朝4時に出て、きっかり10時間。とてもリズミカルなドライブだった。ファディから借りた枕のおかげでぐっすり、9割は横になって寝ていた。
戦争後これまで気が付かなかったが、国境には両替所があった。
日記を書き始めてはきだしたからか、頭の中がとってもクリアーだ。バグダッドがなんだかこれまでと違って見える。あるいは、自分と違う人/飯田さんという視点で見てみたからか、視界が開けた感じがする。戦後イラクの「日夜続く米軍や警察への攻撃」「自爆テロ」「回復の目処の見えない治安」ということばかりに目が行き、気が付かないうちに見方が治安の一点に凝り固まってしまっていたのかもしれない。前回来た時、最後の方はストーリーが浮かばなくなってきていた。イメージがいっぱいいっぱいになり、一種の閉塞感を感じていた。「復興の兆し」を見てとることなど思いもよらなかった。
いや、その兆しは実は示されていたのかもしれない。ワリッドたちの金物街だ。あの時は、「サダム時代と比べて」→「変わっていない」と位置づけたが、誰もいなかった「戦争直後と比べて」だったら「大いに変わった」ということになる。
バグダッドの見え方/イメージが一気に突き抜けた。
今バグダッドは、実はワリッドの取材をした時期のバグダッドに似てきている。つまり、ノーマルシーを取りもどしつつある。少し楽観的すぎるかもしれないし、先行した見方かもしれないけれど、治安オンリーの見方から少し広げて人々の生活を検証してみる時期と位置づけてもいいかもしれない。まだ確信を持つまでには至らないのだが。
警察機構が整ってきたということもあるのだろうか。だとすれば、イラク人の手による治安維持が機能し始めた―というメッセージを伝える取材対象として成立する。
また、米兵を取材したいとも思う。きっと、1年前と今の兵士とでは心持ちが違うだろうし、考える余裕も出てきているのではないだろうか?恨まれている、嫌われていることをどう消化しているのだろうか?楽しいのだろうか?
取材チームの動き方をかえる必要を感じる。今こそ、ワリッドを取材した時のようなスタンダードな形が望ましい。車とドライバー(できれば英語ができるのがいい)はいつもスタンバッておく必要がある。ファディやエヤットやタラルでは他の用事があったりしてNGだ。サマワから戻ったら、滞在先もアダミヤやカラダ近辺、センターに近いところに切り替えよう。
楽観はできないし、油断は禁物。だが、もう知らない街ではないし、友人も多いし馴染んでいる。なんだか安心感と安定感がある。これが「根を張っている」ということなんだ。いい時期だ。発想と行動に自由を与えてやるべき時期なんだと思う。