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2005-05-11:

子ども兵を探して (4)

 シエラレオネにNGO数あれど、実績と信頼性においてCOOPIは外せない。
 カントリー・コーディネーター のLamorte女史の話は、とても的を得ていて有意義だった。
 セント・マイケルズセンターは、NHKのETV2000『断ち切られた家族』やNHK出版『ようこそぼくらの学校へ』に登場する子ども兵士の社会更正施設。「藪の殺し屋」と呼ばれたムリアのいたところだ。母体は、FHM。

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2005-05-05:

子ども兵士を探して (3)

 シエラレオネでは今、ストリート・チルドレンが急増して社会問題化している。
 戦争後、武装解除の段階がひと通り終了した後、浮き彫りになってきた。
 子どもたちが路上生活をするに至った経緯はそれぞれだが、シエラレオネの経済的復興が遅々として進まない中で、激しい貧困問題とも大いにリンクしている。 
 こうした中で、今回は路上で暮らす子どもたちの中で、兵士をしていた子どもたちに焦点を当てる。身寄りがなくて家に帰れない、あるいは家族や地域から受け入れられないといった状況の中で、路上で暮らすようになった子どもたちを探す。
 ストリート・チルドレンに関する実態調査などはまだ行なわれておらず、データもない。支援活動を展開するNGOもわずかで、きちんとフィールド活動に取り組んでいるところは2,3の団体しかない。ユニセフを中心に、ようやくNGO間で情報交換や連絡会議を持つようになってきたというところ。
 その中で、「ドン・ボスコ」と「GOAL」は二大双璧であり、たいへん信頼のおけるNGOだ。彼らの持っている情報は、この国のストリート・チルドレンの実態を理解させてくれると思う。

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2005-05-05:

子ども兵士を探して (2)

 ユニセフのシエラレオネ事務所の根本さんには本当にお世話になった。
 華奢な感じの男性だが、フィールドが好きと言う言葉通りに真っ黒になっていた。独自の調査に力をいれ、積極的に情報発信して行こうという姿勢がいい。彼のような人がいると、メディアと人道援助機関との効果的な協力関係が作りやすい。すなわち、質の高い現場近況が一般の人たちに届きやすくなるということだ。

 話を聞かせてもらったのは、チャイルド・プロテクション・オフィサーのドナルド・ロバートショウ氏。NGO出身のロバートショウ氏は、シエラレオネで子どもたちの状況をを10年見てきたベテランだ。


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2005-05-04:

子ども兵士をさがして (1)

 東京、表参道。
 シエラレオネから戻って、ようやく時差ぼけも解消しつつある。
 今日から、今回取材したものを連載していこうと思った。
 子ども兵士について。人によっては、少年兵と言った方が耳に馴染みがあるかもしれない。
シエラレオネで初めて子ども兵士の問題にふれたのは2000年6月。その取材記録はNHKのETV特集『断ち切られた家族』という番組になった。反政府軍に手足を切られた人たちとの衝撃的な出会いにふるえ、「藪の殺し屋」と恐れられた一人の元子ども兵士の痛ましい体験に、どうしようもないやるせなさが残った。以来、子ども兵士の問題はいつも自分の視野の中にあった。
 今回は、NHKスペシャルのための取材の一貫となる。リサーチ作業自体は2004年11月から始まっていたが、現地取材は昨年12月と今年4月。12月は、今回ロケの下取材というかっこうになった。

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2005-04-18:

From SIERRA LEONE

湿度ほとんど100%にピーカンの陽射し続き、本当に体も脳ミソもとろけてしまいそう。
ADSLのあるITNETカフェがありますが、ラップトップが使えないなど、メール環境が整っているとは言えない。
 また、国自体の電気などインフラ整備が間に合っていないため、いつ使えなくなっても不思議ではなさそうだ。石油も品薄。時差は日本からマイナス9時間。

 とはいえ、戦争の傷跡そのものは表面的には見えない。
 ビーチには人が溢れ、UNAMSIL関係者や特にビジネスマンの白人の姿にも普通に出会う。その家族なのか、中年女性の団体にも遭遇した。明らかなる観光客風情のグループまで。ブリュッセルから6時間半の快適なアクセスによって、一部で新たな観光スポットになりつつあるのかも知れない。
 リベリアもここも、海やビーチは美しいけれど、あまりに悲しい光景が想い出されて、自分には、喜んでいいのか、悲しんでいいのやら、複雑な感覚がある。
 ただひとつ思うのは、殺し合わない今という時が、人びとにとっては唯一価値あるものなのかも知れないということだ。
 また、シエラレオネは、貧しさが際立って見える。
 2000年の取材は戦争中だったし、前回12月も、子ども兵士に集中した短期リサーチだったので、深く認識はできなかったけれど、今回はよくわかる。
 ポスト・コンフリクトの後、武装解除も終わって、国際支援がひいて行った後に残される「もの」がはっきり示されています。

 原油価格の上昇や中東の不安定な情勢のせいでロシアや西アフリカ沖での石油開発が急ピッチで進められていると聞いた。まだ商業化できる段階ではないのかもしれないが、そうした富は、環境に恵まれ人脈のある人や要領の良い人だけが恩恵にあずかることができて、貧しい人たちの頭の上は素通りしていくのかと思うと、やりきれないものがある。

 戦禍がやみ、平穏さを取りもどすにつれて浮かび上がるどうしようもない貧困。
 富む人と、貧しさに再編入されていく人たちの格差は、それこそ天と地ほどのものがある。(似たような状況はアフガニスタンにもあるけれど、アフガンの方が「麻薬作ってでも生活せんとあかん」みたいなしたたかさもあって、復興気運を引き続き下支えしているように感じる。)

 国連への期待や支持は、しだいに失望や無関心へと変わっていく。また、国連の働きも人も官僚的なところが目につくようになって、それにメスが入れられることもない(→ジャーナリストの仕事か)。
 戦争を起こすのも人間、その手当てにあたるのもまた人間−人道援助の存在理由を考えるのに役立つ現実が、ここにはあると感じる。

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