぶさるように見ていた。自分の姿が、見慣れない「本」の中に他の人たちの姿と並んで載っている。こんなシンプルなことでも、刺激になるのかもしれないなあ。