ディーナは不法入国者用の一時滞在施設を出るまで次のような経緯をたどった。
ICRCの職員から亡命希望する場合のガイダンスを受ける→警察の事情聴取→簡易裁判所に護送され、亡命希望者として滞在が許されるかどうか、裁判を受ける。→30分ほどの審理の後、評決。ディーナに滞在許可が下りる。→翌日、空港内の一時滞在施設を出て、パリ市内Republica広場近くの修道院が運営するホームレス用のシェルターに入居。
まず驚いたのは、ICRCが作って配っている”ASYLUM SEEKERS’ GUIDE”なるもの。そこには、フランスに滞在しながら第三国へ亡命するための手順が解説されている。どこへ行って、どんな証明書を手に入れなくてはならないか、各関係先の住所と電話、亡命希望者が頼れるNGO、亡命希望者が緊急の助けを必要とした時の連絡先などが記載されている。そして、すばやく裁判が行なわれ、それぞれの申し立てに亡命希望者として滞在が認められるかどうか審理を行なうシステムに、ボクはうなづいてしまった。ディーナは、パレスチナ人の男性マルワンとチェチェンから来たという一家とともに裁判を受けた。その時の裁判において滞在許可が下りたのはディーナだけだったという。他の二組がどうなったかはわからない。ICRCでも裁判所でも「あなたの国イラクは戦争中だから」と理解を示されて、彼女はフランスで亡命希望者として暮らしていくことを許可されたのである。
とは言うものの、お金も、身寄りも、住む所もない。言葉も通じない。判決を受けた翌日、彼女はICRCでシェルターを教えてもらって、地下鉄の切符をもらい、自分の足でシャルル・ドゴール空港からその場所へ辿り着いた。まず、シスターに事情を説明。入居させてもらうことになった。でも、ディーナは幸運だったのかもしれない(実際彼女もそう感じていると言う)。亡命希望者として滞在すら認められずに空港から強制送還されたり、警察が持て余して結局なんの手続きも受けずにホッポリ出されるケースもあるという。彼女は亡命希望者と認知されて、ひとまずフランスで暮らしていける。手順を踏んでいけば、働けるようにもなるし、政府から補助金を受けることもできる。何より、バグダッドで恐怖に震えながら暮らしていたことを思えば、通りを自由に安全に歩けるパリはホッとすると彼女は言う。彼女の目の前には、「亡命」というレールが敷かれ、そこに亡命希望者の乗せた「新しい人生」行きの定期列車が走っている。この列車に乗り込めば、きちんと次の駅へと辿り着く。そして、そのレールの先に自分の新しい人生が開かれていることをディーナ自身が自覚しているようだ。将来はさておき、彼女は大好きな家族や友人、住み慣れた土地、これまでの仕事や国籍をあきらめて、新しい暮らしを始めた。「寂しさと不安で泣く時もあるけれど、ひと通り泣けば落ち着くし、目の前の一歩がうまく行くことだけを考えているわ」と言う彼女の一途さにはすごくうたれるし、女性のある種のたくましさを感じる。