12月19日、日曜日の昼下がりのカフェ。通りに面した窓際の角席。隙間風で冷えた。
“How did you feel when you were in the hotel in the airport?(空港の滞在所にいた時、どう感じていた?)”とディーナに尋ねた。
” Why me?-I always asked such like tihs by myself. I thought that everyone succeed to go toSweden by this way. Why only me who didn’t make good.” 「みんなこの方法でうまく行っているのに、なぜ、私だけダメなの?という気持ちだった」と言うディーナ。そうだろうね、これにはうなずける。ファディには、電話口で泣きながらで思い切り愚痴ったと言う。
カフェで会った時、彼女のポケットにはわずか6ユーロほどしかなかった。ランチをとる人たちで賑わう店内は、家族連れも少なくない。彼女の話をメモしながら、上目使いで彼女の表情を見る。ボクがメモするほんの些細な瞬間に、彼女の視線は斜め向かいの家族連れのテーブルにそそがれていた。彼女の寂しさと不安を考えるとなんとも切ない。ひと通り話を聞いて、昼食を注文した。チキンソテーにレモンバターソース、フレンチフライ添え。イラクのチキンに比べると油っぽいな、と思いながらモモ肉を口に運んだ。
ランチの後、バグダッドに電話することにした。彼女が使っていた電話ボックスに向かう。海外によくある電話交換台ショップ。店内が8~10のボックスに仕切られ、一つ一つに電話が置かれている。客は話した時間分の代金を店に支払うシステムで、こちらからはかけられるけれど、相手からはかけられない。ディーナは一度家族にかけて、「ケンジと会えたから安心して」と伝えると会話も早々に切ってしまった。「えっ?遠慮しないでもっと話しなよ」と言うと、もう一度かけ直した。ボクも彼女の兄マハシンと話したかったし、家族との電話で得られる安心感に比べれば安いもの。実際に、10分弱の電話に書類コピーまでして、代金わずか4ユーロだった。
ディーナは運良く、今いるシェルターで、ウイダッドというパリ在住のアルジェリア人女性と知り合い、友達になった。ウイダッドは母国アルジェリアでTVレポーターをしていたが、イスラム原理主義グループに脅迫を受け、2002年にパリの親戚を頼って逃げ出してきたという。ウイダッドは身寄りもあるし、すでに「緑の切符」を手に入れて、亡命希望者向けの情報をいろいろ持っている。似たような境遇にある彼女たちは意気投合して、ディーナの相談に親身になって乗ってくれているようだ。明日月曜日、ディーナはウイダッドといっしょに、外国人がパスポートを失くした際に相談する警察署に行って、自分の事情を説明してどうすればいいかを聞いてみるという。ボクは、彼女がイラクで通訳として働いてくれていたことを証明する書類を作って持って行くことを約束して、3時半頃別れた。
Republica広場から北駅に向かって歩いて行く途中、教会の前でホームレスの人たちに炊き出しが行なわれていた。寒風の中に立ちこめる白い湯気とコンソメの香り。体だけは温まりそうだ。若い人のほとんどがアルジェリアやモロッコ系の男性、中年以上は白人だ。地面に座り込んで、コショウか何かの子袋の口を切ってスープにふりかけていた。炊き出しは始まったばかりだったようだ。若い男たちは、「亡命希望者の定期列車」には乗れない人たち。「より良い生活」を夢見て、EUに渡ってきたいわゆる不法滞在の人たちだろう。かつて訪れたモロッコのタンジールで出会った人たちとかぶる。正直、こうまでしてEUにいたいのか?と思うけれど、本当の想いは当事者になってみないとわからないのかもしれない。