「亡命希望者たちの定時列車」に乗れそうなところまで来ているディーナだが、誰かが切符を買って与えてくれるわけではなかった。
フランスで亡命希望者として生活していくにあたり、所定の警察に住民登録をしなければならない。日本で言えば、外国人登録のようなものだ。そこでGreen Receiptという滞在許可証をもらう。これが「亡命希望者の定時列車」に乗るためのチケットだ。この「緑の切符」で、OFPRA(French Office for the Protection of Refugees and Stateless)へ。フランス政府の難民事務所にあたるOFPRAでは、亡命希望者を難民として保護して身分を保証する。働いたり銀行に口座をもてたり、日常生活が営めるようになり、第三国への亡命申請はもちろん、フランス国籍の申請も可能になる。「亡命」という新しい人生が見えてくる。
このGreen Receiptをとるのにディーナは格闘する。
ICRCからもらった”ASYLUM SEEKERS’ GUIDE”を見ながら所定の警察に行って事情を説明した。担当警察官はGreen Receiptを発行するにはパスポートが必要だと言う。彼女は、没収されたパスポートのコピーや裁判所の書類などと共に事情を説明した。でも、担当官はパスポートの名前と裁判書類の名前が違うことを指摘。彼女のパスポートの名前は”HAMSA”であり、ディーナであるということを証明する適切なものがないと言う。最初の申請で彼女は拒否されてしまった。「緑の切符」を手に入れるにはまずパスポートのコピーが必要(ない場合は警察が正当と認める別の身分証明書が必要)。Green Receiptを発行する警察署にとって、パスポートが偽造で没収されたということは管轄外の事柄なのである。必要なのは彼らの業務にとって有効な身分証明書。偽造であれなんであれ、パスポートを持って入国したのだからそのコピーを使うという理屈である。下手に偽造パスポートを使ったために、ディーナは二つの名前を持つことになってしまった。こうなると逆に、入管で「パスポートを失くした」と訴えた方が良かったことになる。
実際に、フランスで多く見られる中国からの不法入国のケースは、パスポートなしの場合がほとんどのようだ。EU圏は自由に移動できる。列車なら入国管理も緩いし、空路でも乗り換えだけならほとんどの空港でチェックされない。一度乗り込んでしまえばこっちのもの。そして、フランスやドイツやスウェーデンに着いた途端に、パスポートを破り捨てて難民の申し立てをする。中国の場合、天安門事件に代表される言論抑圧の歴史があることと、共産主義ということもあって経済難民としても認知されやすいことがある。
警察で拒否されたディーナは、亡命希望者の相談所に行って事情を話した。自分が”HAMSA”ではなく”DINA”であることを証明できる書類を揃えたら、とアドバイスを受け、彼女はパリのイラク大使館へ行って事情を話し、大使館宛てにバグダッドからファックスを送ってもらうことにした。彼女はバグダッドから出る時、途中の検問所などで自分の正体がバレることを恐れて、大学の卒業証明書や戸籍など身分証明書関係はすべて家に置いてきていた。隠し様はあったと思うけれど、考える余裕もないほど切羽詰っていたのだろう。パリのイラク大使館でファックスを受け取ったものの、結局警察からはオリジナルの書類を要求されたために、後で家族がバグダッドからDHLで送る羽目になった。
また、初めディーナは、偽造とはいえパスポートにこだわっていた。スウェーデンの滞在許可証があったからだ。「パスポートの偽造がわかって没収された以上、いくら自分で申請したとはいえ、その滞在許可証はもう無効だと思うよ」とボクが言うと、彼女は言葉を失っていた。大金をはたいて買ったパスポート・・・気の毒だけど、不法は不法なのだからこればっかりはあきらめるしかない。30年近く続いたサダム独裁政権下で、イラクの一般市民が外の文化や情報をまともに学ぶことはなかった。戦争後、サダムから解放されはしたが、イラク社会そのものが新しい国として成り立っているわけではない。治安が悪くなる一方で、教育や公共福祉サービスやインフラはいっこうに整備されていない。イラク人の行動規範は、まだサダム時代のままなんだと思うことがある。「恐怖」「恐れ」が人々の行動や判断を左右する、悲しい世界。ディーナの話を聞いていて、そんなことを考えた。