12月20日9:00 ディーナとウイダッドと待ち合わせて、外国人のパスポート問題を扱う警察署へ。
ウイダッドの母国アルジェリアの公用語はフランス語。彼女がディーナの代わりに窓口の女性に事情を説明する。窓口の女性によると、ディーナのようなケースは特別ではなく特別な手続きは必要ない、所定の警察で対応するはず、根気よく説明するしかないと言う。でも、こうした偽造パスポートの問題に明るい相談所を紹介するから、そこできちんと相談しなさいとアドバイスをくれた。自分のケースが特別なものではないとわかって、ディーナは少しホッとしたようだった。
携帯電話を購入しに行く。北駅の北東側のBARBES-ROCHECHOUARTはアラブ人街。ウイダッドは「パリで一番物が安いのはここ」だと言う。確かにバッタ物のデパートが軒を連ねている。駅前ではアラビア語の雑誌が売られている。彼女たちは女性誌を買った。ディーナはうれしそう。モトローラの携帯を購入、SIMカードも買って、彼女は家族やファディやボクとホットラインを持った。書類と当面のおこづかいも渡して、ひとまず安心した。
夕方、彼女に電話してみると「緑の切符」を発行する所定の警察署の前にいるという。「今夜はここで野宿する」と言う。「緑の切符」を得ようと、多くの申請者が警察署の前に列を作っているとは聞いていた。前回訪れた時にも彼女は前の晩から待っていたと言う。けれど、ここ数日パリは寒さが厳しくなり、この冬一番の冷え込みだった。警察の窓口が開くのは翌朝9時。それまで、食事もとらずにとても野宿できる気温じゃない。彼女は”Don’t worry.”と言うけれど、話を聞いた以上ボクだけが暖かいホテルの部屋にいるわけにはいかない。彼女の闘っている姿を、いっしょにいて見ておかないと自分はきっと後で後悔すると思った。毛布をデイパックに詰め込んでホテルを出た。警察署はCRIMEEという名前の駅にあった。警察署にふさわしいな、などと考えながら駅からトボトボ歩く。道路の水溜りはすでに凍っている。住宅街を抜けると、列車の車庫がある倉庫街にたどり着いた。幅の広い車道の向こうに、ボロボロのダンボールの山と数人の男たちの姿を見かけた。だが、場所がわからず右往左往する。電話をかけると、ディーナはボクが来たことに驚いていた。すぐ近くに来ているはずなのに、彼女の言う「多くの人」の姿が見当たらない。あのホームレスの男たちに聞いてみようと歩み寄っていくと、むくむくのダウンジャケットに身を包んだディーナがボロダンボールの影から出てきた。ボロダンボールの山に見えたのは、待っている人たちが暖をとるために作ったトンネルだったのだ。鉄製の柵を縦と横に組んで、その横面と上面をボロボロのダンボールで覆って、腰の高さほどのトンネルを作っている。そのトンネルの中で20人弱の男女が文字通り肩を寄せ合って座り、折り重なって眠っていたり、酒を飲んだり、トランプをしていた。”Kenji, don’t worry.” ディーナの明るさが、目の前の映像とアンバランスな感じ。ウイダッドもいっしょにダンボール・トンネルの中にいて、明朝窓口が開くまでいっしょにいるという。待っている人たちの国籍は中国、モンゴル、セネガル、ナイジェリア、ガーナ、モルドバなど。英語が話せる人はほとんどいない。二組の中国系の夫婦がトンネル内の知り合いにお弁当を差し入れしていた。ホームレスに見えたアフリカ系の男たちは、この寒さが本当に辛そうだったけれど、じっと座っているイヤそうだった。夕方ふった雨で地面は濡れている。トンネルの中は人の熱気で確かに暖かいが、後ろの方の人はトンネルの外にはみ出してしまっている。そういう人は体を丸めて座り、ダンボールを拾ってきて風よけのために自分の体に立てかけていた。ナイジェリア出身の男性に、パスポートは?と聞くと持っていなかった。彼はもう半年近くも「緑の切符」を手に入れようと試みているという。モルドバ出身の若い男性二人はモルダビアン・ウォッカを飲んで上機嫌だ。モンゴル出身の若い男性は、ボクが日本人とわかると”ASASHORYU Great!”と親指を立ててみせた。「人が多くなると中に戻れなくなるから。明日ケンジの出発に間に合えば電話するから心配しないで」と言って、ディーナはトンネルの中に戻って行った。ボクはしばらく、その場所に用もなくたたずんでいた。圧倒されていたのだ。ナイジェリアの男性はボクに向かってうらやましそうに”Japanese no problem stay all world.”と言った。ボクたち日本人は本当に幸せだろうか?事情はどうあれ、生きるためにこの寒さと闘っている彼らの姿を目のあたりにして、ボクには彼らに与えられた境遇が羨ましくさえ思えた。
深夜1時、ホテルへ戻った。
そして翌朝、ディーナの成功と健康を祈りつつ、パリを後にした。